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京都・安禅寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年8月21日 (金)

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安禅寺は京都府京都市上京区土御門町にあった尼門跡寺院。本尊は愛染明王。のち二階町、のち寺町北之辺町に移転。明治22年廃絶。景愛寺の末寺だったという。

南北朝時代に乾峰士曇が創建。 1479年7月1日、北小路行宮の火災で後土御門天皇が避難行幸。 1504年9月28日、後土御門天皇五回忌を厳修。 天正年間、二階町に移転。のち寺町北之辺町に移転。明治22年廃絶。 (菅原正子「中世後期天皇家と比丘尼御所」、『日本歴史地名大系』)

「安禅寺中古皇女御領住次第」という史料がある。

組織

住職

  • 乾峰士曇(1285-1361)<>:
  • 宗峰(1406-1488)<>:足利満詮(将軍足利義満の弟)の娘。1488年9月15日死去。83歳。浄源院。(「親長卿記人名索引」[1]
  • 芳苑恵春:(1434-1490)<>:後花園天皇第一皇女。観心女王。1441年入寺。1470年、戦乱を避けて鈴鹿金光寺(曹洞宗)に移り、墓所があるという伝承が同寺に伝わるが不詳[2]。1477年4月15日景愛寺住職(「親長卿記人名索引」)。1490年12月11日死去。57歳。安禅寺殿、安禅寺宮と称す。
  • 寿岳恵仙:(1476-1497)<>:後土御門天皇第三皇女。応善女王。1476年入寺。1492年得度。1497年6月11日死去。22歳。安禅寺宮、安禅寺殿と称す。
  • 某(1492-1498)<>:伏見宮邦高親王王女。1497年入寺。1498年2月5日死去。7歳。
  • 智円(1486-1513)<>:後土御門天皇皇女。1500年入寺。1513年9月21日死去。28歳。
  • 恵彭?()<>:伏見宮貞敦親王王女。1525年得度。
  • 普光(1537-1561)<>:後奈良天皇皇女。1541年入寺。1552年得度。1561年11月26日死去。25歳。安禅寺宮と称す。
  • 梧中〓彭(?-1578)<>:伏見宮邦輔親王王女。1563年入寺。1578年3月10日死去。
  • 某(?-1579)<>:陽光院(誠仁親王)皇女。興正寺18世准尊の異父姉。1573年得度。1579年8月15日死去。
  • 心月女王(1580-1590)<>:陽光院第三皇女。興正寺18世准尊の異父姉。 3歳で入寺。1590年11月5日死去。11歳。幼称は七宮。安禅寺宮と称す。
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