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幡随意旧跡

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年10月29日 (土)

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幡随意(ばんずいい)(1542-1615)は、江戸時代の浄土宗僧侶知恩寺33世。元は藤田流だったが白旗流に帰参。幡随院を創建。キリシタンの糾明を担当。演蓮社智誉向阿。白道。墓所は和歌山万性寺にある。

年譜

  • 1542年(天文11年)10月15日:誕生。相模国藤沢出身。上宮金吾の子
  • 1552年(天文21年):二伝寺の義順に師事して出家。鎌倉光明寺智聡、蓮馨寺存貞に師事。不残・存応・及把と共に四哲と呼ばれた。
  • 1578年(天正6年)頃:関宿大龍寺を創建。
  • 天正年間:武蔵・熊谷寺を再興。
  • 1591年(天正19年):館林城主榊原康政に招かれ館林善導寺に住す。
  • 1593年(文禄2年):館林善導寺を現在地に移し、中興開山となる。
  • 1601年(慶長6年):知恩寺33世に晋山。
  • 1603年(慶長8年):江戸に下向した時、徳川家康から神田駿河台に寺地を賜り、幡随院を創建。1610年(慶長15年)とも。
  • 1605年(慶長10年):成田氏家家臣の島田采女正を開基として妻沼大龍寺を創建。
  • 1612年(慶長17年):長崎に下りキリシタン糾明に当たる。大音寺を創建。
  • 1613年(慶長18年):有馬直純の帰依で観三寺を創建。
  • 慶長年間:大坂西福寺、伏見源空寺を創建再興。
  • 晩年:万性寺に隠退。
  • 1615年(元和1年)1月5日:死去。74歳。
  • 1617年(元和3年):有馬直純、幡随意を勧請開山として延岡に白道寺を創建。白道寺はのち有馬家転封に伴い、糸魚川、丸岡に移転。

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