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歴代法皇旧跡

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年3月2日 (水)

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法皇は出家した太上天皇。太上法皇。天皇出家のはじめは聖武天皇だが、在位中の出家か譲位後の出家かは確定できない。また天武天皇は皇子時代に出家したとされる。法皇の称は宇多法皇に始まる。法皇は最初は非公式の称だったが次第に公的に使われるようになる。最後の法皇は霊元法皇。在位せず太上天皇となった2人も既に出家していたため、法皇と呼ばれた。法帝、禅定法皇、禅皇、禅定仙院、禅院とも。

目次

落飾の儀式

「御落飾の儀」の儀式次第は鳥羽上皇の記録があり、これが前例として踏襲された。 鳥羽上皇は鳥羽殿東御堂で落飾。後嵯峨上皇と後深草上皇は亀山殿で。伏見上皇は伏見殿で。 後水尾上皇と霊元上皇は仙洞御所の広御所で落飾。

出家に先立ち、鳥羽上皇は落飾することを神前に奉告するため、石清水八幡宮賀茂神社に御幸。 後白河上皇は熊野、賀茂、石清水、新熊野神社に御幸。 後嵯峨上皇は石清水、賀茂、北野天満宮平野神社に御幸。 後深草上皇は石清水、春日大社に御幸。春日には7日参籠。 伏見上皇は賀茂、北野、石清水に御幸。賀茂に7日参籠。

また落飾前に歌会などを御所で開いた。

戒師1人、唄師2人、剃手2人、雑役3人が出仕。戒師は仁和寺門跡天台座主などの高僧が務めた。 まず上皇が御座に着座。戒師表白。次に伊勢神宮と石清水八幡宮、父母の陵墓または在所を遥拝。 剃手が剃髪。その間、唄師が唄を唱える。 次に上皇が簾の中に入り、俗服を脱ぎ、法衣に改める。 再び御座に着座。法名を定めた。 沙弥十戒と菩薩戒を受戒した。

落飾の当日から御逆修50講と御懺法を営んだ。鳥羽上皇の後、後白河、後嵯峨、後深草、亀山も御逆修または御懺法を従った。 伏見上皇は行わず、霊元上皇が御逆修が営んだ。


また蔵人頭を内裏に派遣して天皇に落飾のことを奏上した。 伏見、後小松、後水尾、霊元は事前に幕府に勅使を派遣。亀山上皇は事後に幕府に通告した。

法皇一覧

在位中の出家・受戒など

  • 聖武天皇:
  • 仁明天皇:臨終時に急遽落飾。
  • 村上天皇:臨終時に急遽落飾。
  • 後一条天皇:臨終時に急遽落飾。
  • 聖武天皇?:在位中に受戒。
  • 孝謙天皇:在位中に受戒。
  • 清和天皇:在位中に受戒。
  • 後村上天皇:在位中に受戒。
  • 後光厳天皇:在位中に受戒。
  • 後花園天皇:在位中に受戒。
  • 後土御門天皇:在位中に受戒。
  • 後柏原天皇:在位中に受戒。
  • 後奈良天皇:在位中に受戒。
  • 正親町天皇:在位中に受戒。
  • 文徳天皇:在位中に円仁から冷然院で伝法灌頂。
  • 後醍醐天皇:在位中に神護寺で伝法灌頂。
  • 後光厳天皇:在位中に尊円親王から内裏で伝法灌頂。
  • 『皇室制度史料 太上天皇3』に基づく

法皇関連寺院

法皇を歴代住職に数える寺院

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