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大和・高安寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2021年9月19日 (日)
高安寺(たかやすでら)は奈良県生駒郡安堵町西安堵(大和国平群郡)にあった古代寺院。中世の名称は常楽寺。廃絶。(参考:同名寺院高安寺)
平安時代や鎌倉時代の瓦が出土している。 聖徳太子の創建という。あるいは『飽波神社神験記』(1598年(慶長3年))によると、聖徳太子が病気になった時、山背大兄王と由義王が創建。のち源信が復興して極楽寺と称したという。東安堵の極楽寺にある阿弥陀如来像は高安寺にあったものという。
中世には常楽寺と称し、常楽寺市という市場が栄えた。 明治初年、高安寺の所属について西安堵村(安堵町西安堵)と高安村(斑鳩町高安)が争論となった。結果、礎石と土地は西安堵村のものとなり、建物・仏像・什物などは高安村のものになった。
そのため、大日堂や十一面観音、聖観音、薬師如来、大日如来などの古仏が高安の天満宮に移され、のち仏像は高安の勝林寺(融通念仏宗)に移された。大日堂は法隆寺村に移されていたとも。天満宮にあった大日堂は廃絶したようだ。勝林寺に武田耕雲斎筆の「高安寺」の扁額が伝わるという。 (日本歴史地名大系、大和上代寺院志)