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法明旧跡

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2015年9月17日 (木)

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法明良尊(1279-1349)は、大念仏寺および融通念仏宗の中興の祖。大念仏寺7代。


現在に続く融通念仏宗の系譜は、良鎮で一度途絶えているとされ、実質的に法明に始まると言っても良い。法明の同時代史料は残されておらず、その実態は不明な点が多いものの、『亀鉦縁起』など同宗三祖(良忍、法明、大通)の中でもっとも豊かな伝承を伝えている。


生涯

法明は摂津国東成郡深江村に清原守道と枚岡神社神職磯江正房の娘「桔梗の前」の子として産まれた。両親が大和の信貴山毘沙門天に21日間、参籠して授かった子で、毘沙門天より広目天の化身として産まれるとお告げがあった。信貴山にちなんで幼名を信貴千代と言った。 長じて清原道張と名乗ったが、妻子の死を機に、嘉元元年(1303)25才で出家を決めた。真言宗の[]高野山]]に登り、真福院で得度し、法明房良尊と名乗った。 当時は高野山の浄土信仰を担った高野聖たちの活動の盛んな時期であり、多いに影響を受けたのに違いない。修行を終えて故郷に戻り、草庵を開くが、これが深江法明寺の濫觴とされる。 しかし、求めるところがあったのか、再び修行を志し、今度は天台宗総本山の比叡山に登る。天台宗浄土信仰の聖地である横川で修行を重ねた。比叡山の地主神、日吉大社で21日間の水行を行ったところ、満願の日に祭神の大山咋神が出現し、「お前を守護するので、高僧を訪ね、一層修行せよ」と託宣を受けた。

託宣に従い、念仏を唱えつつ諸国を行脚。各地で修行を重ね、摂津国の浜源光寺や河内国の八葉蓮華寺を中興したという。念仏行者の明遍旧跡の明遍寺にもよく訪れたという。

元享元年(1321)、深江で石清水八幡宮八幡大士(八幡大菩薩)が出現し、かつて良鎮が預けた融通念仏の本尊や法具宝物を授けるに足る人間を待っていたが、お前に授けると命じられた。

託宣を受け、摂津国東成郡深江から山城国綴喜郡の石清水八幡宮に向かったところ、途中の河内国交野郡の茄子作で、神職の行列と遭遇。「深江村はどちら」と尋ねてくる。聞くと石清水八幡宮の神職小川伊高らで八幡大神から深江の法明というものに宝物を渡すように託宣があったという。「私が法明です」と答えると神職らも驚き、本尊宝物などが引き渡された。神明再授である。法明らは喜びのあまり、本尊の掛け軸を近くの松に掛け、念仏を唱えながら踊りに踊った。現在も大阪府枚方市に残る本尊掛松と、踊躍念仏の由来である。その夜、法明らと小川らは犬井甚兵衛の屋敷に泊まり、法明の法話に感動して、小川は法明の弟子となったという。

本尊宝物を八幡大士から受け取り、融通念仏の嫡流を継承した法明は、かつて良忍が創建したが、荒廃していた摂津国住吉郡平野郷の大念仏寺に入寺した。

法明は各地の郷を中心に、念仏講を組織させ、融通念仏の普及を図った。特に有力な講が河内などに設立され、河内六別時となった。清原家の家臣で法明の弟子となった実尊誠阿が建てた佐太来迎寺も有力な寺院となった。

あるとき、夢に平安時代の念仏行者、教信が出現。教信の遺跡である播磨国加古郡の教信寺に向かった。船路で大阪湾を渡り、大物浦に差し掛かると激しい風雨にさらされ、沈没に危機に見舞われた。そこで八幡大士から授与され、遡ればかつて良忍が鳥羽上皇から下賜された鉦を海に投げ入れると、海は静けさを取り戻した。無事、教信寺にたどり着き、10日間の別時念仏を修した。法明は、さらに中国地方を巡錫し、融通念仏の教えを広めた。 その帰り、やはり船で鳴尾沖に来ると、毘沙門天が出現するとともに小島のような巨大な霊亀が姿を見せた。亀は船に近づくと頭を差し出し、頭上に載った鉦を受け取るように促した。法明は合点し、鉦を受け取り、亀に十念を授けた。この鉦こそ大物浦で海に沈めた鳥羽上皇下賜の鉦であり、海神が融通念仏の教えを求めたために法明に要求したのだと悟った。和泉にたどり着き、高渚寺で、鉦返却の御礼のための法要を行った。

その後、摂津国東成郡の四天王寺での念仏会の復興、大和国葛下郡の当麻寺への名帳の奉納などの事績を重ね、隠居所として大念仏寺の近くに喜連法明寺を創建し、大念仏寺を弟子に譲った。

正平3年(1348)、毘沙門天の化身である吉野の勝手明神が出現し、楠木正行が河内国讃良郡の四条畷で戦いに敗れ、壮絶な最期を遂げるので、法明にその供養を託した。法明は四条畷を訪れ、南朝軍の将兵を供養した。十念寺(今は西山浄土宗に改宗)がその跡という。

同年、深江にいた法明の前に、紫雲とともに教信が出現し、生涯をかけた念仏の功徳であなたは来年の6月16日に極楽浄土に往生すると託宣。果たして、その通りに亡くなったので、教信が現れた場を安堵の辻という。

法明の遺体は長瀬墓地で火葬され、その地に葬られだ。墓地に接して阿弥陀院が創建された。墓地を造成するときに地中より宝珠が出土。法明の遺徳として信仰を集め、宝珠を埋め込んだ阿弥陀像が作られ、常福寺に祀られた。大念仏寺と高野山にも墓が建てられた。金剛峰寺安養院に、法明堂がある。


旧跡

  • 信貴山:奈良県生駒郡平群町。両親が信貴山の毘沙門天に祈願参籠して、法明が生まれる。
  • 深江法明寺:大阪府大阪市東成区。法明の生誕地。現在は浄土宗。
  • 金剛峰寺真福院:和歌山県高野町。高野山千手院谷の真福院で得度。真福院は明治初年に廃絶し、金剛峰寺安養院に合併。現在の(調査中)のあたり。
  • 深江法明寺:高野山で学んだ後、故郷に草庵を開いたのが始まり。
  • 比叡山:滋賀県大津市。再び修行のため、比叡山に登る。念仏の聖地、横川で修行する。
  • 日吉大社:滋賀県大津市。21日間、参籠し、大宮川で水行を行う。満願の日に白髪の老人が出現し、「お前を守護する。高僧を訪ね、一層修行せよ」と託宣する。祭神の大山咋神であった。
  • 浜源光寺:大阪府大阪市北区。法明が中興。
  • 八葉蓮華寺:大阪府交野市。法明が中興。
  • 明遍寺:大阪府交野市。平安時代末期の念仏行者・明遍の旧跡。法明がよく立ち寄ったという。
  • 深江法明寺:八幡大士(八幡大菩薩)から託宣を受ける(神明再授)。石清水八幡宮に行き、良鎮が預けた宝物を継承し、大念仏寺を復興するように言われる。
  • 石清水八幡宮:京都府八幡市。融通念仏宗の本尊、宝物が収められていた。
  • 本尊掛松遺跡:大阪府枚方市。託宣を受け、宝物を法明に届けようとする石清水八幡宮の小川伊高ら神職と遭遇。宝物を授受する。あまりの嬉しさに法明は本尊の軸を近くの松に掛け、念仏を踊り出す。この松が本尊掛の松として残っている。
  • 犬井甚兵衛屋敷跡:大阪府枚方市。授受の日、一夜の宿を借りたのが甚兵衛屋敷。法明は小川伊高らに法話をした。小川伊高は法明の弟子となった。
  • 大念仏寺:大阪府大阪市平野区。法明は本尊を奉じて平野郷に入り、大念仏寺を復興した。
  • 河内六別時
    • 喜連法明寺(下別時):大阪府大阪市平野区。晩年の隠居寺。
    • 丹南来迎寺(十箇郷別時):大阪府松原市。法明が中興。丹南藩高木家の菩提寺。
    • 錦部極楽寺(錦部別時):大阪府河内長野市。法明が創建。河内西代藩(伊勢神戸藩)本多家の菩提寺。
    • 平野良明寺(八尾別時):大阪府大阪市平野区。法明が創建。廃絶。
    • 石川大念寺(石川別時):大阪府南河内郡河南町。法明が創建。
    • 水越高安寺(高安別時):大阪府八尾市水越。法明が創建。廃絶。
  • 教信寺:兵庫県加古川市。平安時代の念仏行者教信の託宣を受け、ゆかりの教信寺で10日間、別時念仏を営む。
  • 大物浦:教信寺に向かう船路で、暴風雨に会うが、鳥羽上皇下賜の鏡鉦を海中に沈めると風雨が止んだ。
  • 鳴尾沖:中国地方を巡錫して帰るときに鳴尾沖に差し掛かると毘沙門天が出現し、霊亀が現れ、鏡鉦を返したという。
  • 高渚寺:大阪府堺市堺区。鏡鉦返却の礼として霊亀と動物諸霊のための施餓鬼会を行う。廃絶。
  • 四天王寺:大阪府大阪市天王寺区。良忍の念仏会を、踊躍歓喜念仏会として復興。現在も行われている?
  • 当麻寺:奈良県葛城市。法明は当麻曼荼羅を信仰。融通念仏に結縁した信徒らの帳簿を当麻寺本堂瑠璃壇に奉納したという。護念院を宿坊として、念仏会を開いた。
  • 喜連法明寺:法明は大念仏寺を退いた後、喜連に住した。当寺にて死去したともいう。
  • 深江法明寺:法明は大念仏寺を退いた後、深江に住した。当寺にて死去したともいう?
  • 勝手神社:奈良県吉野町。毘沙門天の化身。深江法明寺で念仏をしていた法明の前に老人が現れ、「楠木正行が四條畷で戦いに破れ、壮絶な戦死を迎えるから、供養を頼む」と託宣。
  • 河内十念寺:大阪府大東市。法明が四條畷の戦いの戦死者を供養した旧跡。その後、寺院が建立される。
  • 安堵の辻:大阪府大阪市東成区。あるとき、西方から紫雲がたなびき、老人が出現。かつて託宣した教信であった。「生涯をかけた念仏の功徳により、あなたは来年の6月13日に極楽往生できる」といった。小堂が残る。
  • 有馬墓所:大阪府東大阪市。長瀬墓地にある墓所。ここで火葬された。
    • 河内阿弥陀院:大阪府東大阪市。有馬墓所にあった寺院。現在も本尊と良忍、法明と思われる像が長瀬墓地の式場の中に祀られているという。
    • 常福寺:有馬墓所を作るために土地を造成しているときに地中から光を放つ金色の宝珠を発見。法明の遺徳として宝珠を収めた阿弥陀像が作られ、宝珠山常福寺に祀られた。
  • 大念仏寺墓所:歴代上人の墓所。
  • 高野山墓所:高野山奥の院にある。
    • 高野山法明堂:安養院にある。

参考文献

  • 融通念佛宗教学研究所『法明上人 その生涯と信仰』平成10
http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%B3%95%E6%98%8E%E6%97%A7%E8%B7%A1」より作成

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