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京都・感応寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年6月12日 (金)
感応寺(かんのうじ)は京都府京都市上京区梶井町にあった観音信仰の寺院。清和院に合併。河崎堂、河崎観音堂、一条河崎観音寺。(参考:同名寺院感応寺)
歴史
『元亨釈書』によると、貞観年間、観音像を祀る適地を探していた壱演(803-867)がこの河崎の地に来ると、大地が揺れ、紫雲を出るなどの感応を得て建立したという。『中昔京師地図』では一条大路の東端、鴨川の西岸に描かれ、現在の京都府京都市上京区梶井町一帯に当たる。
『吾妻鏡』1186年(文治2年)6月13日条によると、河崎観音堂の近くで源義経の母と妹が義経を追う源頼朝の配下の者に捕縛されたという。 1181年(養和1年)、吉田経房が参詣(吉記)。市中の要所に当たるためたびたび戦禍を蒙り、応仁の乱で焼けた。1531年(享禄4年)1月5日にも焼失。その後、清和院に観音像を移して合併されたという。(日本歴史地名大系ほか)