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三蔭山神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年8月20日 (日)

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三蔭山神社は山口県萩市須佐にある招魂社官祭招魂社指定外護国神社楠木正成を祀ることが特徴。三蔭山招魂場、三蔭山招魂社、須佐招魂社、須佐護国神社。

目次

歴史

  • 1864年(元治1年)7月18日:禁門の変。
  • 1864年(元治1年)11月11日:山口藩家老益田親施、禁門の変の責を負わされて自刃。(のち笠松神社に祀られる)
  • 1865年(慶応1年)1月24日:大谷撲助や河上範三らが回天軍を組織し、心光寺に立て籠もったが鎮圧された。
  • 1869年(明治2年):兼重厚平が招魂場を開設。楠木正成を中心に禁門の変と戊辰戦争の戦死者32柱を祀った。益田家家臣が中心。
  • 1876年(明治9年)1月:官祭招魂社に指定(1959山口県文化史[1])。

祭神

山口県の招魂社
  • 『山口県風土誌』[2]:祭神一覧

官祭祭神

  • 1:有田彦兵衛(1846-1868):1868年(明治1年)鳥羽伏見の戦いで戦死。23歳。
  • 2:久我亀吉(1846-1868):1868年(明治1年)戊辰戦争で越後国椎谷で負傷し病院で戦傷死。23歳。
  • 3:芳川道助(?-1868):1868年(明治1年)戊辰戦争で越後国妙見で戦死。享年不詳。
  • 4:原井直助(1841-1868):1868年(明治1年)戊辰戦争で越後国妙見で戦死。28歳。
  • 5:金山義十郎(1846-1868):1868年(明治1年)戊辰戦争で越後国妙見で不詳し、小千谷病院で戦傷死。23歳。
  • 6:内田正一郎 (1847-1868):1868年(明治1年)戊辰戦争で越後国妙見で不詳し、小千谷病院で戦傷死。22歳。
  • 7:山下範三郎(1841-1868):1868年(明治1年)戊辰戦争で越後国蝶ケ嶽で戦死。28歳。
  • 8:藤田篤輔(1845-1868):1868年(明治1年)戊辰戦争で越後国長岡で戦死。24歳。
  • 9:村岡彦十郎(1839-1868):1868年(明治1年)戊辰戦争で越後国陣ケ嶺で負傷し病院で戦傷死。30歳。
  • 10:中村芳彦(1851-1868):1868年(明治1年)戊辰戦争で越後国月岡で負傷し病院で戦傷死。18歳。
  • 11:渡辺九郎(1850-1868):1868年(明治1年)戊辰戦争で越後国某所で負傷し、病院で戦傷死。19歳。
  • 12:田村育蔵(1835-1864):1864年(元治1年)禁門の変で京都で戦死。30歳。
  • 13:澄川謙蔵(1842-1864):1864年(元治1年)禁門の変で京都で戦死。23歳。
  • 14:中村惣治(1832-1864):1864年(元治1年)禁門の変で京都で戦死。33歳。
  • 15:中尾易三郎 (1843-1864):1864年(元治1年)禁門の変で京都で戦死。22歳。
  • 16:上田亀二郎(?-1866):1866年(慶応2年)四境戦争で石見国益田で戦死。享年不詳。
  • 17:大谷撲助(1838-1865):禁門の変の責を負って益田親施が自害したことに反発し、1865年(慶応1年)1月24日に回天軍を組織し、心光寺に立て籠もったが自害する。28歳。
  • 18:河上範三(1841-1865):禁門の変の責を負って益田親施が自害したことに反発し、1865年(慶応1年)1月24日に回天軍を組織し、心光寺に立て籠もったが自害する。25歳。

私祭祭神

  • 楠木正成?():
  • 山本栄槌():1898年(明治31年)9月30日靖国神社合祀。1899年(明治32年)9月、私祭で合祀許可。

資料

  • 『山口県風土誌』[3]:祭神一覧
  • 津田勉2009「県内二十二の官祭招魂社」『山口県神道史研究』21
http://shinden.boo.jp/wiki/%E4%B8%89%E8%94%AD%E5%B1%B1%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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