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上総・正法寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年12月2日 (水)

小西檀林から転送)
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正法寺(しょうぼうじ)は、千葉県大網白里市にある日蓮宗寺院。日蓮宗久遠寺派の由緒寺院・本山。かつての関東八檀林の一つ。最盛期には900人の学僧を擁した関東三大檀林の一つ(他は飯高壇林中村檀林)で小西檀林、あるいは小西大檀林と呼ばれた。小西法縁の発祥地。江戸谷(えどさく)、藻原谷、伊豆谷の三つの学寮があった。開山は妙高院日意、開基は原胤継。檀林の開祖は通王院日裕。(参考:同名寺院正法寺

目次

歴史

1458年(長禄2年)、上総の豪族の原胤継(小西殿)が小西にあった阿弥陀堂を破壊し、法華堂を建て、本土寺7世の妙高院日意を招いて正法寺を創建。妙高山と号した。以後、本土寺と両山一致制とした。のち、1590年(天正18年)、本土寺13世の妙道院日悟が正法寺に入り、7世となると、学室を設置し、通王院日裕京都松ケ崎檀林より招いて開講した。翌年、徳川家康より朱印30石を与えられ、小西檀林が成立した。

1626年(寛永3年)、将軍徳川秀忠が増上寺法要に諸宗の僧の出仕を命じると6世化主日領は、法華経寺日賢、池上本門寺日樹とともに不受義を主張して拒否。1630年(寛永7年)流罪となり、歴代から除かれた。 檀林は荒廃したが、13世化主要玄院日寛の時代、徳川家光は檀林の衰退を聞き、東金鷹狩御殿を与え、移築。日寛は不受義を排除し、檀林を中興する。くだって1873年(明治6年)5月10日、祥見院日旋が化主329世となるが、同年11月16日火災が生じ、山内70棟以上が焼失、そのまま檀林は廃止された。

伽藍

1791年(寛政3年)の絵図によると塔頭5寺、学舎73舎があったという。

  • 本堂:旧講堂。
  • 妙見堂
  • 江戸谷寮:江戸好(えどよしみ)ともいう。谷祖は要玄院日寛(本土寺21世、本遠寺6世)。谷の確立は16世化主の重玄院日超(幸龍寺住職、小室山妙法寺住職)の時とされる。甲斐・妙法寺、浅草幸龍寺(現在は烏山に移転)、深川浄心寺。
  • 藻原谷寮:藻原好ともいう。谷祖は14世化主の寂心院日覚。玄性院日俊(藻原寺21世)が勢力を確立する。藻原寺紀伊・報恩寺、本所法恩寺。
  • 伊豆谷寮:『諸檀林並精貞法類』には記載なし。沿革不詳。伊豆・本立寺伊豆・本覚寺、伊豆妙本寺。
  • 原胤継墓
  • 柏原神社:鎮守社。「小西檀林総鎮護」

組織

歴代住職

  • 1妙高院日意()<>:本土寺7世
  • 7妙道院日悟()<>:本土寺13世

歴代化主

  • 1通王院日裕()<>:松ケ崎檀林より招く。
  • (除歴)日領()<>:不受不施を主張して流罪。不受不施門流の前六聖人の一人。
  • 隆源院日莚(1609-1681)<>:身延29世。中村檀林化主10世。小西檀林化主。妙法華寺19世。妙顕寺15世。秋田に流罪。
  • 13要玄院日寛()<>:中興。本土寺21世、本遠寺6世。
  • 14寂心院日覚()<>:
  • 16重玄院日超()<>:幸龍寺住職、小室山妙法寺住職。
  • 329祥見院日旋()<>:最後の化主

参考文献

  • 景山尭雄等編、1918(大正7)『諸檀林並精貞法類』
  • 『日蓮宗本山めぐり』
http://shinden.boo.jp/wiki/%E4%B8%8A%E7%B7%8F%E3%83%BB%E6%AD%A3%E6%B3%95%E5%AF%BA」より作成

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