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岡宮天皇陵

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年8月23日 (水)

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奈良県高市郡高取町森にある追尊天皇草壁皇子(662-689)の陵墓。草壁皇子は天武天皇持統天皇の皇子で、尊号を岡宮天皇(おかのみや・てんのう)、岡宮御宇天皇(おかのみやにあめのしたしろしめししすめらみこと)という。真弓丘陵檀山陵森谷王塚古墳に比定される。素盞嗚命神社が隣接する。

歴史

草壁皇子は689年(持統3年)4月13日に死去。『日本書紀』には葬送を伝える記事はないが、『万葉集』などから「真弓丘」に葬られたことが分かる。758年(天平宝字2年)、甥にあたる淳仁天皇から岡宮御宇天皇の尊号を贈られた。正式にはこの時から天皇陵の扱いを受けるようになったと思われるが、以前から特別な扱いをされていた。陵墓とは直接関係ないが天皇の忌日法要である国忌の対象に707年(慶雲4年)、草壁皇子が加えられた。755年(天平勝宝7年)、聖武天皇の病気平癒祈願のために「山科、大内東西、安古、真弓、奈保山東西等山陵」に使者が派遣された。草壁皇子の「真弓」墓が、天智天皇陵天武天皇陵持統天皇陵文武天皇陵元明天皇陵元正天皇陵に並んで列挙されているのは注目に値する。765年(天平神護1年)10月15日、称徳天皇が紀伊に向かう途中、「檀山陵」で儀礼を行ったという。『延喜式』には「真弓丘陵」とある。


現在の森谷王塚古墳となったのは「文久の修陵」の際とみられるが、束明神古墳とする説もある。 (日本歴史地名大系、国史大辞典ほか)

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