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伊弉諾神宮

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年1月24日 (水)

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伊弉諾神宮(いざなぎ・じんぐう)は、兵庫県淡路市多賀(淡路国津名郡)にある伊弉諾尊を祀る神社。伊弉諾尊の陵墓の上にあるとされる。神宮寺として妙京寺があった。式内社名神大社一品勲八等淡路国一宮官幣大社別表神社

目次

歴史

境内

  • 本社:明治9年造営。明治11年神陵の上に移築。
  • 左右神社:
  • 鹿島神社:
  • 住吉神社:
  • 根神社:
  • 竈神社:
  • 祓殿:
  • 皇大神宮遥拝所:
  • 淡路祖霊社:
  • 岩楠神社:
  • 延寿宮:
  • 浜神社:御旅所
  • 櫛笥神社:神輿が休止する

組織

宮司

歴代 生没年 在職年 略歴
1? 浅野忠 1819-1892 1873-1873 広島藩家老。三原城主。1872年(明治5年)11月、厳島神社宮司。1873年(明治6年)3月に伊弉諾神社宮司兼中講義となるが4月に厳島神社宮司に戻り、大講義となる[1]。のち少教正。(経歴は厳島神社#組織を参照)
2? 松村清人 ?-1880 1873- 事実上の初代宮司。長野県出身。1869年(明治2年)7月、建白書を提出。1870年(明治3年)3月、経済問答抄[2]を記す。1873年(明治6年)3月頃から4月2日まで水無神社宮司[3]。1873年(明治6年)、伊弉諾神社宮司[4]。1877年(明治10年)1月31日、大講義から権少教正[5]。のち岩木山神社宮司(明治6年とあるのは誤りか)。1880年(明治13年)10月2日死去[6]
菅森潔 ?-1886 1881-1886 福井県出身。生年不詳。1881年(明治14年)9月30日、伊弉諾神社宮司[7]。1886年(明治19年)7月3日死去[8]
福原公亮 1827-1913 1886-1888 男山八幡宮宮司を経て1886年(明治19年)7月17日、伊弉諾神社宮司[9]。1888年(明治21年)11月30日、伊勢神宮権宮司。(経歴は伊勢神宮#組織を参照)
乃見宣 1822-1906 1889-1898 山口藩士。1822年(文政5年)生。京都留守居役。1889年(明治22年)1月7日、伊弉諾神社宮司。1898年(明治31年)11月25日、退任[10]。1906年(明治39年)7月24日死去。85歳。乃美織江。
曽和慎八郎 1832-? 1898-1912 高知藩士。四條畷神社宮司、若狭彦神社宮司を経て1898年(明治31年)11月25日、伊弉諾神社宮司[11]。1912年(大正1年)2月10日、四條畷神社宮司に再任[12]。没年不詳。(経歴は四條畷神社#組織を参照)
竹内利道 1855-1933 1912-1915 石川県出身。1855年(安政2年)生。金沢始審裁判所書記[13]。1897年(明治30年)頃、逓信省大臣官房文書課属[14]。1900年(明治33年)頃、造神宮使庁属兼社寺局(のち神社局)属[15]。1906年(明治39年)1月18日、安仁神社宮司[16]。1909年(明治42年)2月12日、美作・中山神社宮司[17]。1912年(大正1年)2月10日、伊弉諾神社宮司[18]。1915年(大正4年)3月20日休職[19]。1917年(大正6年)3月19日休職満期[20]。晩年は京都に住す。1933年(昭和8年)10月17日死去[21]。79歳[22]。著書『加賀能登式社私考録』『花の屑』。竹内更隣。
村田正夫 1874-1940 1915-1920 三重県出身。1874年(明治7年)生[23]。1900年(明治33年)国学院大学卒。氷川神社禰宜を経て1913年(大正2年)2月1日、安仁神社宮司[24]。1915年(大正4年)3月20日、伊弉諾神社宮司[25]。1920年(大正9年)5月26日、函館八幡宮宮司[26]函館招魂社受持神官。1925年(大正14年)2月12日、三島神社宮司[27]。1929年(昭和4年)3月1日、宇都宮二荒山神社宮司[28]。1934年(昭和9年)3月26日退職[29]。1940年(昭和15年)死去[30]。「函館招魂社例祭祝詞」[31]
岡泰雄 1871-1941 1920-1923 1920年(大正9年)9月10日、伊弉諾神社宮司[32]。1923年(大正12年)4月19日、鹿児島神宮宮司。(略歴は、鹿島神宮#組織を参照)
中村弾男 生没年不詳 1923-1931 石川県出身。1895年(明治28年)7月国学院大学選科卒(第3期)。1897年(明治30年)頃、金沢市尋常中学校教諭心得[33]。1911年(明治44年)愛知県皇典講究分所講師[34]。1914年(大正3年)9月23日真清田神社宮司[35]。1923年(大正12年)4月19日、伊弉諾神社宮司[36]。1931年(昭和6年)6月19日休職[37]。1931年(昭和6年)9月7日退任[38]
早山茂 1886-1936 1931-1935 横浜市出身。石川県士族吉山清次郎の四男。1886年(明治19年)生[39]。1911年(明治44年)3月、皇典講究所神職養成部教習科卒[40]赤坂氷川神社社司。箱根神社社司となり、国弊小社昇格を実現し1928年(昭和3年)11月10日、箱根神社宮司[41]。1931年(昭和6年)6月19日、伊弉諾神社宮司[42]。1935年(昭和10年)8月6日、霧島神宮宮司[43]。1936年(昭和11年)5月21日死去[44]。「旧箱根権現神仏分離の始末」[45]、「伊弉諾神社に就て」。
占部真一 1884-1969 1935-1940 霧島神宮を経て1935年(昭和10年)8月6日、伊弉諾神社宮司[46]。1940年(昭和15年)6月25日退任[47]。 (経歴は照国神社#組織を参照)
大島乙丸 1894-? 1940-1944 長崎県出身。1894年(明治27年)生。神宮皇学館卒。熊野大社宮司、寒川神社宮司、神宮皇学館教諭を経て1940年(昭和15年)6月25日、伊弉諾神社宮司[48]。1944年(昭和19年)11月16日、樺太神社宮司[49]。戦後、長崎県の天降神社宮司、愛知県の岡田神明宮宮司。没年不詳。
松島浅之助 1881-? 1944-1947 和歌山県西山東村出身。1881年(明治14年)生[50]。1909年(明治42年)神宮皇学館本科卒[51]。山口県岩国中学校教諭。1924年(大正13年)1月24日、駒形神社宮司。正七位。1930年(昭和5年)7月30日、忌宮神社宮司。1937年(昭和12年)11月29日、出石神社宮司[52]。1944年(昭和19年)11月16日、伊弉諾神社宮司[53]。1947年(昭和22年)退任[54]。没年不詳。
木村玄貞 1903-? 1947-1954 滋賀県出身。1903年(明治36年)生。1925年(大正14年)函館八幡宮に奉職。岩木山神社長田神社伊和神社を経て伊弉諾神社禰宜。1947年(昭和22年)9月15日伊弉諾神社宮司。1954年(昭和29年)4月、神宮号改称を実現。10月30日、九条道秀に宮司職を譲り伊弉諾神宮権宮司となる。1962年(昭和37年)4月13日、伊弉諾神宮宮司に再任。1985年(昭和60年)9月30日退任。没年不詳。
九条道秀 1895-1961 1954-1961 九条家当主。1895年(明治28年)生。東京帝国大学卒。1933年(昭和8年)掌典職掌典。1954年(昭和29年)10月30日、伊弉諾神宮宮司。1961年(昭和36年)5月27日死去。65歳。
木村玄貞 1903-? 1962-1985 1962年(昭和37年)4月13日、伊弉諾神宮宮司に再任。1985年(昭和60年)9月30日退任。
長尾嘉辰 ?-1999 1985-1990 島根県湯谷出身。島根県皇典講究分所神職養成部卒。鳥取県一宮神社社掌。平見神社禰宜。1985年(昭和60年)9月30日伊弉諾神宮宮司。1990年(平成2年)12月20日退任。平見神社宮司。1999年(平成11年)3月29日死去。83歳。
片岡友次 1923-2001 1990-1994 1923年(大正12年)生。京都帝国大学卒。毎日新聞社勤務。1977年(昭和52年)近江神宮に奉職。熱田神宮長田神社を経て1986年(昭和61年)8月1日波上宮宮司。沖縄県神社庁長。1990年(平成2年)12月20日、伊弉諾神宮宮司。1994年(平成6年)11月9日、住吉大社権宮司。2001年(平成13年)4月14日退任。11月3日死去。
奈須光興 1932-2009 1994-1996 1932年(昭和7年)生。1953年(昭和28年)住吉大社に奉職。権禰宜、禰宜を経て1982年(昭和57年)正禰宜。1994年(平成6年)11月9日、伊弉諾神宮宮司。1996年(平成8年)2月29日退任。同年7月25日、枚岡神社宮司。2009年(平成21年)3月20日死去。76歳。
浦上邦男 1924-2014 1996-2004 兵庫県出身。1924年(大正13年)生。1944年(昭和19年)神宮皇学館大学付属専門部卒。1946年(昭和21年)豊国神社嘱託。同年兵庫県神社庁録事。1964年(昭和39年)洲本厳島神社宮司。1988年(昭和63年)2月3日から1989年(平成1年)11月12日まで日吉大社特任宮司。1996年(平成8年)3月1日、伊弉諾神宮宮司。2004年(平成16年)12月31日退任。2014年(平成26年)死去。
本名孝至 1944- 2006- 1944年(昭和19年)生。皇学館大学文学部国文学科卒。1971年(昭和46年)静岡浅間神社に奉職。熱田神宮を経て1990年(平成2年)伊弉諾神宮禰宜。2002年(平成14年)伊弉諾神宮権宮司。宮司代務者を経て2006年(平成18年)2月3日、伊弉諾神宮宮司。

権宮司

  • 松野真維(1837-1910)<-1873->:淡路洲本出身の国学者。1873年(明治6年)8月、『三条演義翼』[55]を執筆。この時点で伊弉諾神社権宮司兼中講義。(略歴は、金刀比羅宮#組織を参照)

画像

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