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キエフ洞窟大修道院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年3月6日 (日)

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キエフ洞窟大修道院は、ウクライナ・キエフにある正教会修道院。ペチェールシク大修道院。ペチェルスカヤ大修道院。ウクライナ正教会(モスクワ系)(UOC(MP))の府主教座が置かれている。洞窟修道院

11世紀中頃の成立。イラリオンが静かに祈りとしていた洞窟が起源。

アトス山で修行していたアントニー(983-1073、キエフのアントニー、洞窟のアントニー)が帰国してさらにその洞窟を手で掘り進めて基盤を築いた。1051年のこととという。1057年、コンスタンティノープルストゥディオス修道院式の修道院規則を導入し、施行した。 多くの弟子が集まり、特にテオドシウス(1008頃-1074、キエフのテオドシウス、洞窟のテオドシウス、フェオドーシー)が拡充した。アントニーは1069年にチェルニゴフにも修道院(アントニー洞窟?)も建てた。 以後、ロシア正教会を含む東スラブ地域の正教会の修道院の模範となった。

1631年、府主教モギラがキエフ神学校を創設。宗教教育の範囲を超えて、ウクライナとロシアにおける最高の教育研究機関に発展した。1817年閉校。

ミイラ化した100体の修道士の遺体が残る。

目次

伽藍

組織

修道院長

資料

古典籍

  • 『キエフ洞窟修道院聖者列伝』:1220年代。ウラジーミル主教シモンと修道士ポリカルプが編纂。
http://shinden.boo.jp/wiki/%E3%82%AD%E3%82%A8%E3%83%95%E6%B4%9E%E7%AA%9F%E5%A4%A7%E4%BF%AE%E9%81%93%E9%99%A2」より作成

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