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東大寺関連旧跡

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年2月10日 (土)

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春日山周辺(国土地理院空中写真より)

東大寺に関連する旧跡。毘盧舎那信仰諸国国分寺も参照。

目次

主要伽藍

大仏殿など

名称 本尊など 概要
南大門
東大寺南大門005.jpg
金剛力士
本坊
東大寺本坊 (3).jpg
東南院
天皇殿
東大寺本坊 (03).jpg
聖武天皇 聖武天皇を祀る。旧東照宮社殿。
東照宮 徳川家康 徳川家康を祀っていた。明治維新で手向山八幡宮に移る。
持仏堂
東大寺本坊 (01).jpg
聖宝 聖宝を祀る。元談山神社本殿
三社池
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本坊の南にある。奈良公園内。聖珍法親王が正応年間に三社託宣を感得した池という。
鏡池
東大寺AAA004.jpg
厳島神社
東大寺 (44).jpg
弁財天
東大寺総合文化センター
東大寺総合文化センター.jpg
五百立神社
東大寺・五百立神社 (1).jpg
鉄道殉職者供養塔
東大寺・鉄道供養塔 (1).jpg
殉職者
大仏殿
東大寺AAA002.jpg
盧舎那仏 東大寺の金堂。
講堂
東大寺・講堂跡001.jpg
千手観音 本尊は千手観音。756年(天平勝宝8年)頃に建立。917年(延喜17年)12月1日に僧坊と共に焼失。935年(承平5年)5月再建。1180年(治承4年)の南都焼討で焼失。その後も再建か。広大な跡地に巨大な礎石が点在する。(『東大寺史へのいざない』)
僧坊
東大寺・講堂跡003.jpg
北室、東室、西室からなる三面僧坊。講堂を取り囲むようにあった。762年(天平宝字6年)頃に建立か。917年(延喜17年)12月1日に講堂と共に焼失。再建されたが1180年(治承4年)に焼失。1249年(建長1年)に再建。1508年(永正5年)3月、講堂からの出火で焼失。以後、再建されなかった。1951年(昭和26年)に一部発掘調査されている。(『東大寺史へのいざない』)
食堂
東大寺・子院・宝蔵院・食堂跡001.jpg
廃絶。僧坊東室の東にあった。建立年代は不詳だが、762年(天平宝字6年)頃には相当進んでいた。食堂の北に大炊殿が接続した。1180年(治承4年)の兵火で焼失し、再興されなかった。宝厳院前の道の真ん中に礎石が残る。(『東大寺史へのいざない』)
東塔院
東大寺東塔院跡001.jpg

上院

名称 本尊など 概要
法華堂
東大寺法華堂-05.jpeg
不空羂索観音 華厳宗の根本道場。三月堂。
法華堂裏戸 執金剛神 本尊の裏に祀る秘仏。
法華堂手水屋
東大寺二月堂・大黒堂.jpg
大黒天
法華堂経庫
東大寺法華堂-08.jpeg
御髪塔
東大寺御髪塔001.jpg
聖武天皇の髪を納めたとも、鎌倉再建のときの髪の綱を納めたともいう。
龍神
東大寺二月堂・龍神社001.jpg
二月堂
東大寺・興成神社-02.jpg
十一面観音 修二会が行われる。
二月堂後戸
東大寺二月堂・本堂009.jpg
小観音
二月堂参籠所
東大寺二月堂・食堂005.jpg
向かって左側が参籠所
二月堂食堂
東大寺二月堂・食堂006.jpg
聖僧
二月堂毘沙門堂
東大寺二月堂・食堂008.jpg
毘沙門天
二月堂訶梨帝母堂
東大寺二月堂・食堂007.jpg
訶梨帝母
二月堂仏ショウ屋
東大寺二月堂・御供所001.jpg
御供所
二月堂湯屋
東大寺二月堂・湯屋001.jpg
閼伽井屋
東大寺・若狭井-01.jpeg
若狭井を覆う。修二会の時に香水を汲む。鵜の瀬とつながっているという。
興成神社
東大寺・興成神社-03.jpg
飯道神社
東大寺・飯道神社-04.jpg
遠敷神社
東大寺・遠敷神社-02.jpeg
良弁杉
東大寺二月堂・その他006.jpg
龍王の滝
東大寺二月堂・龍王の滝.jpg
千手堂
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千手千眼観音 法華堂の南にあった。本尊は千手千眼観音。塔180基、屏風仏像3体、銀盧舎那仏などがあった。銀堂とも呼ばれた。いつ頃か廃絶した。天地院千手堂、戒壇院千手堂とは別。
三昧堂
東大寺四月堂002.jpg
千手千眼観音 元の本尊は普賢菩薩騎象像だが、現在は高さ2.6mの千手千眼観音が本尊のようになっている。建立は1021年(治安1年)とも1023年(治安3年)とも、1067年(治暦3年)ともいう。普賢菩薩を本尊とする法華三昧のための堂。古材を用いて1681年(天和1年)に建て直されたと考えられている。1567年(永禄10年)の兵火で焼失した中門堂の諸仏を祀る。法華三昧堂、普賢三昧堂とも、四月堂ともいう。
開山堂
東大寺開山堂001.jpg
良弁
不動堂
東大寺二月堂・不動堂001.jpg
不動明王 四度加行を行う
垢離場
東大寺二月堂・不動堂002.jpg
不動明王
山手観音堂
東大寺二月堂・山手観音堂001.jpg
如意輪観音 遠敷神社の上にある。
西国霊場
東大寺二月堂・不動堂005.jpg
西国観音 西国霊場の写し霊場。不動堂の脇から登って山手観音堂に側に降りる
庚申塚
東大寺二月堂・不動堂008.jpg
青面金剛
阿弥陀院
Nophoto.jpg
廃絶。
手向山八幡宮
手向山八幡宮・楼門.jpg
平家焼き討ち以前は大仏殿の東南にあった。天平時代の遺構を残す宝庫がある。
宝庫
東大寺法華堂-07.jpeg
東大寺東照宮
手向山八幡宮・東照宮.jpg
徳川家康 明治維新までは天皇殿が東照宮だった。
鑰取神社
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瀬織津媛命 祭神は瀬織津媛命。手向山八幡宮境内社。参道沿いの北側に鎮座する。
興明神社
東大寺・白山神社001.jpg
白山比売神 祭神は白山比売神。現在の白山神社。鐘楼の東南にある。手向山八幡宮境内社で神門の外にある。(『東大寺史へのいざない』)

戒壇院・勧進所など

名称 本尊など 概要
戒壇院戒壇堂
東大寺戒壇院007.jpg
戒壇院は律宗の本所。鎌倉再建後は華厳宗も兼ねる。
講堂 廃絶。
千手堂 千手観音 本尊は千手観音。千手観音は後嵯峨上皇が御所の二間観音を下賜したとの伝承がある。本尊の周囲を四天王で囲む。内陣の向かって左奥に地蔵菩薩立像、向かって右の間に鑑真像、向かって左の間に愛染明王も祀る。前室の向かって左脇に、円照、凝然、上田照遍らの位牌などを祀る。戒壇院中興の円照が1257-1270頃に建立。1446年の戒壇院火災を免れたが。1567年、三好松永の兵火で焼失。慶長年間、成秀の尽力で再建。1998年5月、火災で被災。2002年6月6日に修復。
談議所 廃絶
僧堂 廃絶?
護摩堂 廃絶?
庫裡 現在の修二会別火坊
華厳寮
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中門堂 十一面観音 現在の指図堂の位置にあった。
指図堂
東大寺指図堂001.jpg
法然
子安神社 富貴社
勧進所
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阿弥陀堂 阿弥陀如来 勧進所内にある。五劫思惟阿弥陀如来
天皇殿 聖武天皇 本坊内に遷座。
八幡殿 八幡大菩薩 旧天皇殿。神仏分離で手向山八幡宮から遷座した僧形八幡神像を祀る。
公慶堂 公慶
勧進所経庫
東大寺勧進所002.jpg
剣塚
辛国堂
浄土堂 一帯は「鐘楼の丘」と呼ばれる。廃絶。
念仏堂
東大寺・鐘楼周辺・念仏堂001.jpg
地蔵菩薩
俊乗堂
東大寺・鐘楼周辺・俊乗堂001.jpg
重源
行基堂
東大寺・鐘楼周辺・行基堂001.jpg
行基
英霊殿 戦没者
鐘楼
東大寺・鐘楼周辺・鐘楼001.jpg
鐘は天平勝宝4年3月に鋳造。治承4年の兵火は免れたが、栄西が建保3年までに再建した。(『東大寺史へのいざない』)
辛国神社 天狗社とも
大湯屋
東大寺・鐘楼周辺・大湯屋.jpg
アショカピラー
東大寺AAA005.jpg
相輪
東大寺AAA006.jpg
真言院潅頂堂
東大寺真言院 (5).jpg
勧学院
舎利殿
東大寺真言院 (3).jpg
地蔵菩薩
大師堂 空海
神護殿 八幡神?
西塔院跡
東大寺・西塔跡 (1).jpg
一乗院宮東大寺墓地
一乗院宮墓地 (1).jpg
西大門跡
東大寺・西大門 (1).jpg
転害門
東大寺転害門001.jpg
東大寺御拝壇
東大寺御拝石 (1).jpg
吉祥堂 廃絶
正倉院
持仏堂
杉本神社

塔門など

  • 東塔院:天平宝字8年以降に竣工したとみられる。治承4年の兵火で焼失。元久3年(1206)4月8日に起工。安貞元年(1227)10月に竣工した。康安2年(1362)1月13日雷火で焼失。再建されなかった。心礎は大阪市の藤田美術館にある。(『東大寺史へのいざない』)
  • 西塔院:七重塔。天平勝宝4年閏3月の建立とみられる。承平4年(934)10月19日雷火で焼失。天徳3年()7月、別当光智が復興を始め、三重まで出来上がったところで、長保2年(1000)12月、焼失。鎌倉時代には西塔院と呼ばれる堂舎があった。(『東大寺史へのいざない』)
  • 南大門
  • 転害門:手向山八幡宮の御旅所になっている。
  • 西大門:平城京二条大路に面する。廃絶。「金光明四天王護国之寺」と刻んだ勅額が現存。国分門とも呼ばれた。
  • 中御門:廃絶。焼門。

鎮守など

  • 手向山八幡宮:東大寺八幡宮とも。
  • 転害門:手向山八幡宮の10月5日の転害会(手掻会)で、御旅所となっている。
  • 東大寺八幡殿:神仏分離で手向山八幡宮から遷された僧形八幡神像を祀る。勧進所の中にある。
  • 東大寺東照宮:現在は手向山八幡宮境内社。
  • 東大寺天皇殿:江戸時代は勧進所の中にあったが、明治維新て本坊内の旧東照宮社殿に迎えられた。
  • 八大菩薩社:修二会神名帳の巻頭に、金峰大菩薩、八幡大菩薩に続いて登場。平安時代末には記録にみえる。八大明神とも。『東大寺要録』所収の祭文には梵天の化身で天の使者である「南升史佐仙人」を八州鎮護のために八方に祀ったという。八相成道を表すために八大神仙となったとされる。堀池春峰は「どうも道教的な神のようである」と述べている。鎌倉時代の弘安正応ころに修理した記録があり、江戸時代初頭までは存在を確認できるが、一部を残して廃絶したらしい。(『東大寺史へのいざない』)
    • 興文神社:12世紀には紫摩金院の北にあったが江戸時代初期に廃絶。(『東大寺史へのいざない』)
    • 興成神社:現在の祭神は豊玉媛命(境内由緒書)。八大菩薩社で唯一現存。二月堂の前方(西側)の下にある。若狭井屋のそば。12世紀からこの場所にあった。現在の社殿は寛文のものと推測される(『東大寺辞典』)。二月堂三社の一つで、修二会に関わる神と言われる。岩盤を打ち破って地中から飛び出し、若狭井を作った白黒鵜2羽を祀ると伝え、鵜宮とも呼ばれる。修二会では3月1日、12日、15日に社参がある。(『東大寺史へのいざない』)
    • 興松神社:12世紀には法華堂の東方にあり、江戸時代初期まではあった。廃絶。(『東大寺史へのいざない』)
    • 興明神社:祭神は白山比売神。現在の白山神社。鐘楼の東南にある。手向山八幡宮境内社で神門の外にある。(『東大寺史へのいざない』)
    • 興児神社:12世紀には鐘楼の西、天狗社の南にあり、江戸時代初期まではあった。廃絶。(『東大寺史へのいざない』)
    • 興剣神社:12世紀には東塔の南にあった。17世紀には禅南院の東にあった。廃絶。(『東大寺史へのいざない』)
    • 興進神社:12世紀にら国分門内の南にあり、17世紀には国分門の北にあった。廃絶。(『東大寺史へのいざない』)
    • 興高神社:正倉院内の鼓坂にあった。廃絶。(『東大寺史へのいざない』)
  • 遠敷神社若狭彦神社の分社。二月堂三社の一つ
  • 飯道神社飯道山飯道神社の分社。二月堂三社の一つ
  • 天狗社:大仏殿の東、猫段と呼ばれる石敷の坂道の北側に鎮座。創建は不詳だが、江戸時代の記録によると良弁が仏法を妨げる多くの天狗を調伏して仏法護持を誓約させて社を建てたという。史料では嘉吉3年(1443)にはあった。大法会を行う前夜に社前に集まり「蜂起の儀」を行った。そして僧侶たちが「僉議」を読み上げて、僧兵の姿で境内をくまなく巡察した。蜂起の儀は強訴などの際にも行われたという。明治以降は辛国神社とも呼ばれるが、その語義はよく分からない。(『東大寺史へのいざない』)
  • 子安神社:大仏殿の西、指図堂のそばに鎮座。堀池春峰は江戸時代初期の創建と推定し、中門堂衆と関わりのある社とする。江戸時代の「東大寺諸伽藍略録」に良弁の母を祀ったとある。修二会神名帳にある子安大明神とは別という。古くは富貴社といった。子安宮、子安明神、孝養社とも。(『東大寺史へのいざない』)
  • 五百立神社:大仏殿前の参道脇、勧学院の北側に鎮座。手向山八幡宮境内社。天喜4年(1056)の東大寺文書に「五百余所社」の名がある。中世の縁起によると、大仏殿建設に従事した五百余人の工匠が竣工と共に羅漢になり、天に飛び立ったので、社に祀ったという。『延喜式』にみえる官社に比定され、堀池春峰もこの説を支持している。鎌倉時代の寛喜2年(1230)、正倉院中倉から盗まれた宝鏡が一時、この社に隠されていたという。弘安9年(1285)聖守が拝殿新造。永禄10年(1567)の兵火で焼失し再建。江戸時代の大仏殿復興に当たっては大工らの崇敬を集めて番匠社とも呼ばれた。宝永6年(1709)の大仏殿落慶の直前に大工棟梁の堀内筑前守(若狭)が社殿を新築。明治の神仏分離で、手向山八幡宮の境内社となる。昭和5年(1930)、国鉄殉職者供養塔建設のために現在地に遷座。(『東大寺史へのいざない』)
  • 厳島神社:大仏殿前にある鏡池の中島に鎮座。
  • 川上蛭子神社:奈良市川上町。河上荘は二月堂領で修二会の年貢を納めていた。その鎮守。今でも蛭子川(佐保川上流)の水が練行衆の禊の水として使われているという。川上夷社とも。(『東大寺辞典』)
  • 杉本神社:正倉院の鎮守。
  • 武内社:祭神は武内宿禰。手向山八幡宮境内社。
  • 若宮神社:手向山八幡宮境内社。
  • 高良神社:手向山八幡宮境内社。
  • 若殿神社:手向山八幡宮境内社。
  • 明武神社:手向山八幡宮境内社。
  • 劔神社:手向山八幡宮境内社。
  • 八子神社:手向山八幡宮境内社。
  • 松童神社:手向山八幡宮境内社。ほかに十一社を合祀。
  • 阪本神社:手向山八幡宮境内社。
  • 恵比寿神社:手向山八幡宮境内社。
  • 住吉神社:手向山八幡宮境内社。
  • 菅公腰掛石:手向山八幡宮境内。
  • 気比気多社:天喜4年(1056)の東大寺文書に名がある。廃絶?(『東大寺史へのいざない』)
  • 二十五所社:知足院山(玄武山)にあった。天喜4年(1056)の東大寺文書に名がある。奈良時代の大仏鋳造に携わった鋳物師25人が完成後、玄武山から西方の空に旅立ったという。彼らは菩薩の化身であり、ここに祀ったという。廃絶?(『東大寺史へのいざない』)
  • 訶梨帝母社:二月堂食堂内に祀られている。像は平安時代のもので同尊としては数少ない古像。
  • 鑰取神社:祭神は瀬織津媛命。手向山八幡宮境内社。参道沿いの北側に鎮座する。
  • 弁財天神社:
  • 真言院神護殿:八幡神を祀るらしいが不詳。
  • 龍王社:江戸時代の古図に西塔跡の西にある。
  • 八阪神社:奈良市押上町。祭神は素戔嗚尊・奇稲田姫神・大己貴命・八柱之御子神。京街道に西面して鎮座。建武5年(1338)、京都八坂神社を分霊。東大寺八幡宮の末社となった。当初は東大寺が管轄したが、東大寺七郷(手掻・押上・中御門・今小路・水門・今在家・北御門)が中心となり、6月17日に祇園会(御霊会)を行うようになった。別に神宮寺も付属したという。永禄10年の兵火で焼失。神宮寺跡の現在地に遷座。江戸時代もたびたび火災で焼失し再建を繰り返した。(日本歴史地名大系)
  • 二荒権現:中世、東南院にあった鎮守

主要子院

  • 東南院三論宗の本所となった門跡寺院聖宝が創建。宝暦の火災で罹災。現在は本坊。真言宗も兼ねた。
  • 尊勝院華厳宗の本拠となった寺院。武家勢力と近かった。廃絶。
  • 真言院:現存。空海が創建。真言宗の本所
  • 龍松院:現存。大勧進職を務めた寺院。公慶が創建。公慶時代は勧進所にあった。没後、旧大喜院に移った。
  • 上之坊:良弁を祀る東大寺開山堂を管理する寺院。現存。1407年(応永14年)、春専が再建。
  • 薬師院:執行職・三網職を務めた寺院。学侶や堂衆の寺院とは異なり、東大寺郷の近くにあった。多くの文書が残されている。廃絶。
  • 正法院:三網職を担った寺院。詳細は分かっていない。廃絶。
  • 知足院:現存。法相宗の本所。
  • 新禅院:現存。本尊は金色阿弥陀像。938年(天慶1年)に明珍が創建。念仏院と称した。定親が再興。三論宗の拠点。1197年(建久8年)、興福寺西金堂衆により破壊される。宝暦の火災で罹災。後嵯峨上皇祈願所。寺名のみ残る。現在は跡地に東大寺整肢園がある。
  • 吉祥院:法相宗。
  • 龍蔵院:現存。
  • 新福院:廃絶。
  • 自性院:宝暦の火災で罹災。廃絶。
  • 法輪院:廃絶。
  • 安養坊:廃絶。
  • 宝信院:廃絶。
  • 観音院:現存。宝暦の火災で罹災。
  • 持宝院:現存。宝暦の火災で罹災。
  • 宝厳院:現存。元は大喜院の隣にあった。良覚が蓮乗院と同時期に創建。実清が天正年間に中興。宝暦の火災で罹災。現在地は旧実信院の位置。
  • 大喜院:宝暦の火災で罹災。廃絶。
  • 深井坊:上生院の東、講堂の北にあった。廃絶。1495年(明応4年)に秀覚が創建。江戸時代中期以降に廃絶。
  • 金蔵院:宝暦の火災で罹災。廃絶。
  • 上生院:現存。知足院の南にあった。浄実が中興。慶長19年(1614)、当時の住職が駿府へ赴き、徳川家康に大仏殿復興のための諸国勧進の許可と崩れかかっている大仏像の頭を支える柱の建て替えを訴え、後者は実現した(東大寺辞典)。華厳宗寺院だったが、のち三論宗に転じた。宝暦の火災で罹災。寺名のみ残る。
  • 見性院:宝暦の火災で罹災。廃絶。
  • 密乗院:廃絶。
  • 善性院:廃絶。
  • 勝曼院:廃絶。
  • 中性院:現存。宝暦の火災で罹災。
  • 宝珠院:現存。創建年代は不明。二月堂を管理していたこともある。1562年(永禄5年)に玄覚が再建。
  • 来迎院:廃絶。
  • 蓮乗院:大仏殿の西にあった。1555年(弘治1年)実清が中興。廃絶。
  • 四聖坊:正倉院の南西にあった。四聖御影を祀っていた。堂宇は正倉院内に現存。廃絶。
  • 清涼院:現存。尊勝院の北東にある。徳川家康の帰依を受けた実英が中興。寺名のみがあるとされる。
  • 仏性院:仏生院。宝暦の火災で罹災。廃絶。
  • 金剛院:廃絶。
  • 文殊院:宝暦の火災で罹災。廃絶。
  • 福寿院:廃絶。
  • 阿弥陀院:廃絶。
  • 普賢院:廃絶。
  • 最勝院:廃絶。
  • 正源院:廃絶。
  • 証菩提院:廃絶。
  • 尊光院:宝暦の火災で罹災。廃絶。
  • 迦葉院:廃絶。
  • 禅花坊:尊勝院の北に隣接。1475年(文明7年)、英祐が成福院とともに創建。江戸時代中期以降に廃絶した。
  • 成福院:尊勝院の東にあった。1475年(文明7年)、英祐が禅花坊とともに創建。江戸時代中期以降に廃絶した。
  • 惣持院:現存。尊勝院の後身。禅花坊の北にあった。英秀が創建。寺名のみ残るが、勧進所奥院を惣持院の建物として用いている。
  • 西之院:廃絶。
  • 西蔵院:廃絶。
  • 西南院:廃絶。現在の依水園のあたりにあった。
  • 唐禅院:鑑真の住坊として建てられた塔頭寺院。講堂の西、戒壇院の北にあった。廃絶。天台宗の本所と伝える。律宗を兼ねる。
  • 一音院:廃絶。
  • 地蔵院:現存。室町時代に浄憲が再興。当初の位置は分かっていない。真言院の南に現存。
  • 禅那院:廃絶。
  • 千手院:現在の手向山八幡宮の場所にあった。廃絶。
  • 紫摩金院:紫磨金院。廃絶。
  • 新造屋:廃絶。
  • 普門院:廃絶。
  • 法性院:廃絶。
  • 実信院:廃絶。
  • 北林院:現存。成慶が中興。正倉院の西にあったが、1917年(大正6年)に現在地に移転。
  • 正観院:現存。1844年(弘化1年)、広海が創建。正倉院の中にあった。1917年(大正6年)に現在地に再興。
  • 金殊院:現存。清須が創建。講堂の北西にあり、見性院に接していた。寺名のみが残っている。
  • 嘉祥院:廃絶。
  • 中院:廃絶。
  • 北室院:廃絶。
  • 禅南院:廃絶。
  • 福園院:廃絶。
  • 西室院:廃絶。
  • 東室院:廃絶。
  • 戒禅院:廃絶。

東大寺草創に関わる旧跡

  • 奉先寺洞:中国洛陽郊外。龍門石窟寺院の一つ。毘盧遮那仏大仏がある。東大寺大仏は、ここをモデルにしたと言われる。
  • 知識寺:大阪府柏原市。河内国大県郡。聖武天皇が立ち寄り、ここの大仏を見て、東大寺大仏建立を思い立ったとされる寺院。廃絶。石神社に塔の礎石と言われる石が残る。
  • 甲賀寺:滋賀県甲賀市。近江国。聖武天皇が最初に大仏を立て始めた寺。紫香楽宮の近くにあった。廃絶。
  • 喜光寺:奈良県奈良市。平城京内。行基が東大寺を建てる前に試しに建てたと言われる。行基の没地。「試みの大仏殿」。
  • 金鍾寺:奈良県奈良市。東大寺の前身寺院。東大寺法華堂の前身と言われる。
  • 福寿寺:奈良県奈良市。東大寺の前身寺院。
  • 天地院:奈良県奈良市。東大寺の前身寺院。春日山の山中にあった。
  • 香山堂:奈良県奈良市。春日山の山中にあった。新薬師寺の前身と言われる。
  • 金峰山寺:奈良県吉野郡吉野町。大和国吉野郡。蔵王権現が陸奥国の金のありかを告げたとも、金峰山の金は弥勒菩薩のためのものだから渡せないと告げたともいう。
  • 黄金山神社:宮城県遠田郡涌谷町。陸奥国小田郡。奈良時代の造立で金を産出。
  • 金華山:宮城県石巻市。奈良時代の造立で金を産出と伝承。金華山黄金山神社がある。
  • 生駒・法楽寺:奈良県生駒市。西北の方位除けとされる
  • 伊勢神宮:三重県伊勢市。行基が大仏建立を祈願して参拝したといわれる。
  • 宇佐神宮:大分県宇佐市。豊前国宇佐郡。八幡菩薩が大仏建立に協力すると託宣
  • 造東大寺司
  • 菩提僊那墓:奈良県奈良市。大和・霊山寺にある。菩提僊那を葬る。
  • 上山寺:奈良県奈良市?。廃絶。
  • 中山寺:奈良県奈良市?。廃絶。
  • 東大寺如法院
  • 新薬師寺:奈良県奈良市。
  • 石山寺:滋賀県大津市。近江国。
  • 法華寺:奈良県奈良市。
  • 基王墓:奈良県奈良市。那富山墓。

東大寺鎌倉復興に関わる旧跡

東大寺江戸復興に関わる旧跡

手向山八幡宮の分霊社

  • 国庁八幡宮:山口県防府市。
  • 大垣八幡宮:岐阜県大垣市。県社。
  • 木本八幡宮:和歌山市。県社。
  • 八幡神社:奈良市水間町。
  • 郡山八幡神社:大和郡山市柳。郷社。
  • 薬園八幡神社:大和郡山市材木町。村社。
  • 黒田荘八幡宮:三重県名張市黒田。廃絶。
  • 高山八幡宮:奈良県生駒市。

修二会関連旧跡

  • 東大寺二月堂:修二会が行われる。
  • 遠敷神社:東大寺鎮守の一つ。若狭彦神社若狭姫神社の分社。
  • 飯道神社:東大寺鎮守の一つ。飯道山飯道神社の分社。
  • 興成神社:東大寺鎮守の一つ。
  • 若狭井:
  • 紫微中台十一面悔過所:光明皇后により十一面悔過が行われていた。
  • 笠置山:実忠が修行したところ。修二会発祥の地。
  • 難波津:修二会の本尊、小観音を迎えたところという
  • 名張・極楽寺:三重県名張市赤目。現在まで修二会の松明をつくる場所となっている。真言宗豊山派。
  • 道観塚:三重県名張市赤目。
  • 観菩提寺:三重県伊賀市。実忠が創建。
  • 鵜宮神社:三重県伊賀市。
  • 近江・金剛定寺:三重県蒲生郡日野町。天台宗。実忠が四月堂を建立。東大寺別院だったという。

関連人物旧跡

聖武天皇良弁行基菩提僊那四聖と呼ばれる。


  • 実忠旧跡
    • 笠置山:実忠が修行したところ
    • 頭塔:実忠が作ったという
    • 難波津:修二会の本尊、小観音を迎えたところという


末寺・旧末寺

関連寺院

交流が盛んだった寺院。兼務も多かった。

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