ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

六郷満山

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年10月20日 (金)

移動: 案内, 検索
六郷満山

目次

概要

六郷満山は、大分県の国東半島にある霊山。両子寺が中心寺院とされる。宇佐神宮と関連が深い。

関東祈祷所


六郷満山は日本の中でも特徴的な霊山である。一つには、神が僧侶となり山を開いた由緒など、神仏習合の歴史の中でも神と仏の特異な関係を伝えるということ、もう一つには半島全域を一山として60寺を超える寺院がひしめき合う特徴的な霊場の構成である。また国東塔に代表される独自の石造文化を生み出したのも注目できる。六郷満山開祖とされる仁聞は、奈良時代の僧侶。「仁聞菩薩」と菩薩号を付けて称されるように神仏に擬して尊崇されているが、その正体は、宇佐神宮の祭神である八幡神とされている。

六所権現という神が多くの寺院で祀られている。

富貴寺も有名。

由緒

六郷満山の開祖を仁聞という。仁聞は八幡大菩薩の化身とされ、仁聞菩薩と称される。仁聞菩薩の初見は、鎌倉時代の『宇佐八幡宮託宣集』である。 『託宣集』によると、八幡大菩薩は、昔、人聞菩薩として現れ、宇佐八幡宮の裏山である御許山(馬城峯)で法蓮、華厳(華金)、覚満、躰能(大能)などの弥勒寺僧を連れて、70年間、修行した。あるとき、硯の水がなかったので、筆の管で岩を差すと霊水が湧出したという。また山の麓にあった油、7石5斗7升を甕の中に入れ、それを仁聞菩薩の体に塗りつけて、3年間燃やし、焼身の行をしたという。また大日如来はじめ諸導師の形を岩窟に刻んだという。 ここには六郷満山に関する記事は確認できないが、室町時代の『八幡愚童訓』に「六郷山にては、人聞菩薩と〆八十余年御修行有き」と、六郷満山で80年に渡って修行したとある。 1228年(安貞2年)、鎌倉幕府から祈祷を命じられた時、「即ち顕密の学侶は観音医王の前に一乗妙典を講じ、密教の仏子は八幡尊神六所権現社に祈祷し、初覚の行者は仁聞菩薩の跡を巡礼した。」[1]という。 一方、江戸時代の『豊鐘善鳴録』(1742年(寛保2年))によると、御許山で法蓮に師事して受戒し、インドや漢で仏教を学んだ。神勅により仁聞と称したが、宇佐の神官が卜して三度とも吉と出て、周囲の者も八幡神であることを知った。養老年間に六郷山を巡遊して28寺を開創し、6万9千に及ぶ諸仏諸師の像を造った。厳満を率いて、伊美の五智窟に登って不動法を行う。東北の海龍王、その徳を欽仰して一千の燈を灯す。その霊応により千燈寺と称し、補陀落山と称して千手眼観音を祭ったという。 補陀落山千燈寺は仁聞菩薩入寂の地で、仁聞菩薩の墓がある。江戸時代、僧侶が改装しようと発掘したら銅筒が出土して、中から白舎利が出てきて元のように納めたという(豊後国志)。

「安貞二年五月注進状」に「即ち顕密の学侶は観音医王の前に一乗妙典を講じ、」とあるように「観音医王」つまり観音菩薩薬師如来が信仰の中心となっている。

中野によると、観音信仰は六郷満山の天台宗化とともに法華経信仰の流入とともに入ったもので、もともとは八幡大菩薩の本地仏として、弥勒寺で祀られていた薬師如来(金堂本山。弥勒菩薩は講堂に祀られていた)が六郷満山でも祀られていたのではないかとという。

歴史

平安時代

六郷山別当(東西別当)が弥勒寺所司(三綱)を務めていた関係から、平安時代末期から、宇佐八幡宮と弥勒寺が衰退するとともに、六郷山の権威も低下。宇佐八幡宮が近衛家、弥勒寺が石清水八幡宮を本所と仰いだように六郷山は比叡山を本所と仰いだ。1162年(応保2年)ごろのことと推定されている。六郷山は比叡山延暦寺の無動寺の配下となり、1192年(建久3年)には宗山執行職が設置された。弥勒寺の配下を離れ、儀礼的な関係のみとなった。 比叡山は代官にあたる御使を六郷山に置いて支配したが、やがて宗山執行職の長安寺に任せられるようになった。

鎌倉時代

1192年(建久3年)から1342年(康永1年)まで執行職つづく 鎌倉時代初期に御家人大友氏が押領。

本山では後山金剛寺が中心、中山では屋山寺、末山では霊仙寺が中心となっている。

六郷満山の構成

寺院以外

周辺

六郷

  • 田染
  • 来縄
  • 伊美
  • 国前
  • 武蔵
  • 安岐

参考文献

備考

  1. 「安貞二年五月注進状」
http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%85%AD%E9%83%B7%E6%BA%80%E5%B1%B1」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール