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久遠寿量院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年1月15日 (土)

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久遠寿量院鎌倉にあった鎌倉幕府ゆかりの寺院。跡地不明。

目次

歴史

鎌倉将軍の持仏堂として源頼朝の時代から設けられていたらしい。1195年(建久6年)10月に新造。1236年(嘉禎2年)3月に移築されて久遠寿量院と呼ぶようになった。 1245年(寛元3年)7月5日、4代将軍藤原頼経が久遠寿量院で出家した。

組織

別当

  • 良瑜(1204-1267)<>:九条良輔の子。真言宗。安祥寺僧正。
  • 成源()<>:天台宗山門派。
  • 定豪(1152-1238)<>:真言宗。鶴岡別当。
  • 定親(1203-1266)<>:三論宗。鶴岡別当。東大寺別当。東大寺大勧進。東寺長者。
  • 教雅(生没年不詳)<>:真言宗。鶴岡別当。定雅。
  • 能厳()<>:
  • 親玄(1249-1322)<>:醍醐寺座主46世・48世。東寺長者87世。永福寺別当。
  • 鑑厳()<>:
  • 房玄()<>:
  • 房仙()<>:
  • 能済()<>:

資料

  • 櫛田良洪1963「久遠寿量院のこと―東寺宝菩提院古文書調査報告に代へて」『大正大学学報』21
  • 八幡義信1995「久遠寿量院について」『政治経済史学』344
  • 三浦龍昭2000「久遠寿量院別当職について」『鴨台史学』1
  • 平雅行2009「鎌倉中期における鎌倉真言派の僧侶」[1]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E4%B9%85%E9%81%A0%E5%AF%BF%E9%87%8F%E9%99%A2」より作成

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