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彰化県忠烈祠 - SHINDEN

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彰化県忠烈祠

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2013年1月27日 (日)

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彰化県忠烈祠
しょうかけん ちゅうれつし
Syouka-churetsushi 002.jpg
概要 彰化県の忠烈祠。日本統治時代の彰化市武徳殿を流用している。
所在地 彰化県彰化市南郭段南郭小段
種別 地方忠烈祠
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彰化県の忠烈祠。入祀烈士は93員である(2010年現在。資料B)(ただし、資料Dには、「中華民族始祖」(黄帝)、「中華民国革命烈士」「黄花崗七十二烈士」および98の霊位が祀られたとある)。民国38年(1949年)、日本植民地時代の1930年(昭和5年)に造営された武道場を転用して忠烈祠を創建した(資料Cでは郷社員林神社の跡地に創建されたとあるが、員林神社はまた別のようである。)。

彰化市市街地の八卦山の麓に位置する。敷地も狭く、周辺の建物が込み合っていることから目立つ存在ではない。地方政府管理の忠烈祠としては小型のもので、建坪は下位3位である。もともと武道場内部には鹿島神宮香取神宮伊勢神宮明治神宮を祀る祭壇があり、毎年武徳祭や殉職官員軍人を祀る慰霊祭が行われていたが、戦後、その祭壇に烈士が祀られた(資料D)。民国90年(2001年)12月13日、「彰化市武徳殿」として歴史建築に登録された。春祭は3月29日の革命先烈紀念日に行われ、秋祭は9月3日の軍人節(日中戦争日本降伏日)に行われている(資料C)。

(資料A:ウェブサイト国防部後備司令部『祠祀葬〓』[1](2011/05/02閲覧)、資料B:内政部資料2011年1月「忠烈祠祀概況」、資料C:蔡錦堂2008「褒揚及忠烈祠祀栄典制度之研究」、資料D:ウェブサイト彰化県文化局『古蹟と歴史』「彰化市武徳殿」[2](2011/05/02閲覧))

http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%BD%B0%E5%8C%96%E7%9C%8C%E5%BF%A0%E7%83%88%E7%A5%A0」より作成

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