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スリランカ仏教

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2021年6月9日 (水)

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スリランカ仏教は、スリランカに伝わる南伝仏教の一つ。

目次

歴史

マヒンダの来島

紀元前3世紀、マヒンダが来島してミヒンタレーで、ティッサ王に説教した。アヌラーダプラに仏教都市が築かれた。

三派の成立

大寺派、無畏山寺派、祇多林寺派が成立。

1017年、南インドのチョーラ朝がスリランカに侵攻。ポロンナルワを占領。パラクラマバフ1世がポロンナルワを奪還。以後、ポロンナルワが王国の都となり、「シンハラ文化の黄金期」を示す。仏歯を王権のシンボルとして神聖化する。大寺派に統一する。 1293年、南インド勢力の攻撃でポロンナルワは遂に廃絶となる。

キャンディ王朝の成立

シンハラ人はタミール人の進出に押され、ヤバフヴァ、ダンバデニア、クルネガラ、ガンボーラ、コッテと遷都。コッテ王国から別れた勢力が1480年、キャンディを拠点に王国を建てた。北部はジャフナを中心するタミール人の地域となった。

西欧の侵略

1505年、ポルトガル人が上陸。キリスト教の布教を始める。沿岸部の大半がポルトガル領となった。17世紀にはオランダが取って代わった。多くの寺院が壊され、仏教は衰退した。

仏教の逆輸入

1753年にタイから僧侶を呼ぶ。シャム派。ついでビルマ由来のアマラプラ派とラーマンニャ派が成立。

イギリス植民地時代

1795年、イギリス東インド会社軍が侵攻。オランダを駆逐。1815年、キャンディ協約を結び、イギリス植民地となる。

仏教徒は迫害を受け、キリスト教徒でなければ就職もできない状態だったという。しかし1873年のパーナドゥラ論争での仏教の勝利は人々に勇気を与えた。ダルマパーラもその一人で、国内外で仏教の復興に取り組んだ。

独立後

1948年、イギリス連邦内の自治領となる。 1983年から2009年までヒンドゥー教を信じるタミール人勢力との内戦が続いた。

寺院==

スリランカの寺院は通常、塔、菩提樹、本堂、僧院の四つからなるという。

一覧

宗派

古代

現代

人物

  • マヒンダ:紀元前3世紀にスリランカに仏教を伝えた僧侶。アショーカ王の弟とも王子ともいう。大寺を創建。マヘーンドラ。
  • ティッサ王:マヒンダを歓迎し、仏教を保護した。
  • ブッダゴーサ:仏音。
  • パラッカマ・バプー1世王:シンハリー王朝の王。宗派を大寺派に統一した。仏歯を王権のシンボルとした。
  • ダルマパーラ(1864-1933):近現代のスリランカ仏教を復興させた。
http://shinden.boo.jp/wiki/%E3%82%B9%E3%83%AA%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AB%E4%BB%8F%E6%95%99」より作成

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