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山城・宝積寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2018年9月2日 (日)
宝積寺(ほうしゃくじ)は、京都府乙訓郡大山崎町大山崎の天王山にある真言宗寺院。本尊は十一面観音。行基の創建。離宮八幡宮の神宮寺の一つだった。真言宗智山派。通称は宝寺(財寺)。宝山寺とも呼ばれた。山号は天王山、補陀洛山、銭原山。(参考:同名寺院宝積寺)
歴史
神亀年間に行基が創建。近くに行基建立四十九院の一つ山崎院跡があり、その後身とする説もある。『続本朝往生伝』によると寂照(大江定基)が1003年(長保5年)の入宋の直前に宝積寺で法華八講を修した。 1202年(建仁2年)と1206年(建永1年)に藤原定家が参詣。1232年(貞永1年)に火災で焼失。すぐに再建され、現在の本尊もこの時の造立とみられている。1579年(天正7年)、織田信長が滞在。1582年(天正10年)には豊臣秀吉が寺の近くに城を築き、宝寺城と呼ばれた。江戸時代には無量寿院・大仙院・自性院・多聞院・松元坊・覚昇坊があった。西観音寺と交代で離宮八幡宮に奉仕した。1864年(元治1年)の禁門の変で負け、天王山で自刃した志士の墓が三重塔の前に設けられたが、参詣者が絶えなかったため、幕府方は藪の中に移した(のち酒解神社参道に改葬し天王山官修墳墓となる)。墓の跡地にはのち「殉国十七士墓」碑が建てられた。(日本歴史地名大系)