出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年8月4日 (火)
京都府京都市右京区太秦垂箕山町にある仲野親王(792-867)の陵墓。皇室治定。現在の名称は高畠墓だが、葛野墓(『延喜式中務省』)とも呼ばれた。仲野親王は桓武天皇第十二皇子。王子14人、王女15人がいる。中でも班子女王は光孝天皇女御となり、宇多天皇を産んだため、仲野親王は天皇の外祖父として厚遇された。
明治8年に現在の垂箕山古墳に治定された。『陵墓一隅抄』(近世後期)の説によるか。
前方後円墳で、親王の時代と墓制が合わない。廃墳を利用したという見方もある。
(『国史大辞典』ほか)