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法通寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2021年9月19日 (日)

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法通寺は大阪府東大阪市東石切町(河内国河内郡)にあった古代寺院石切剣箭神社本殿の北に「法通寺」の字名が残り、跡地とみられる。7世紀末から鎌倉時代にかけての瓦が出土している。

聖徳太子の創建と伝える。『山槐記』1161年9月17日条によると、前関白藤原忠通が法通寺に対し、大江御厨への押領を止めるように命じている。 法通寺庄が成立し、1302年、吉田経長が興福寺領として寄進した。1381年、室町幕府は法通寺地頭職を石清水八幡宮に寄進した。

1984年の発掘調査では金堂の基壇跡とみられる遺構が見つかった。 石切剣箭神社の神宮寺との推測もある。 浄土真宗光養寺(浄土真宗本願寺派)は蓮如が法通寺を復興した道場であるといい、山号を法通山という。 1494年の河内合戦を描いた「河内御陣図」(福智院家文書)によると河内・往生院のあたりにあったと描く。 (『日本歴史地名大系』)

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