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官修墳墓

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年3月23日 (土)

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「官修墳墓」の銘板がある膳所岡山官修墳墓の玉垣
明治42年建立の祇園之洲官修墳墓の標石

官修墳墓(かんしゅうふんぼ)は、日本政府が管理する、幕末から西南戦争にかけての官軍死者の墓地。1942年(昭和17年)までに1013所が設置された。1所に1柱が葬られたわけではなく、複数柱が葬られた場合もあり、1柱の戦没者が複数の墓地に祀られている場合もある。戦前は政府が修復費を支給していた。現在の法的位置付けは不詳。1958年(昭和33年)に政府の調査があったが、管理はされていないようである。そのため、毀損、移転した墓もある。なお正式には地名を付して「●●官修墳墓」と称したが煩雑なので、通称などを優先する。被葬者は政府の調査漏れがなければ、靖国神社の祭神である。幕末維新期人物旧跡

京都、会津若松、熊本などの激戦地や、東北戦線などに出兵した官軍藩の地元に多い。官祭招魂社指定護国神社官軍殉難者奉斎招魂社陸軍墓地海軍墓地も参照。陸海軍墓地との区別や関係はよく分からない。陸海軍墓地が陸軍省・海軍省の管轄だったのに対して官修墳墓は内務省神社局(のち神祇院)の管轄だった。

目次

歴史

  • 1874年(明治7年):内務省、国事殉難者の墳墓に国費支出を通達。
  • 1875年(明治8年):初の国費支出
  • 1901年(明治34年):官修墳墓の制度ができる。
  • 1940年(昭和15年)4月:「国庫より供進すべき護国神社祭粢料及び官修墳墓修繕料定額」を定める。一カ所につき、6円50銭を支給。
  • 1946年(昭和21年)2月2日:勅令第71号で神社諸制度が廃止されたが、官修墳墓は宙に浮いた。大蔵省は「墳墓敷地は国有地のみでない」、文部省は「史蹟でも宗教でもない」、厚生省は「記念碑的なものもあり、純然たる墓地でない。また公園地でもない」、建設省は「関係のものでもない」との見解を示し、所轄庁が決まらなかったという。
  • 1957年(昭和32年)2月4日:横須賀市追浜の遺族会、「横須賀市追浜等にある官修墳墓の祭祀及管理の復活に関する請願書」を提出し、参議院と衆議院で受理される。
  • 1957年(昭和32年)3月:文部省が官修墳墓について調査。33都府県から報告。1013カ所。約10万坪のうち国有地2万坪、公有地4万坪、民有地4万5000坪という。
  • 1957年(昭和32年)5月18日:内閣委員長は官修墳墓に関する法規が廃止されていないことを指摘し、請願の趣旨目的を適切妥当と認め、衆議院に報告。しかし請願はしばらく放置されたという。
  • 1957年(昭和32年)10月3日:官修墳墓の移転改葬手続について宮崎県からの問い合わせ(9/15)に対し、文部省調査局長は「改善等著しい現状変更」は「総理府へ経伺すべきもの」と回答した。
  • この頃:総理府の内閣総理大臣審議室に事務所を設置して、文部省、大蔵省、厚生省、自治省など「五者」の連絡協議会を設置。
  • 1959年(昭和34年)6月:厚生省と自治庁次官名で現状調査。滋賀県を除いて回答があり、396カ所を確認。国有地8502坪、県有地9841坪、市町村4628坪、社寺有地8978坪、個人有地712坪。文部省調査より大幅に減少。
  • 1961年(昭和36年)8月:官修墳墓処遇大綱が決定。国費を支出して管理。国有地の場合無償貸与。管理は市町村に委任。管理費は地方交付税または特別交付金で支給。国有地にあるが、民間で管理しているものについては土地を有償で払い下げる。私有地にあるものについては管理費の交付はない。国は祭祀に関わらない。1カ所に付き1万円を支出。
  • 1961年(昭和36年)10月3日:官修墳墓の取り扱いについて閣議決定。大蔵省と自治省から近く通達されるという。おおよそ大綱通り。国費は自治省から支出する方針。国有地の場合、その敷地を維持管理祭祀する市町村に無償貸付または譲渡する。都道府県有地の場合、都道府県が維持管理祭祀を行うもの以外は市町村に無償貸付するように勧める。維持管理祭祀は市町村または都道府県が行うものとし、憲法の趣旨に反しないように宗教的色彩を伴わない方法で地方の実情に応じて行うように勧奨する。官修墳墓を公共墓地などに移す場合など維持管理に多額の経費が必要な場合は別途財源措置を講ずる。なおこの後、実際にどの程度実行されたのかは不詳。

制度

一覧表

官修墳墓一覧(典拠:『大日本帝国内務省統計報告』明治34年~昭和17年)
都道府県 明治34-38
(1901-1905)
明治39-40
(1906-1907)
明治41-42
(1908-1909)
明治43-大正5
(1910-1916)
大正6
(1917)
大正7-9
(1918-1920)
大正10-昭和1
(1921-1926)
昭和2-17
(1927-1942)
01 北海道 14 14 14 14 14 14 13 13
02 青森県 10 10 15 15 15 15 15 15
03 岩手県 6 6 6 6 6 6 6 6
04 宮城県 1 1 1 1 1 1 1 1
05 秋田県 128 128 128 128 128 127 127 127
06 山形県 44 44 44 44 44 44 44 44
07 福島県 186 186 186 186 186 186 186 186
08 茨城県 14 14 14 14 14 14 14 14
09 栃木県 85 85 85 85 85 83 83 83
10 群馬県 7 7 7 7 7 7 7 7
11 埼玉県 1 1 1 1 1 1 1 1
12 千葉県 10 10 10 10 10 10 10 10
13 東京都 25 25 25 25 25 25 25 25
14 神奈川県 3 3 3 3 3 3 3 3
15 新潟県 91 91 85 79 85 83 83 83
16 富山県 6 6 6 6 6 6 6 6
17 石川県 1 1 1 1 1 1 1 1
18 福井県 1 1 1 1 1 1 1 1
19 山梨県 0
20 長野県 44 44 44 44 44 44 44 44
21 岐阜県 0
22 静岡県 0
23 愛知県 0
24 三重県 0
25 滋賀県 2 2 2 2 2 2 2 2
26 京都府 24 24 25 25 25 25 29 29
27 大阪府 2 2 2 2 2 2 2 2
28 兵庫県 1 1 1 1 1 1 1 1
29 奈良県 0
30 和歌山県 0
31 鳥取県 0
32 島根県 0
33 岡山県 28 28 28 28 28 28 28 28
34 広島県 6 6 6 6 6 6 6 6
35 山口県 25 25 25 25 25 25 26 24
36 徳島県 0
37 香川県 0
38 愛媛県 0
39 高知県 0
40 福岡県 4 4 4 4 4 4 8 8
41 佐賀県 10 10 10 10 10 10 10 10
42 長崎県 5 5 5 5 5 5 17 17
43 熊本県 96 96 97 97 97 97 163 163
44 大分県 4 4 4 4 4 4 12 12
45 宮崎県 8 7 7 7 7 7 12 12
46 鹿児島県 6 6 6 6 6 6 29 29
47 沖縄県 0
合計 898 897 898 892 898 893 1015 1013
  • 明治34年に官祭招魂社および官修墳墓の制度が定められる。
  • 大正12年は震災のため調査を欠く
  • 大正11年以前はその年の6月末日現在。それ以降は12月末日現在。
  • 『大日本帝国内務省統計報告』には参考として過去の数値が掲載されていることがあり、当該年度の報告書と数値が食い違うことがあるが、過去の数値は無視した。

比定地と候補地

01 北海道

『大日本帝国内務省統計報告』 によると13所あった。一つの墓地に複数カ所あった可能性がある。

  • 神山茂1954「官修墳墓」『郷土昔語』函館郷土文化会[1]

02 青森県

青森県内の官修墳墓は『官祭弘前招魂社祭祀人名・官修墳墓埋葬人名』[2]によって全容が分かる。15カ所があり、『大日本帝国内務省統計報告』の1908年以降の数値と一致する。1907年までは10カ所となっており数カ所まとめて1カ所と数えられていた可能性があるが要検討。青森県護国神社も参照。

  • 1馬門官修墳墓:青森県上北郡野辺地町鳥井平。27人。「野辺地戦争戦死者の墓所」。県史跡。4基の墓碑がある。
  • 2青岩寺官修墳墓:青森県上北郡七戸町町。浄土宗青岩寺。1人。小野政之助。馬門官修墳墓にも名前がある。
  • 3柳町官修墳墓:青森県青森市中央。15人。現在の柳町交差点あたり。元は広田神社境内。箱館戦争で負傷した兵士は青森に運ばれて治療を受けたがそのまま死亡したものを市内の社寺の各所に埋葬された。京都方面では神道で埋葬しているとのことから多くを広田神社(1901年移転)に改葬したのが官修墳墓の始まり。1872年、広田神社で市内では初となる招魂祭を実施。元は鳥居があった。16基あったが1934年には12基となっていた。1934年、「戊辰堂」を建立。1948年7月、他の市内4寺8基の官修墳墓と合わせて三内霊園(青森県青森市三内字沢部)に改葬。計20基がある。[3][4][5]
  • 4正覚寺官修墳墓:青森県青森市。4人。伊予松山藩の勝島嘉左衛門、森田芳次郎、福田佐市、岡山藩の今井環平。1948年7月、三内霊園に改葬。
  • 5常光寺官修墳墓:青森県青森市。2人。徳山藩の広瀬佐平、広瀬竹蔵。1948年7月、三内霊園に改葬。
  • 6蓮心寺官修墳墓:青森県青森市。1人。山口藩の重吉。1948年7月、三内霊園に改葬。
  • 7蓮華寺官修墳墓:青森県青森市。1人。福山藩の河村秀三郎。1948年7月、三内霊園に改葬。
  • 8勝岳院官修墳墓:青森県弘前市西茂森。曹洞宗勝岳院。1人。弘前藩の須藤惟一。
  • 9耕春院官修墳墓:青森県弘前市西茂森。曹洞宗耕春院。1人。弘前藩の青木惣次郎。
  • 10正光寺官修墳墓:青森県弘前市西茂森。曹洞宗正光寺。1人。弘前藩の木村昇。
  • 11梅林寺官修墳墓:青森県弘前市西茂森。曹洞宗梅林寺。1人。弘前藩の伊藤銀吉
  • 12安盛寺官修墳墓:青森県弘前市西茂森。曹洞宗安盛寺。1人。弘前藩の八木橋善次郎。
  • 13月峰院官修墳墓:青森県弘前市西茂森。曹洞宗月峰院。1人。弘前藩の白取直之進。
  • 14寿昌院官修墳墓:青森県弘前市西茂森。曹洞宗寿昌院。1人。弘前藩の佐藤平吉。
  • 15鳳松院官修墳墓:青森県弘前市西茂森。曹洞宗鳳松院。1人。弘前藩の舘山正作。

03 岩手県

『大日本帝国内務省統計報告』によると6所があった。岩手県統計書[6][7]では5所のち6所とある。下記はその候補地。1903岩手県現行令達類聚[8]。岩手県神社事務提要[9]。岩手県史[10]

  • 鍬ケ崎官修墳墓:岩手県宮古市鍬ケ崎にある。水夫4人。梅田梅之丞正行、六助、甚吉、銀次郎。官軍勇士墓。上閉伊郡志[11]。宮古市指定文化財[12]
  • 常安寺官修墳墓:岩手県宮古市沢田の曹洞宗常安寺にある。岡山藩の小西周右衛門光信を埋葬。「官軍小西周右衛門の墓」。上閉伊郡志[13]。宮古市指定文化財[14]
  • 広養寺官修墳墓:岩手県岩手郡雫石町源大堂。福田栄之助。曹洞宗広養寺。
  • 祥雲寺官修墳墓:岩手県一関市台町。臨済宗妙心寺派祥雲寺。江崎佐平治。深遠隊
  • 三好監物墓:岩手県一関市藤沢町黄海本沢。松柏山斎苑。仙台藩。碑銘[15]

04 宮城県

05 秋田県

『大日本帝国内務省統計報告』によると127所あった。1961『秋田県史明治編下』[16]には128所が記載されている。

  • 1:全良寺官修墳墓:秋田県秋田市。「戊辰役官軍戦死者・薩長など17藩256柱」を祀る[17]。秋田県公文書館に「羽州秋田八橋全良寺 官軍戦死墳墓之図」がある。:
  • 2:声体寺官修墳墓:秋田県秋田市保戸野鉄砲町:浄土宗
  • 3:応供寺官修墳墓:秋田県秋田市旭南:臨済宗妙心寺派
  • 4:歓喜寺官修墳墓:秋田県秋田市旭北寺町:曹洞宗
  • 5:鱗勝院官修墳墓:秋田県秋田市旭北栄町:曹洞宗
  • 6:誓願寺官修墳墓:秋田県秋田市旭南:浄土宗
  • 7:伝法寺官修墳墓:秋田県秋田市旭北寺町:日蓮宗
  • 8:宝塔寺官修墳墓:秋田県秋田市八橋本町:日蓮宗
  • 9:西法寺官修墳墓:秋田県秋田市大町:真宗大谷派
  • 10:正覚寺官修墳墓:秋田県秋田市大町:真宗大谷派
  • 11:龍泉寺官修墳墓:秋田県秋田市旭北寺町:時宗
  • 12:長泉寺官修墳墓:秋田県秋田市楢山古川新町:曹洞宗
  • 13:満福寺官修墳墓:秋田県秋田市楢山古川新町:曹洞宗
  • 14:玄心寺官修墳墓:秋田県秋田市楢山川口境:曹洞宗
  • 15:仰信寺官修墳墓:秋田県秋田市楢山愛宕下:浄土宗
  • 16:正覚院官修墳墓:
  • 17:天龍寺官修墳墓:
  • 18:西山官修墳墓:
  • 19:西山官修墳墓:
  • 20:忠専寺官修墳墓:秋田県秋田市:
  • 21:寺ノ脇官修墳墓:
  • 22:寺山添官修墳墓:
  • 23:白馬寺官修墳墓:
  • 24:本念寺官修墳墓:
  • 25:村寺官修墳墓:
  • 26:正洞院官修墳墓:
  • 27:泉福院官修墳墓:
  • 28:西船寺官修墳墓:
  • 29:見性寺官修墳墓:
  • 30:興安寺官修墳墓:
  • 31:蒼龍寺官修墳墓:
  • 32:大道脇官修墳墓:
  • 33:隠居林官修墳墓:
  • 34:一心院官修墳墓:秋田県大館市一心町:浄土宗
  • 35:宗福寺官修墳墓:秋田県大館市豊町:曹洞宗
  • 36:玉林寺官修墳墓:
  • 37:返照院官修墳墓:
  • 38:天鏡寿院官修墳墓:
  • 39:浄応寺官修墳墓:
  • 40:餅田官修墳墓:
  • 41:極楽寺官修墳墓:
  • 42:荒瀬官修墳墓:
  • 43:寿仙寺官修墳墓:
  • 44:正覚寺官修墳墓:
  • 45:徳栄寺官修墳墓:
  • 46:長興寺官修墳墓:秋田県大館市十二所十二所町:曹洞宗
  • 47:本光寺官修墳墓:
  • 48:長楽寺官修墳墓:
  • 49:西福寺官修墳墓:
  • 50:敬正寺官修墳墓:
  • 51:楞厳院官修墳墓:
  • 52:明照院官修墳墓:
  • 53:大森官修墳墓:
  • 54:榊官修墳墓:
  • 55:清徳寺官修墳墓:
  • 56:小谷沢官修墳墓:
  • 57:永泉寺官修墳墓:
  • 58:常然寺官修墳墓:
  • 59:蓮化寺官修墳墓:
  • 60:蔵堅寺官修墳墓:
  • 61:東林寺官修墳墓:
  • 62:虫甘満寺官修墳墓:
  • 63:浄専寺官修墳墓:
  • 64:才ノ神官修墳墓:
  • 65:恵比須森官修墳墓:
  • 66:長根官修墳墓:
  • 67:龍源寺官修墳墓:
  • 68:祥雲寺官修墳墓:
  • 69:釜場官修墳墓:
  • 70:古堂官修墳墓:
  • 71:大平寺官修墳墓:
  • 72:正念寺官修墳墓:
  • 73:龍門寺官修墳墓:
  • 74:養福院官修墳墓:
  • 75:万松寺官修墳墓:
  • 76:本念寺官修墳墓:秋田県大仙市刈和野:浄土宗
  • 77:上野台官修墳墓:
  • 78:普洞院官修墳墓:
  • 79:願龍寺官修墳墓:
  • 80:歴田沢官修墳墓:
  • 81:大台官修墳墓:
  • 82:小種新田官修墳墓:
  • 83:宝田寺官修墳墓:
  • 84:西念寺官修墳墓:
  • 85:西野官修墳墓:
  • 86:常光院官修墳墓:
  • 87:本明寺官修墳墓:
  • 88:報身寺官修墳墓:
  • 89:天寧寺官修墳墓:
  • 90:龍泉寺官修墳墓:
  • 91:松庵寺官修墳墓:
  • 92:源太寺官修墳墓:
  • 93:東源寺官修墳墓:
  • 94:新屋敷官修墳墓:
  • 95:長野町官修墳墓:
  • 96:中川原官修墳墓:
  • 97:野中官修墳墓:
  • 98:南翁寺官修墳墓:
  • 99:宝蔵寺官修墳墓
  • 100:長福寺官修墳墓
  • 101:大川寺官修墳墓:
  • 102:屋敷地官修墳墓:
  • 103:藤森官修墳墓:
  • 104:春光寺官修墳墓:
  • 105:龍昌院官修墳墓
  • 106:天仙寺官修墳墓:
  • 107:横手官修墳墓:
  • 108:正平寺官修墳墓:
  • 109:岩坂峠官修墳墓:
  • 110:松雲寺官修墳墓:
  • 111:円浄寺官修墳墓:
  • 112:学善寺官修墳墓:
  • 113:町東官修墳墓:
  • 114:浄蓮寺官修墳墓:
  • 115:取西官修墳墓:
  • 116:永蔵寺官修墳墓:
  • 117:平鹿向官修墳墓:
  • 118:香最寺官修墳墓:
  • 119:上羽場官修墳墓:
  • 120:上羽場官修墳墓:
  • 121:石成官修墳墓:
  • 122:安乗寺官修墳墓:
  • 123:堂操沢官修墳墓:
  • 124:信翁院官修墳墓:
  • 125:山梨官修墳墓:
  • 126:サエノカミ官修墳墓:
  • 127:小沢官修墳墓:
  • 128:正入寺官修墳墓:

06 山形県

『大日本帝国内務省統計報告』 によると44所あった。『山形県通覧』[18]に一覧があり、44区域、122人、碑石85基とあるが、実際には42箇所、124人となっている(明善寺の原田喜平太墓は他の官修墳墓と形状が同じであり記載漏れか)。『山形県神社要覧』[19](数のみ)。参考『山形県史』「忠孝節儀」[20]1874年(明治7年)頃編纂。戦没者の事績もある。1916『山形県行幸記』「戊辰戦死者」[21](山形藩、上山藩、天童藩、仙台藩、新庄藩、米沢藩)。山形県護国神社天童護国神社新荘護国神社も参照。


名称 所在地 被葬者 所属 概要
1 山形観音前官修墳墓 山形県山形市前田町 富塚忠三郎 1 館林藩 富塚忠三郎は館林大道寺官修墳墓にも埋葬。館林招魂社祭神。
2 上山浄光寺官修墳墓 山形県上山市軽井沢・浄土宗浄光寺 菅谷友尉
谷野広年
2 上山藩 浄光寺は藩主菩提寺。
3 天童常得寺官修墳墓 山形県天童市蔵増甲・真宗大谷派常得寺 宮崎鶴吉 1 館林藩 館林招魂社祭神。
4 天童西松原官修墳墓 山形県天童市蔵増西松原 鈴木清六
桜井孫八
2 館林藩 館林招魂社祭神。
5 山形浄土院官修墳墓 山形県山形市漆山道下・浄土宗浄土院 梶塚正繁
森谷垂休
2 館林藩 館林招魂社祭神。
6 天童城廻官修墳墓 山形県天童市北目 井上文蔵 1 天童藩
7 天童小畑官修墳墓 山形県天童市仲町・浄土宗三宝寺 佐藤瓶右衛門
喜多村源吾
喜多村小次郎
山本外也
北村金太夫
5 天童藩
8 天童善行寺官修墳墓 山形県天童市三日町・真宗大谷派善行寺 緒形直人
野村半左衛門
小林三平
五百沢安兵衛
4 天童藩 松本鼎蔵墓もある
9 天童仏向寺官修墳墓 山形県天童市小路・浄土宗仏向寺 吉田大八
海野彦吉
結城民次郎
加藤仙太郎
4 天童藩
10 永林寺官修墳墓 山形県西村山郡朝日町大谷・曹洞宗永林寺 白田外記
三浦蔵人
2 神職 大谷天満宮と若宮八幡宮の神職
11 舟形沖の原官修墳墓 山形県最上郡舟形町舟形沖の原 大野阪次郎俊明
白塚藤吾
伊藤亀助
斉藤竹蔵
4 山口藩、新荘藩
12 新庄如法寺官修墳墓 山形県新庄市鳥越・曹洞宗如法寺 横山善太夫 1 新荘藩
13 新庄円応寺官修墳墓 山形県新庄市金沢・曹洞宗円応寺 白土安右衛門
渡辺好右衛門
2 新荘藩
14 新庄接引寺官修墳墓 山形県新庄市下金沢町・浄土宗接引寺 富塚寛治 1 新荘藩
15 新庄松巌寺官修墳墓 山形県新庄市鉄砲町・天台宗松巌寺 北条左金太
吉高伝治
2 新荘藩
16 新庄長泉寺官修墳墓 山形県新庄市鉄砲町・曹洞宗長泉寺 尾形与左衛門
金田秀太郎
内藤亀太郎
後藤運平
大内亦右衛門
5 新荘藩
17 新庄善正寺官修墳墓 山形県新庄市沖の町・真宗大谷派善正寺 津田求馬
田口泰助
林順太郎
源七
4 新荘藩
18 新庄善龍寺官修墳墓 山形県新庄市万場町・真宗大谷派善龍寺 竹内藤槌秀晴
吉松又助政房
大枝鉄次郎義風
助七
執行善吉郎
加藤安五郎
6 山口藩、佐賀藩、新荘藩
19 新庄瑞雲院官修墳墓 山形県新庄市十日町・曹洞宗瑞雲院 天野権太夫
納三之丞
武石五十馬
黒田隼太
4 新荘藩 納三之允とも。
20 新庄会林寺官修墳墓 山形県新庄市十日町・曹洞宗会林寺 佐々木力平
遅沢嘉七
2 新荘藩
21 新庄中山官修墳墓 山形県新庄市十日町中山 熊沢源次郎 1 新荘藩
22 新庄桂嶽寺官修墳墓 山形県新庄市十日町・臨済宗妙心寺派桂嶽寺 中村忠五郎
松井政吉
2 新荘藩
23 新庄英照院官修墳墓 山形県新庄市十日町太田・曹洞宗英照院 庄司彦次郎 1 新荘藩
24 新庄鉄砲町官修墳墓 山形県新庄市鉄砲町 中鉢多吉 1 新荘藩
25 新庄元宮内官修墳墓 山形県新庄市五日町 山科丹治 1 新荘藩
26 新庄前表官修墳墓 山形県新庄市五日町前表面? 伊藤段之助 1 新荘藩
27 舟形定泉寺官修墳墓 山形県最上郡舟形町舟形・曹洞宗定泉寺 堀彦右衛門
河上雅右衛門
小屋春五郎
3 新荘藩
28 顕行寺官修墳墓 山形県最上郡鮭川村京塚・真宗大谷派顕行寺 十時平太 1 新荘藩
29 鶴岡南町官修墳墓 山形県鶴岡市 寺内郡治
高橋忠七
多々良哲之助
関甚二
川原泰蔵
安達清太
樋口泉兵衛
元山源太
高橋惣右衛門
荒木文八郎
西久保平九郎
福崎良一
他姓名不詳18人
30 秋田藩、亀田藩、肥前深堀領、佐賀藩、足守藩、高鍋藩 常念寺に移転か??
30 鶴岡三日町官修墳墓 山形県鶴岡市昭和町・真宗大谷派長円寺 片桐喜八郎
佐藤敬吾
2 新発田藩
31 清川官修墳墓 山形県東田川郡庄内町清川上川原 松本重行
内田公徳
2 山口藩
32 吹浦官修墳墓 山形県飽海郡遊佐町吹浦三崎 豊間源之進 1 秋田藩
33 鹿児島藩山形官修墳墓 山形県山形市小荷駄町・山形招魂社旧地 田尻平太郎
徳田助左衛門
久永龍助
内丸休太夫
谷崎喜左衛門
久保源蔵
本吉正八郎
隈元仙太郎
池田覚十郎
清吉
10 鹿児島藩 山形招魂社の旧地の小荷駄町にあったが合葬墓に建て替えられた。のち山形県護国神社出羽国分寺に隣接する山形県山形市薬師公園に移転したとみられる。「戊辰薩藩戦死者墓」。
34 山形七日町官修墳墓 山形県山形市七日町 鳥居吉次郎 1 山形藩
35 山形来迎寺官修墳墓 山形県山形市七日町・浄土宗来迎寺 柘植仲蔵
稲葉半兵衛
2 山形藩 川越祐二久基もある。稲葉墓は無縁仏の中にある
36 山形長源寺官修墳墓 山形県山形市七日町・曹洞宗長源寺 赤星守人 1 山形藩 豊島彦太郎墓、水野三郎右衛門墓もある
37 山形大宝寺官修墳墓 山形県山形市小姓町・日蓮宗大宝寺 松崎竹四郎
前田庄助
2 山形藩 木原長吉墓もある
38 山形光禅寺官修墳墓 山形県山形市鉄砲町・曹洞宗光禅寺 小林栄 1 山形藩
39 山形浄光寺官修墳墓 山形県山形市八日町・日蓮宗浄光寺 加藤雅蔵
永井熊次郎
大久保伝平
3 山形藩 柘植長左衛門墓、松崎主計墓、宮本熊太郎墓もある
40 山形七日町官修墳墓 山形県山形市七日町 高宮猪兵衛 1 山形藩
41 米沢東源寺官修墳墓 山形県米沢市中央・曹洞宗東源寺 松本誠蔵 1 米沢藩
42 米沢輪王寺官修墳墓 山形県米沢市福田町・曹洞宗輪王寺 堀尾啓助 1 米沢藩

07 福島県

『大日本帝国内務省統計報告』によると186所があった。一つの墓地に複数カ所あった可能性がある。

  • 稲荷神社官修墳墓:福島県福島市。福島稲荷神社内。世良修蔵、勝見善太郎、松野儀助、繁蔵。官修墳墓明細帳[22]
  • 宝林寺官修墳墓:福島県福島市。時宗宝林寺。東裏通官修墳墓。山口藩野村十郎、山口藩中村小次郎、佐賀藩、山口忠右衛門安正。官修墳墓明細帳[23][24]
  • 西蓮寺官修墳墓:福島県福島市。戸田主水、西島新蔵。[25]
  • 置賜通官修墳墓:福島県福島市。[26]
  • 立小山官修墳墓:福島県福島市。[27]
  • 長寿院官軍墓地:候補地。福島県白河市。
  • 増淵勝蔵墓:候補地。清光寺
  • 農民深谷政右衛門墓:候補地。
  • 東明寺官軍墓地:候補地。福島県会津若松市。
  • 洞雲寺墓地:候補地。福島県相馬市。
  • 新福寺墓地:候補地。福島県南会津郡只見町。
  • 龍泉寺墓地:候補地。福島県南会津郡只見町。
  • 大竹繁三郎墓:候補地。福島県白河市。
  • 白河城 薩摩藩墓所:候補地。福島県白河市。
  • 軍夫吉五郎墓:候補地。福島県白河市。
  • 加藤善三郎墓:候補地。福島県白河市。
  • 「長州大垣藩六人之墓」:候補地。福島県白河市。
  • 観音寺墓地:候補地。福島県白河市。
  • 正金寺墓地:候補地。福島県白河市。
  • 伊達郡川俣町寺久保。1人。福島県伊達郡統計書 大正4年[28]
  • 伊達郡川俣町愛宕前。2人
  • 伊達郡小綱木村関白。1人。
  • 伊達郡富田村鶴沢。1人。
  • 伊達郡富田村鶴沢。1人。
  • 伊達郡富田村鶴沢。1人。
  • 伊達郡福田村秋山作ノ入。1人。
  • 伊達郡飯野村。1人。
  • 喜多方[29]
  • 現行福島県令規全集 :官修墳墓の玉垣の見本絵図[30]
  • 融通寺官修墳墓:会津若松。[31][32]

08 茨城県

『大日本帝国内務省統計報告』によると14所があった。多賀、西葛飾、猿島、結城、岡田、豊田にあった[33]

09 栃木県

『大日本帝国内務省統計報告』によると83所があった。

10 群馬県

『大日本帝国内務省統計報告』によると7所があった。1934『上毛及上毛人』「維新殉職烈士の官修墳墓」[34]に簡潔に7カ所が記されている。以下には含まれていないが1880年(明治13年)6月3日、群馬県布達丁第12号[35]で新保村の関口長三郎墓高崎市の岡登嘉藤次墓が挙げられている。

  • 1法輪寺官修墳墓:群馬県館林市朝日町:戸谷戸助:曹洞宗法輪寺。館林招魂社祭神。館林市誌[36]
  • 2大道寺官修墳墓:群馬県館林市本町:富塚忠三郎:浄土宗大道寺。館林招魂社祭神。山形観音前官修墳墓もある。館林市誌[37]
  • 3大般若塚官修墳墓:群馬県利根郡みなかみ町永井:吉田善吉政明:吉井藩
  • 4大円寺官修墳墓:群馬県利根郡片品村土出:伊藤長三郎:曹洞宗大円寺:吉井藩
  • 5円通庵官修墳墓:群馬県利根郡片品村戸倉:今井弁助兼章:足利藩。冨士見旅館前。旧円通庵。今井弁輔。
  • 6貝沢官修墳墓:群馬県高崎市貝沢町:深田竹次郎:高崎藩。1880年(明治13年)6月3日、官修墳墓に指定(群馬県布達丁第12号[38])(深沢竹次郎とある)。
  • 7小幡官修墳墓:群馬県甘楽郡甘楽町小幡:小林仁右衛門:小幡藩。1880年(明治13年)6月3日、官修墳墓に指定(群馬県布達丁第11号[39])。

11 埼玉県

『大日本帝国内務省統計報告』によると1所があった。

  • 伊藤十郎定利墓:埼玉県熊谷市の報恩寺にある。山口藩足軽。

『埼玉県史』[40]

12 千葉県

『大日本帝国内務省統計報告』によると10所があった。

  • 浄勝寺墓地?
  • 海神念仏堂官修墳墓:2基。『船橋町志』[41]


  • 『千葉県統計表 明治14年』[42]

13 東京都

『大日本帝国内務省統計報告』によると25所があったが、不詳。

  • 大円寺墓地):候補地。東京都杉並区。鹿児島藩墓所がある。
  • 泉岳寺墓地):候補地。「明治戊辰芸州藩戦死者墓」がある。

14 神奈川県

『大日本帝国内務省統計報告』 によると3所あった。『神奈川県統計書』によると以下の3所。[43]。「西南戦役と神奈川県下の官修墓地」(未見)。

  • 大窪官修墳墓:神奈川県小田原市。「大窪村」とあるので、おそらく板橋地蔵堂の「明治維新官軍慰霊碑」。
  • 追浜官修墳墓:神奈川県横須賀市浦郷町。「浦郷官修墓地」ともいう。48基の墓碑。
  • 久保山官修墓地:神奈川県横浜市西区元久保町。横浜市営久保山墓地内にある。野毛の病院で死亡した兵士を葬った。

15 新潟県

『大日本帝国内務省統計報告』 によると83所あった。一つの墓地に複数カ所あった可能性がある。

  • 戊辰戦争殉難者墓苑:新潟県新潟市。現在は新潟県護国神社内に移転。
  • 高田官修墳墓:新潟県上越市大貫金谷山公園
  • 柏崎招魂所:新潟県柏崎市学校町。
  • 悠久山墓地か:悠久山招魂社内。戊辰戦争の死者は賊軍だが、西南戦争の死者は官軍。
  • 中浜古戦場墓地:新潟県村上市中浜。官軍の土佐藩5人、鹿児島藩3人、金沢藩2人、福井藩2人、新発田藩4人の墓がある。
  • 官軍塚:新潟県長岡市押切新田。金沢藩士4人。
  • 船岡山官軍墓地:新潟県小千谷市船岡。船岡公園の山上にある。約200基の墓碑が並ぶという。
  • 浦柄神社墓地:新潟県小千谷市浦柄。山口藩時山直八の他は幕府軍戦死者の墓碑が並ぶ。

16 富山県

17 石川県

18 福井県

  • 高階幾次郎墓:福井県唯一の官修墳墓。足羽山招魂社に併設。福井藩士。1868年(明治1年)8月11日、越後国蒲原郡小松の戦いで負傷し、帰郷後、1870年(明治3年)3月4日に死去。現存不明。「福井県における宗教関係公文書の史料学的考察(その2)」[44]

19 山梨県

  • なし

20 長野県

  • 明治19年6月2日の指示[45]
  • 小野寺幸雄「上水内郡中条村酒井文吉の墳墓維持について」[46]

21 岐阜県

  • なし

22 静岡県

  • なし

23 愛知県

  • なし

24 三重県

  • なし

25 滋賀県

『大日本帝国内務省統計報告』によると2所があった。下記はその候補地。

26 京都府

坂本龍馬など、幕末の抗争で亡くなった志士などの墓が多い。『大日本帝国内務省統計報告』によると29所があったとされる。『官修墳墓録』(『幕末維新京都史跡事典』所収)によると「唱義ノ部」として22号までと「樫原墳墓」の全23件の全被葬者をリストアップ(唱義は先駆して義を唱えたの意であり、維新前の意味だと思われる。そのためか戊辰戦争の墓所である相国寺と東福寺、北小路万之助墓はない)。1928『維新志士慰霊祭神名略記』「付録官修墳墓所在」によると京都霊山、相国寺、東福寺、天授庵、安祥院、清水寺、三縁寺、専修寺、華光寺、法林寺、青龍寺、天球院、伏見大黒寺、天王山、洛西川岡村の15所が記されている。以下の番号は「唱義ノ部」の号。参考長楽寺尊攘苑

名称 所在地 被葬者 概要
1 霊山官修墳墓 京都府京都市東山区清閑寺霊山町。京都霊山護国神社内。 74 1868年(明治1年)7月、山口藩主が設立、74柱(『官修墳墓録』)。
2 霊山官修墳墓 京都府京都市東山区清閑寺霊山町。京都霊山護国神社内。 89 1868年(明治1年)7月、山口藩主が設立、89柱(『官修墳墓録』)。
3 霊山官修墳墓 京都府京都市東山区清閑寺霊山町。京都霊山護国神社内。 28 1868年(明治1年)7月、山口藩主が設立、28柱(『官修墳墓録』)。
4 霊山官修墳墓 京都府京都市東山区清閑寺霊山町。京都霊山護国神社内。 7 1870年(明治3年)3月、福岡藩主が設立、7柱(『官修墳墓録』)。
5 霊山官修墳墓 京都府京都市東山区清閑寺霊山町。京都霊山護国神社内。 27 1869年(明治2年)9月、高知藩が設立、27柱(『官修墳墓録』)。
6 霊山官修墳墓 京都府京都市東山区清閑寺霊山町。京都霊山護国神社内。 4 1869年(明治2年)8月、丹羽貫之介が設立、六角獄舎で刑死した4柱(『官修墳墓録』)。
7 霊山官修墳墓 京都府京都市東山区清閑寺霊山町。京都霊山護国神社内。 37 1871年(明治4年)4月改葬、天誅組および生野義挙殉難者37柱(『官修墳墓録』)。
8 霊山官修墳墓 京都府京都市東山区清閑寺霊山町。京都霊山護国神社内。 3 1868年(明治1年)7月、高知藩が設立、3柱(『官修墳墓録』)。坂本龍馬と中岡慎太郎と藤吉。
9 霊山官修墳墓 京都府京都市東山区清閑寺霊山町。京都霊山護国神社内。 8 1863年(文久3年)から1869年(明治2年)にかけて設立、8柱(『官修墳墓録』)。
10 専修寺官修墳墓 京都府京都市右京区鳴滝(元は京都府京都市中京区清水町付近)。専修寺京都別院内。 1 元は子院龍源寺にあった。飯田忠彦の墓。
11 安祥院官修墳墓
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京都府京都市東山区遊行前町。安祥院内。 1 梅田雲浜の墓。
12 華光寺官修墳墓 京都府京都市上京区七番町。華光寺内。 1 宇喜多一蕙の墓
13 青龍寺官修墳墓 京都府京都市東山区南町。京都・青龍寺内。 1 近藤正慎の墓
14 霊山官修墳墓 京都府京都市東山区清閑寺霊山町。京都霊山護国神社内。 3 設立年不詳。3柱(『官修墳墓録』)。
15 霊山官修墳墓 京都府京都市東山区清閑寺霊山町。京都霊山護国神社内。 5 1基(1877年(明治10年)5月)を除いて設立年不詳。5柱(『官修墳墓録』)。
16 霊山官修墳墓 京都府京都市東山区清閑寺霊山町。京都霊山護国神社内。 10 1863年(文久3年)から1877年(明治10年)にかけてと1898年(明治31年)に設立。10(『官修墳墓録』)。
17 清水寺官修墳墓 京都府京都市東山区清水。清水寺内。 2 月照と信海。住職墓地の中か。
18 大黒寺官修墳墓 京都府京都市伏見区鷹匠町。大黒寺内。 9 寺田屋騒動の死者を葬る。1864年(元治1年)10月、鹿児島藩設立、9柱(『官修墳墓録』)。
19 檀王法林寺官修墳墓 京都府京都市左京区法林寺門前町。檀王法林寺内。 1 高橋俊〓の墓。1866年(慶応2年)3月、高橋俊美が設立(『官修墳墓録』)。
20 天王山官修墳墓 京都府乙訓郡大山崎町大山崎天王山。 17 1868年(明治1年)3月、山口藩主が設立、真木保臣ら17柱(『官修墳墓録』)。
21 南禅寺官修墳墓 京都府京都市左京区南禅寺福地町。南禅寺天授庵内。 1 梁川星巌の墓。1858年(安政5年)10月、妻が設立(『官修墳墓録』)。
22 三縁寺官修墳墓
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京都府京都市左京区岩倉花園町(元は京都府京都市東山区大橋町付近)。三縁寺内。 3 池田屋事件殉難者の宮部鼎蔵・松田範義・上松友胤を葬る。1870年(明治3年)7月、熊本藩士照幡寛胤が設立(『官修墳墓録』)。
樫原官修墳墓
樫原殉難志士墓 (3).jpg
京都府京都市西京区樫原秤谷町。 3 禁門の変で戦死した山口藩士楳本僊之介、鹿児島藩士(宇都宮藩に身を寄せた)相良頼元、相良新八郎を葬る。1864年(元治1年)7月21日、庄屋の指揮で岡村の住民が埋葬し、1905年(明治38年)7月に官費で墓碑を改造した(『官修墳墓録』)。樫原三殉難志士墓。
鹿児島藩相国寺墓地
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京都府京都市上京区相国寺門前町。相国寺東側 61 61柱(『略記』)。
山口藩東福寺墓地 京都府京都市東山区本町。東福寺裏の仲恭天皇陵隣接地 39 官修墳墓のリストにも官祭招魂社のリストにもある。社殿はない。39柱(『略記』)。
妙心寺官修墳墓 京都府京都市右京区花園妙心寺町。妙心寺天球院内。 1 北小路万之助の墓。『略記』。
候補地(山国隊墓地
山国護国神社・山国隊墓地A (1).jpg
京都府京都市右京区京北辻町清水谷。山国護国神社内。 7 山国隊の戊辰戦争の戦没者7人を祀る。
候補地(六角獄舎殉難志士之墓) 京都府京都市上京区行衛町。京都・竹林寺内。
候補地(丹波・金輪寺京都府亀岡市宮前町宮川神尾山。丹波・金輪寺内。 頼三樹三郎と桜井頼直の遺髪墓・招魂碑の他、官修墳墓のような石碑が並ぶ。
候補地(山口藩上善寺墓地
京都上善寺・山口藩首塚 (3).jpg
京都府京都市北区上善寺門前町。上善寺内。
候補地(山口藩相国寺墓地
山口藩相国寺墓地003.jpeg
京都府京都市上京区相国寺門前町。相国寺内。 相国寺総墓地内。長藩士戦亡霊塔。禁門変長州藩殉難者塔。1907年(明治40年)9月建立(碑文)。
候補地(都城六勇士墓地
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京都府京都市南区唐橋井園町。狐塚墓地内。 7 鹿児島藩都城隊6人と東寺執行慶増の墓。
参考(佐土原藩招魂社
京都大雲院・佐土原藩招魂碑-02.jpeg
京都府京都市東山区祇園町南側(元は京都市下京区貞安前之町)。大雲院内に複製が現存。 実質的に石碑しかなかったが、官修墳墓ではなく官祭招魂社として扱われた。
参考(鹿児島藩招魂社京都府京都市東山区本町。東福寺即宗院内に現存。 実質的に石碑しかなかったが、官修墳墓ではなく官祭招魂社として扱われた。
参考(泉涌寺招魂社京都市東山区泉涌寺山内町。戒光寺泉涌寺内)にあったらしいが不詳。 実質的に石碑しかなかったが、官修墳墓ではなく官祭招魂社として扱われたと思われる。

27 大阪府

『大日本帝国内務省統計報告』によると2所があった。一つの墓地に複数カ所あった可能性がある。

28 兵庫県

29 奈良県

  • なし

30 和歌山県

  • なし

31 鳥取県

  • なし

32 島根県

  • なし

33 岡山県

『大日本帝国内務省統計報告』によると28所があったとされ、『岡山県護国神社百年史』に掲載する下記の28柱の墓と思われる。

  • 杉山喜之介節雄墓
  • 花房喜三太義忠墓
  • 霜山健次郎豊忠墓
  • 平井源八郎重道墓
  • 太田万治正順墓
  • 伊原儀左衛門悌盛墓
  • 尾関久五郎孝友墓
  • 内藤恵三郎信時墓
  • 岡竹助蔵直道墓
  • 石黒幸三郎正智墓
  • 塩尻鶴右衛門浜雄墓
  • 国末藤左衛門興晴墓
  • 中村亀之進成儀墓
  • 赤井虎蔵定致墓
  • 高木定之丞忠景墓
  • 田中兼治近吉墓
  • 岡崎秀松遠則墓
  • 朝倉芳之介時景墓
  • 長尾亀八景次墓:岡山県岡山市北区建部町西原の墓地に現存?
  • 伊原常三郎道行墓
  • 緒方益太郎邦昌墓
  • 斎藤小十郎墓:岡山県倉敷市の正福寺に現存?
  • 中西寿之介厚載墓
  • 三宅彦太郎守徳墓
  • 雀部八郎時宜墓
  • 梶川虎伝次盛久墓
  • 吉岡安次郎憶美墓
  • 山本五太夫林光墓

34 広島県

35 山口県

『大日本帝国内務省統計報告』によると24~26所あった。『山口県統計書』[47][48][49]に24所挙げられている。25、26という数字は数え方の違いか。吉田地方岩屋ケ浴官修墳墓は2カ所[50]、大田光明寺官修墳墓[51]や下関本行寺官修墳墓[52]が複数カ所で数えられていた可能性がある。

名称 所在地 被葬者 所属 概要
1 小瀬官修墳墓 山口県岩国市小瀬屋敷・曹洞宗籌勝院 松田高義
堀宮治郎
菊池十郎
卯山卯作
木山谷五郎
木田浅吉
松山才熊
鰐口市之進
石津庄吉
吉村権吉
岡本松右衛門
金子健之輔
野村正之進
藤井太一郎
義助
有田要助
波多野安熊
藤井忠吉
又左衛門
19 山口藩 四境戦争芸州口の戦死者19人。1874年(明治7年)7月、井川道栄が創設。松田高義、堀宮治郎、菊池十郎、卯山卯作、木山谷五郎、木田浅吉、松山才熊、鰐口市之進、石津庄吉、吉村権吉、岡本松右衛門、金子健之輔、野村正之進、藤井太一郎、義助、有田要助、波多野安熊、藤井忠吉、又左衛門とみられる(山口県風土誌[53])。『維新の群像』[54]には34人の名前が上がる。
2 岡の寮官修墳墓 山口県岩国市本郷町岡の寮 西熊之助
松尾諦蔵
幸阪好次郎
今澄久吉
石津松之助
永村貞之進
南部恵人
溝部虎之助
奥村市松
岩崎源次郎
片山吉右衛門
仲田茂吉
国助
清太郎
14 山口藩 四境戦争14人。1866年(慶応2年)山口藩が創設。西熊之助、松尾諦蔵、幸阪好次郎、今澄久吉、石津松之助、永村貞之進、南部恵人、溝部虎之助、奥村市松、岩崎源次郎、片山吉右衛門、仲田茂吉、国助、清太郎とみられる(山口県風土誌[55])。『維新の群像』[56]には以上に加えて富永為之進の名がある。
3 山口大道寺官修墳墓 山口県山口市名田島・曹洞宗大道寺 藤井伊之輔
杉山守孝
伊藤頼利
久兵衛
久兵衛
5 山口藩 1870年(明治3年)脱隊騒動の戦死者5人。1870年(明治3年)2月、山口藩が創設。墓碑のほかに祠があるようだ。藤井伊之輔直常、杉山守孝、伊藤頼利、久兵衛(常備兵夫卒)、久兵衛(第四大隊夫卒)(1963『明治維新と山口市』[57]、『山口県風土誌』[58])。
4 山口海善寺官修墳墓 山口県山口市小郡上郷・浄土宗海善寺 玉木彦介
玉木友一
高田半蔵
3 山口藩 1865年(慶応1年)内乱と1870年(明治3年)脱隊騒動の戦死者3人。1865年(慶応1年)2月、御楯隊と膺懲隊が創設。玉木彦介、玉木友一、高田半蔵(山口県風土誌[59])。『維新の群像』[60]によると5人の名前がある。
5 山口岸本官修墳墓 山口県山口市小郡上郷 生雲六郎 1 山口藩 1870年(明治3年)脱隊騒動の戦死者1人。1870年(明治3年)2月、山口藩が創設。出雲六郎(生雲六郎)(山口県風土誌[61])。
6 山口岡山官修墳墓 山口県山口市小郡上郷 野々村三郎 1 山口藩 1865年(慶応1年)内乱の戦死者1人。1865年(慶応1年)2月、八幡隊が創設。野々村三郎(山口県風土誌[62])。
7 山口東泉寺官修墳墓 山口県山口市秋穂東・浄土真宗東泉寺 山県直介 1 山口藩 1870年(明治3年)脱隊騒動の戦死者1人。1870年(明治3年)2月、山口藩が創設。山県直介(山口県風土誌[63])。
8 堂の尾官修墳墓 山口県下関市吉田・曹洞宗宗蓮寺跡 飯田幸十郎
河村徳三郎
久松
3 山口藩 四境戦争の戦死者3人(2人は誤りか)。飯田幸十郎、河村徳三郎、久松(山口県風土誌[64])。1866年(慶応2年)、奇兵隊が創設。東行庵に移設したという。「奇兵隊堂ノ尾墓地」。
9 下関法専寺官修墳墓 山口県下関市吉田地方吉田五区埴生口・浄土宗法専寺 御手洗音五郎
阿川四郎
磯野虎之丞
3 山口藩 四境戦争戦死者3人。1866年(慶応2年)、山口藩が創設。御手洗音五郎、阿川四郎、磯野虎之丞(山口県風土誌[65])。他にも関連人物の墓碑がある。
10 吉田地方岩屋ケ浴官修墳墓 山口県下関市吉田地方・曹洞宗常関寺 松原与兵衛
堀瀧太郎
本郷志摩之助
伊藤虎松
本多虎之助
権兵衛
6 山口藩 1867年(慶応3年)戦役の戦死者6人。1866年(慶応2年)奇兵隊が創設。松原与兵衛、堀瀧太郎、本郷志摩之助、伊藤虎松、本多虎之助、権兵衛か(山口県風土誌[66])。古川順蔵、権右衛門の墓碑もあるという[67]
11 吉田地方神田官修墳墓 山口県下関市吉田地方 今井満太郎 1 山口藩 1866年(慶応2年)戦役の戦死者1人。1866年(慶応2年)山口藩が創設。今井満太郎(山口県風土誌[68])。東行庵に移転か。
12 吉田地方大判官修墳墓 山口県下関市吉田地方 渡辺逸蔵
平賀惣四郎
福間辰之助
3 山口藩 1866年(慶応2年)戦役の戦死者3人。1866年(慶応2年)山口藩が創設。渡辺逸蔵、平賀惣四郎、福間辰之助(山口県風土誌[69])。
13 下関本行寺官修墳墓 山口県下関市赤間町・日蓮宗本行寺 福田直右衛門
順海坊鬼顔
福田弥太郎
松江安右衛門
森脇三左衛門
町田道之助
北島保助
正木泰三
水津惣之助
森重菊次郎
藤田吉作
森永光之進
隅次郎
山本宗之進
大枝八郎
飯田梅之丞
山田鵬輔
中村水穂
重富秀之進
関口弥太郎
阿部宗兵衛
村上小次郎
山内賢之丞
上田仁兵衛
西村利吉
中川源太郎
26 山口藩 1863年(文久3年)・1864年(元治1年)・1866年(慶応2年)の戦役の戦死者26人。1864年(元治1年)、奇兵隊と八幡隊が創設。福田直右衛門、順海坊鬼顔、福田弥太郎、松江安右衛門、森脇三左衛門、町田道之助、北島保助:北島保介、正木泰三:正木泰蔵、水津惣之助:水津総之助、森重菊次郎、藤田吉作、森永光之進、隅次郎、山本宗之進:桜山になし(山本泰蔵?)、大枝八郎、飯田梅之丞:飯田梅之進、山田鵬輔、中村水穂、重富秀之進、関口弥太郎、阿部宗兵衛、村上小次郎:村上小治郎、山内賢之丞、上田仁兵衛、西村利吉:西林利吉、中川源太郎:桜山招魂社の杉山源太郎か(山口県風土誌[70])。ブログ『試撃行』[71]によると「戦死之塚」に29人の名前があり3人多い。
14 下関光明寺官修墳墓 山口県下関市細江町・浄土真宗光明寺 伊藤禎三 1 山口藩 1866年(慶応2年)戦死者1人。伊藤禎三(伊藤禎蔵。贈従五位)(山口県風土誌[72])。1866年(慶応2年)山口藩が創設。いわゆる「光明寺党」がここで結成。
15 下関東光寺官修墳墓 山口県下関市豊前田町・曹洞宗東光寺 粂八
藤吉
虎蔵
山本弥八
斎藤亀蔵
5 山口藩 東光寺は奇兵隊本陣。1863年(文久3年)壬戌丸撃沈での戦死者5人。1863年(文久3年)山口藩が創設。粂八、藤吉、虎蔵、山本弥八、斎藤亀蔵(山口県風土誌[73])。1972年(昭和47年)に東行庵に移転か。『彦島のけしき』[74]
16 下関引接寺官修墳墓 山口県下関市中之町・浄土宗引接寺 (不詳) 1 山口藩 1人。不詳。可能性の一つとして国事に奔走した住職、穏誉宝道(知恩院宮院家、万里小路家猶子)は考えられないか。
17 下関了円寺官修墳墓 山口県下関市大平町・浄土真宗了円寺 山崎四方七
山城平吉
秋枝庄太郎
3 山口藩 1866年(慶応2年)戦死3人。1866年(慶応2年)山口藩が創設。山崎四方七、山城平吉、秋枝庄太郎(山口県風土誌[75])。
18 下関大乗寺官修墳墓 山口県下関市長府金屋町・浄土宗大乗寺 橋本虎松
中村元之進
2 山口藩 1866年(慶応2年)戦死2人。1866年(慶応2年)山口藩が創設。橋本虎松、中村元之進(山口県風土誌[76])。
19 勝野原官修墳墓
中山忠光墓-04.jpeg
山口県下関市綾羅木本町 中山忠光 1 公家 中山忠光1人。1865年(慶応1年)11月、長府藩が創設。合わせて長門・中山神社が建てられた。
20 大田光明寺官修墳墓 山口県美祢市美東町大田・浄土真宗光明寺 天宮慎太郎
藤村太郎
三宅秀之進
斎藤竹之進
松浦喜代三
世木騎録
田中英作
田村熊吉郎
柳半之丞
佐伯太三郎
西山八十槌
守田謙治
中村与七
13 山口藩 1865年(慶応1年)内乱戦死者13人。1865年(慶応1年)、奇兵隊・南園隊・八幡隊が創設。『維新の群像』[77]によると17人の名前がある。「官修墳墓」の石碑が立つ。天宮慎太郎、藤村太郎、三宅秀之進、斎藤竹之進、松浦喜代三(松浦喜代蔵)、世木騎録、田中英作、田村熊吉郎、柳半之丞、佐伯太三郎(佐伯多三郎)、西山八十槌、守田謙治、中村与七(山口県風土誌[78])。近くの金麗社に「殉難十七士之碑」がある。
21 大田天神峠官修墳墓 山口県美祢市美東町大田・天神峠 石田三千代
別当利吉
2 山口藩 1865年(慶応1年)内乱戦死者2人。石田三千代、別当利吉(山口県風土誌[79])。1865年(慶応1年)八幡隊が創設。1913年(大正2年)大田光明寺官修墳墓に合併か。[80]
22 大田呑水峠官修墳墓 山口県美祢市美東町大田・呑水峠 萩原忠一郎
田村勇人
2 山口藩 1865年(慶応1年)内乱戦死者2人。1865年(慶応1年)遊撃隊が創設。萩原忠一郎、田村勇人(山口県風土誌[81])。1913年(大正2年)大田光明寺官修墳墓に合併か[82]
23 赤妻官修墳墓
赤妻神社・錦小路頼徳墓・正面 (4)★.jpg
山口県山口市下宇野令 錦小路頼徳 1 公家 錦小路頼徳1人。合わせて赤妻神社が建てられた。1864年(元治1年)山口藩が創設。
24 江良官修墳墓 山口県山口市宮野下 田代三之進
平野光次郎
原川助右衛門
好兵衛
山県芳輔
依義帰忠
6 山口藩 1868年(明治1年)に戊辰戦争などで戦傷死した6人。1868年(明治1年)山口藩が創設。江良招魂社を併設。田代三之進、平野光次郎、原川助右衛門、好兵衛、山県芳輔、依義帰忠(依義復忠道)と思われる(1901『山口県風土誌』[83])。廃絶か。現在の防長英霊塔の地か。

36 徳島県

  • なし

37 香川県

  • なし

38 愛媛県

  • なし

39 高知県

  • なし
  • (野根山二十三士墓):高知県安芸郡田野町。福田寺。

『志士は今も生きているーその墓所をたづねて』[84](館内限定)

40 福岡県

『大日本帝国内務省統計報告』によると8所があった。下記を含むと思われる。一つの墓地に複数カ所あった可能性がある。

41 佐賀県

佐賀の乱があった。『大日本帝国内務省統計報告』によると10所があった。下記を含むと思われる。一つの墓地に複数カ所あった可能性がある。

万部島招魂場は該当しないか)

42 長崎県

『大日本帝国内務省統計報告』によると17所があったが1墓地ごとに複数カ所が数えられていると思われる。

43 熊本県

西南戦争の激戦地。『大日本帝国内務省統計報告』によると163所があったが下記の1墓地ごとに複数カ所が数えられていると思われる。1907年(明治40年)まで96カ所が数えられ、翌年に1カ所増え97カ所が長く続いたが、1921年(大正10年)から急増して163カ所となった。詳細は不明だが、追加の指定があったか、管理などの都合で分割されたかしたのかもしれない。また以下の墓地とは別に京都の霊山官修墳墓内に熊本藩招魂社がある。

44 大分県

『大日本帝国内務省統計報告』によると12所があった。下記の墓地にそれぞれ複数カ所あった可能性がある。

45 宮崎県

『大日本帝国内務省統計報告』によると12所があった。『宮崎県政八十年史』[85]によると以下の12カ所。明治23年宮崎県訓令78号「官祭招魂社及官軍墳墓取扱手続」[86]には8カ所として記載。

  • 大塚城之下官修墳墓:(不詳):宮崎県宮崎市大塚町城ノ下?:付近に長久寺がある。明治10年8月、宮崎郡大淀村大塚に開設。明治40年1月、恒久官修墳墓と共に大淀村大塚城ノ下に改葬した。大淀村官修墳墓地。(宮崎県案内記[87]
  • 日知屋遠ケ崎官修墳墓:細島官軍墓地:宮崎県日向市日知屋:
  • 日知屋遠ケ崎官修墳墓第2区:
  • 日知屋遠ケ崎官修墳墓第3区:
  • 日知屋遠ケ崎官修墳墓第4区:
  • 日知屋遠ケ崎官修墳墓第5区:
  • 日知屋遠ケ崎官修墳墓第6区:
  • 台雲寺三福寺官修墳墓:岡富官軍墓地:宮崎県延岡市北町:三福寺か。
  • 美々津正覚寺官修墳墓:(不詳):宮崎県日向市美々津町?:美々津共同墓地か。明治11年2月開設。細谷卓良。美々津官修墳墓地。(宮崎県案内記[88]
  • 福島今町官修墳墓:(不詳):宮崎県串間市西方?:
  • 飯野坂元官修墳墓:坂元官軍墓地:宮崎県えびの市坂元:
  • 三田井城ノ平官修墳墓:高千穂官軍墓地:宮崎県西臼杵郡高千穂町三田井:明治10年6月開設。40人埋葬。三田井官修墳墓地。(宮崎県案内記[89]
  • 恒久官修墳墓:宮崎県宮崎市恒久?:真光寺?真光寺は中村東に移転。明治40年1月、大塚官修墳墓に改葬。


46 鹿児島県

『大日本帝国内務省統計報告』によると29所があった。下記が候補。1920年ごろ合併(官報[90])が行われたようだが、数は逆に増えている。

  • 祇園之洲官修墳墓:鹿児島県鹿児島市。祇園洲官軍墓地、鹿児島官軍墓地ともいう。
  • 岩川官軍墓地:鹿児島県曽於市大隅町。合併されなかった?
  • 鹿児島市松原町
  • 指宿郡今和泉村城尾
  • 薩摩郡東水引村太平寺
  • 薩摩郡宮之城町屋地
  • 月照墓:候補地

47 沖縄県

  • なし

資料

  • 『大日本帝国内務省統計報告』
  • 「官修墳墓の維持・管理及び祭祀について」[91]:1957年(昭和32年)10月3日閣議了解。
  • 1954『社寺境内地処分誌』「境内墓地」[92]
  • 渡邊ゆきの2017「戊辰戦争戦没者の墓石の劣化状態」[93]

脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%AE%98%E4%BF%AE%E5%A2%B3%E5%A2%93」より作成

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