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仲哀天皇旧跡

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2018年5月28日 (月)

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仲哀天皇旧跡

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左:伊佐爾波神社 参道 右:気比神宮


目次

概要

第14代仲哀天皇の旧跡。


事績伝説

皇宮

熊襲征討

崩御・殯斂地・陵墓・霊廟

気比信仰

仲哀天皇旧跡一覧

仲哀天皇旧跡
  名称 所在地 国郡 概要 社格など
皇宮・行在所
志賀高穴穂宮 高穴穂神社 滋賀県大津市穴太1-3-1 近江国志賀郡 景行天皇・成務天皇・仲哀天皇の志賀高穴穂宮跡に鎮座する神社。祭神は「景行天皇」である(滋賀県神社庁ウェブサイト)。「天徳前王社」「前王宮」「禅納大明神」などとも称した。景行天皇の崩御後、成務天皇(あるいは仲哀天皇)が景行天皇の神霊を皇宮内に祭ったのが創始という。境内社に筍飯神社がある。境内に「高穴穂宮址」碑がある。御旅所に仲哀天皇産湯がある。(『滋賀県神社誌』) (不詳)
笥飯宮 気比神宮 福井県敦賀市曙町11-68 越前国敦賀郡 仲哀天皇笥飯宮跡に鎮座する神社。笥飯宮は気比神宮の地にあったともいう。しかし、皇宮は神社とは別の所にあったという見解もある。別記項目も参照。 式内社・名神大社・越前国一宮・官幣大社・別表神社
気比行幸 気比神社 福井県敦賀市刀根21-8 越前国敦賀郡 仲哀天皇行在所跡地に鎮座する気比神社。祭神は、「仲哀天皇、大山祇命、神功皇后、日本武尊、素佐之男尊」である(『福井県神社誌』)。社伝によると、久々坂峠にあった仲哀天皇行在所を刀根に遷したものだという。御神体は最澄作の仲哀天皇像であるという(『史蹟勝地及天然記念物予備調査概要』)。境内に常宮社などがある。村社。(『史蹟勝地及天然記念物予備調査概要』、『福井県神社誌』) 村社
徳勒津宮 八幡宮(合祀) 和歌山県和歌山市新在家164 紀伊国名草郡 仲哀天皇徳勒津宮跡に鎮座していた八幡宮。祭神は「仲哀天皇、神功皇后、応神天皇」である(『和歌山市史要』149)。天正年間以前の創建と伝わる。天保3年に仁井田好古撰文の「徳勒津宮遺址碑」が建てられている。明治43年1月、日前国懸神宮末社、天斗麻弥神社に合祀された。現在は石碑のみがある。(大正4『和歌山市史要』149) (不詳)
徳勒津宮 天斗麻弥神社(日前神宮・国懸神宮末社) 和歌山県和歌山市秋月365 紀伊国名草郡 徳勒津宮八幡宮を合祀している神社。日前国懸神宮の末社である。現状は不詳。(大正4『和歌山市史要』149) 境内社
伊予行幸 伊佐爾波神社 愛媛県松山市桜谷町173 伊予国温泉郡 仲哀天皇・神功皇后行在所跡に鎮座する八幡宮。祭神は「神功皇后、仲哀天皇、応神天皇、三柱姫大神」である(ウェブサイト)。当初は道後公園山麓あたりにあったものとされ、建武年間ごろに湯築城築造に伴い、現在地に遷座したと推定されているという。現在の社殿は1667年に松山藩主松平定長によって造営されたもので、八幡造の社殿となっている。境内社に常盤社新田霊社(新田義宗、脇屋義治、松平定長)や高良玉垂社などがある。元神宮寺として宝厳寺(一遍誕生地)や石手寺がある。例祭に伴う喧嘩神輿が有名。「湯月八幡宮」「道後八幡宮」とも称した。(ウェブサイト) 式内社・県社
豊浦宮 忌宮神社 山口県下関市長府宮の内町1-18 長門国豊浦郡 仲哀天皇・神功皇后豊浦宮跡に鎮座する神社。祭神は神功皇后、仲哀天皇、応神天皇である。社伝によると、仲哀天皇が熊襲征討のために滞在した豊浦宮の跡地で、仲哀天皇崩御後、神功皇后は遺骸をこの地の土肥山(仲哀天皇殯斂地)に殯葬した。新羅征討からの凱旋ののち、仲哀天皇神霊を「豊浦宮」に祭ったのが創始という。のち聖武天皇の時代に香椎宮より分霊して神功皇后を祀る「忌宮」を建立し、応神天皇を祀る「豊明宮」を建立し、三殿別立となった。しかし、火災により社殿焼失し、三殿とも「忌宮」に合祀された。境内に「豊浦皇居跡」碑がある。別記項目も参照。(ウェブサイト) 式内社・長門国二宮・国幣小社・別表神社
彦島八幡宮 山口県下関市彦島迫町5-12-9 長門国豊浦郡 仲恭天皇行在所跡に鎮座する八幡宮。伊都県主が仲哀天皇を迎えた場所という。
橿日宮 香椎宮 福岡県福岡市東区香椎4丁目16-1 筑前国糟屋郡 仲哀天皇・神功皇后橿日宮跡に鎮座する神社・霊廟。祭神は「仲哀天皇、神功皇后」である(境内立札)。創建については古宮神社跡の項目を参照。もともと神社ではなく、仲哀天皇の「廟」であったが、のち神功皇后を祭る神社(聖母宮)として崇敬されるようになった。別記項目も参照。 官幣大社・勅祭社・別表神社
橿日宮 香椎宮 古宮神社跡 福岡県福岡市東区香椎3丁目12 筑前国糟屋郡 仲哀天皇・神功皇后橿日宮跡。仲哀天皇が神託を伺った「沙庭斎場」跡。仲哀天皇崩御地。香椎宮の旧鎮座地。香椎宮摂社古宮神社跡。仲哀天皇はここで崩御したが、棺を椎の木に立てかけたところ、良い香りが漂ってきたため、この地を香椎と名付けたという。天皇崩御後、神功皇后は直ちに宮跡に仲哀天皇を祭り、香椎廟(香椎宮)を創建した。養老7年(723年)2月6日、神功皇后の託宣が下り、神亀1年(724年)12月20日、神功皇后を合祀して現在地に遷座したという。中世、香椎宮本社の祭神が神功皇后のみとされるようになると、仲哀天皇神霊をここに遷して古宮神社として祀るようになったという。古宮神社は大正4年11月10日に香椎宮本社に合祀され、香椎宮主祭神に復したとされる。棺掛椎の神木があり、また「仲哀天皇大本営御旧跡」碑がある。(境内由緒書) 境内社
陵墓
陵墓 仲哀天皇陵 藤井寺比定地 大阪府藤井寺市藤井寺4丁目 河内国丹南郡 仲哀天皇の陵墓比定地。文久の修陵のときに仲哀天皇陵に定められる。岡ミサンザイ古墳。中世末ごろに城郭として用いられていたことが宮内庁や教育委員会の調査で判明している。岡ミサンザイ古墳は雄略天皇の陵墓という説もあるという。(『文久山陵図』) 皇室祭祀の陵墓
陵墓 仲哀天皇陵 上原伝承地 大阪府河内長野市上原西町 河内国錦部郡 仲哀天皇の陵墓伝承地。元禄の修陵のときに仲哀天皇陵に比定された。1698年(元禄11年)に修復。松下見林『前王廟陵記』もここを仲哀天皇陵とする。野作南交差点に元禄の修陵のときの「仲哀天皇御廟」碑が現存。のち「高向王墓」とされた。現在は送電線の鉄塔が建っている。陵墓に付随して仲哀天皇を祀る西山神社があったが明治末に合祀された。古墳とされるが学術調査はされておらず、古墳としての名称もない。開発による破壊が進んでいるようである。(尾谷雅比古 2009「陵墓伝承地の変遷と明治期の古墳保存行政」『桃山学院大学人間科学』36) 治定外陵墓
陵墓関連神社 西山神社(合祀) 大阪府河内長野市上原西町 河内国錦部郡 仲哀天皇陵上原伝承地に鎮座していた八幡宮。祭神は「スサノオ、足仲彦命、気長足比売命、武内宿祢」である(『大阪府神社史資料』800)。由緒は不詳である。領主本多家の崇敬を受ける。「上原八幡宮」「仲哀天皇宮」などと称していた。明治に「西山神社」と改称。1908年(明治41年)2月13日に西代神社に合祀された。境内社に八幡宮があった。村社。(尾谷雅比古 2009「陵墓伝承地の変遷と明治期の古墳保存行政」『桃山学院大学人間科学』36、『大阪府神社史資料』800頁) 村社
陵墓関連神社 西代神社 大阪府河内長野市西代町16-5 河内国錦部郡 西山神社を合祀した神社。 村社
陵墓 仲哀天皇陵 長野伝承地 福岡県糸島市川付787 筑前国怡土郡 仲哀天皇の陵墓伝承地。糸島の宇美八幡宮(長野八幡宮)境内の長嶽山にある。宇美八幡宮上宮(奥の院)が鎮座している。筑紫帰還後、神功皇后が武内宿祢に香椎宮にあった仲哀天皇の棺を当山に納め、陵墓を築いたという。古墳としては「奥の院古墳(長嶽山1号墳)」と呼ばれ、長嶽山古墳群の1基である。 治定外陵墓
陵墓関連神社 宇美八幡宮 (福岡県糸島市) 福岡県糸島市川付787 筑前国怡土郡 仲哀天皇の陵墓伝承地に鎮座する八幡宮。あるいは筑前国糟屋郡の宇美八幡宮の神領に建てられた分社ともいう(『筑前国続風土記』)。祭神は、「気比大神、八幡大神、仲哀天皇、神功皇后、玉依姫命」である(「府県社一覧」『神道史大辞典』)。「長野八幡宮」とも称す。『長野宇美八幡宮縁起』によると、神功皇后が新羅征討から帰還する途上、船の上で老翁が出現し、名前を問うたところ、新羅の神で、清瀧権現と名乗ったという。筑紫帰還後、武内宿祢に香椎宮の仲哀天皇の棺を当山に納め、陵墓を築いたという。また武内宿祢に命じて、清瀧権現を祀らせたという。仁徳天皇10年、平群木菟宿祢が気比大神を祭り、神護景雲丁未年に八幡宮、香椎聖母宮、宝満宮を勧請したという。後方の長嶽山には古墳が多数あり、長嶽山古墳群と呼ばれている。そのうちの1基「奥の院古墳(長嶽山1号墳)」が陵墓とされている。(『太宰管内志 上』56-57頁) 県社
陵墓 仲哀天皇陵 宇美伝承地 福岡県糟屋郡宇美町宇美1丁目1-1 筑前国糟屋郡 仲哀天皇の陵墓伝承地。宇美八幡宮(糟屋郡)の入口にあった塚。貝原益軒著『宇美八幡宮縁起』に「後に豊浦宮、宇佐宮、此御宮にも仮墓を建て仲哀天皇を祭り奉る。今にありうみの宮の前に石陵あるは之なり。」とある。現存しないようである。 治定外陵墓
陵墓 仲哀天皇陵 大分伝承地 福岡県飯塚市大分1272 筑前国穂波郡 仲哀天皇の陵墓伝承地。大分八幡宮境内の後ろの山上が仲哀天皇陵だという。「嶽の宮」という祠があり、大分八幡宮の旧鎮座地という。ただし、仲哀天皇陵伝承は古書には確認できない。大分八幡宮は筥崎宮の元宮とされる八幡宮で、宇佐八幡宮五所別宮の第一とされる。(境内由緒書、『筑前名所図会』) 治定外陵墓
陵墓 仲哀天皇偽陵伝承地 兵庫県神戸市垂水区五色山4丁目 播磨国明石郡 仲哀天皇の偽陵伝承地。『日本書紀』によると、神功皇后が新羅征討から帰還して、畿内に入る際に、王子香坂王・押熊王の反乱があった。王子は神功皇后軍を邀撃するために、仲哀天皇の陵墓を築造すると称して、要塞を築いた。これが五色塚古墳(五色山古墳、千壺古墳)とされる。江戸時代には実際に仲哀天皇陵だとも伝承されていた(西村白鳥『煙霞綺談』)。(摂津郷土史論、清野謙次『日本考古学・人類学史』) 治定外陵墓
殯斂地 仲哀天皇殯斂地 長府伝承地 山口県下関市長府侍町1丁目10-1 長門国豊浦郡 仲哀天皇の殯斂地伝承地。豊浦宮跡にある忌宮神社向かいの土肥山にある。臨済宗日頼寺に付属している。日頼寺は江戸時代初期に創建された長府毛利家の菩提寺。日頼寺には殯斂地に関する1351年(正平6年/観応2年)の綸旨が残されている。1902年(明治35年)10月に宮内省指定(未確認)。付随して安良塚、高良塚があり、また日頼寺山門南方に武内宿祢塚があるという。(山口県豊浦郡郷土教育資料 635) 皇室祭祀の陵墓
陵墓関連神社 忌宮神社 山口県下関市長府宮の内町1-18 長門国豊浦郡 仲哀天皇殯斂地 長府伝承地に関連する神社。当地は仲哀天皇が熊襲征討のために滞在した豊浦宮の跡地で、仲哀天皇崩御後、神功皇后は遺骸をこの地の土肥山(仲哀天皇殯斂地)に殯葬した。別記項目も参照。(忌宮神社ウェブサイト) 式内社・長門国二宮・国幣小社・別表神社
殯斂地 仲哀天皇殯斂地 華山伝承地 山口県下関市菊川町上岡枝 長門国豊浦郡 仲哀天皇の殯斂地伝承地。華山・西の嶽(伏拝の峯)の頂上にある。仲哀天皇の祠が建てられており、「嶽の宮」とも称す。仲哀天皇崩御後、神功皇后が武内宿祢と諮って、喪を秘して、豊浦宮の北三里の山中に殯葬し、天神地祇に戦勝を祈願したという。当所は、郷社桜井八幡宮(祭神:応神天皇、仲哀天皇、神功皇后)の飛地境内地である。桜井八幡宮は、行教が石清水八幡宮鎮座のために宇佐より神霊を奉じて上京中に創建した八幡宮である。山口藩毛利家の崇敬を得た。同社の神事に「嶽の宮」まで神輿行幸することもあったという。のちにも参拝が行われている。明治1年6月に山口藩によって建立された「人皇第十四代仲哀天皇御殯斂所」碑がある。(山口県豊浦郡郷土教育資料 632) 治定外陵墓
殯斂地 仲哀天皇殯斂地 大保伝承地 福岡県小郡市大保1032 筑後国御原郡 仲哀天皇の殯斂地伝承地。御勢大霊石神社境内にある。「御本体所」と称している。御勢大霊石神社社伝によると、仲哀天皇は熊襲征討で負傷し、この地で崩御して、ここに殯葬されたという。神功皇后は凱旋後、神社創建のときに御剣・御衣をここに埋納したという。「史跡 仲哀天皇殯葬伝説地」の碑がある。 治定外陵墓
殯斂地関連神社 御勢大霊石神社 福岡県小郡市大保1032 筑後国御原郡 仲哀天皇殯斂地大保伝承地に鎮座する神社。主祭神は「仲哀天皇」であり、副祭神は「天照皇大神、八幡大神、吉富大神、春日大神」である(境内由緒書)。社伝によると、神功皇后は新羅征討のときに霊石を仲哀天皇の御霊代とし、軍船に載せて新羅に赴いた。凱旋後、神功皇后がその霊石を奉安して創建したという。天正14年に島津の兵火により焼失。本社前に仲哀天皇殯斂地がある。祭神の吉富大明神は地主神と考えられている。境内社に成末神社(「吉浦家文書」では外宮とされる。祭神は御勢大霊石大神荒魂。)がある。(『小郡市史 第1巻』971-978頁、『式内社調査報告 第24巻』96-98頁、境内由緒書) 式内社・県社
霊廟
宮中三殿 皇霊殿 東京都千代田区千代田 宮中三殿の一殿。歴代天皇皇族を祀る霊廟。
気比神宮 福井県敦賀市曙町11-68 越前国敦賀郡 宮跡に鎮座する仲哀天皇奉斎神社。かつて、気比神宮の主祭神は仲哀天皇とされていたことがあった。現在の主祭神は伊奢沙別命で、仲哀天皇は相殿神である。別記項目も参照。 式内社・名神大社・越前国一宮・官幣大社・別表神社
香椎宮 福岡県福岡市東区香椎4丁目16-1 筑前国糟屋郡 宮跡・崩御地に鎮座する仲哀天皇の霊廟。もともと神社ではなく、「廟」であったと記録されており、制度的に「廟」であった古代唯一の例である。ただし、後世には神功皇后奉斎神社としての性格が中心となった。別記項目も参照。 官幣大社・勅祭社・別表神社

参考文献

脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E4%BB%B2%E5%93%80%E5%A4%A9%E7%9A%87%E6%97%A7%E8%B7%A1」より作成

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