ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
大和・達磨寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2021年8月24日 (火)
達磨寺(だるまじ)は、奈良県北葛城郡王寺町本町にある達磨信仰の臨済宗寺院。聖徳太子ゆかり。臨済宗南禅寺派。山号は片岡山。(参考:同名寺院達磨寺)
日本書紀、日本霊異記、聖徳太子伝略にある片岡飢人伝説に由来する。 聖徳太子が片岡山の近くの道で出会った飢人と歌を贈答した。後日、飢人が死んだのでこの地に埋葬したところ、数日ののち遺体が消滅していた。太子は飢人が聖であると悟った。この飢人こそ達磨であったという。 1305年、興福寺衆徒に焼かれた。仙海が復興するが1307年興福寺衆徒の強訴により流罪。 延文年間に復興。 山名時煕、足利義満、足利義持、足利義教が庇護した。 松永久秀の兵火で衰退。 1577年、正親町天皇の綸旨で復興した。1602年、徳川家康が30石寄進。 1605年、豊臣秀頼が修復。 2004年(平成16年)本堂再建。
境内
- 本堂:
- 3号墳
- 雪丸塚:1号墳
- 2号墳
- 方丈
- 達磨石
- 太子石
- 薬師石
- 片岡八郎墓
- 松永久秀墓
- 中興記石幢
資料
- 達磨禅師御廟記