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田村神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年9月24日 (土)

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田村神社(たむら・じんじゃ)は香川県高松市一宮町(讃岐国香川郡)にある神社。祭神は倭迹迹日百襲姫命五十狭芹彦命猿田彦大神・天隠山命・天五田根命(ウェブサイト)。御神体となっている深淵に端を発する水神への信仰が根源と思われる。官社名神大社讃岐国一宮国幣中社神社本庁別表神社田村大社田村大明神定水大明神一宮大明神とも呼ばれた。特殊神事として御蚊帳撤神事がある。別当は四国霊場真言宗一宮寺だった。(参考:同名神社田村神社_(同名)

目次

奉斎

元々は神淵に対する自然神への信仰だったと思われる。

(ウェブサイト)

歴史

  • 大宝年間:義淵が大宝院(一宮寺)を創建。あるいは天平年間に行基が創建したという。
  • 709年:社殿を造営
  • 849年2月28日:従五位下。続日本後紀
  • 861年2月13日:この時点で従五位上。官社に列する。三代実録
  • 865年10月9日:正五位下。三代実録
  • 867年10月5日:従四位下。三代実録
  • 875年5月27日:従四位上。三代実録
  • 877年3月4日:正四位上。三代実録
  • 1165年6月:那珂郡櫛無社(櫛梨神社か)と共に神祇官御年貢進社(不詳)に指定(神祇官諸社年貢注文)
  • 1201年:正一位に昇叙と伝える
  • 1247年:倭迹迹日百襲姫命五十狭芹彦命孝霊天皇の塔(一宮御陵)を建立。後に一宮寺境内に移転。
  • 1284年7月:後宇多天皇の勅額「正一位田村大明神」が寄進される(現存)。
  • 1306年(徳治1年)6月12日:『昭慶門院御領目録』の讃岐国の条に「一の宮」とある。
  • 1363年3月:守護細川頼之が一切経と経蔵を奉納。以後、毎年3月15日に一切経転読法会が行われ、市場が生じるようになる。
  • 1460年:守護細川勝元、社殿造営。700貫文寄進。
  • 1460年2月:守護細川勝元、「讃岐国一宮田村大社壁書」[1]を制定
  • 天正年間(1573-1592):兵火で焼失。
  • 1586年8月24日:仙石秀久、社領100石を寄進
  • 1587年12月:生駒近規、50石寄進
  • 1596年:地震で損壊。同年、天輪坊に社殿再建のための勧進が許可されている。
  • 1669年:この時点で大宝院、仁和寺末となっている。
  • 1679年:社殿造営。この時に神仏分離が行われた。13寺があったが大宝院(一宮寺)を残して廃絶。45石を神社に、5石を大宝院に分配した。以降、田村家が社務を司る。
  • 1710年:社殿造営
  • 宝暦(1751-1764):一宮御陵を大宝院境内に移転。
  • 1871年5月14日:国幣中社に列格。
  • 1875年12月:毎年2回の例祭を10月8日に制定
  • 1877年:拝殿幣殿造営

(『日本歴史地名大系』、『一宮村史』ほか)

境内

  • 本社:拝殿と本殿のほか、奥殿がある。本殿と奥殿は1710年(宝永7年)の再建。拝殿は1877年(明治10年)の再建。
  • 神淵:御神座となっている霊泉。奥殿の中にあるという。定水、定水井とも。1655年(明暦1年)の改築のときに普請奉行の竹内斉庵が神主に強く請願して中を覗いたら「凄愴の気」に打たれ、間もなく死亡したという。
  • 宇都伎社:境内末社。祭神は大地主神倉稲魂神。本社と並ぶ大型の社殿で、特別な由緒があると推測されるが不詳。拝殿は1987年(昭和62年)再建。
  • 素婆倶羅社:境内末社。祭神は少名毘古那神大年神塞神・大水上神・菅原神を配祀する。珍しい社名だが由緒不詳。「素婆倶羅様」として信仰を集める。拝殿は2002年(平成14年)再建。
  • 厳島社:境内末社。祭神は市杵島姫命。宮嶋社。
  • 一宮天満宮:祭神は菅原道真。2005年(平成17年)再建。
  • 淡島社:
  • 稲荷社:
  • 姫の宮:
  • 七福神:
  • 忠魂碑:
  • 花泉:境内の西端にある
  • 袂井:境内の東方にある


  • 地神社:香川県高松市一宮町東新田。1944『讃岐香川郡志』[2]に境外末社として記載。いわゆる地神塔と思われる。広瀬大御神、龍田大御神、大年大御神、倉稲魂大御神、和久産巣日大御神、波邇夜須毘売大御神、大宜都比売大御神と刻む。一部の神号は本居宣長の真筆という。1798年(寛政10年)に門人の山田六郎が授けられた神号筆を彫り込んだものという。元は山田郡六条村にあったが、安政年間に田村晴正が貰い受けて他の神号も刻して建てたという。現存不詳。
  • 天満神社:香川県高松市一宮町作島。祭神は菅原道真。1938『香川県神社誌』に境外末社として記載。現存は確認できず、また田村神社境内に天満宮はないので現在の一宮天満宮か。
  • 寒川神社:香川県高松市一宮町新開。祭神は大年神。1938『香川県神社誌』に境外末社として記載。現存不詳。
  • 農護売神社:香川県高松市一宮町荒。祭神は保食神。1938『香川県神社誌』に境外末社として記載。現存不詳。
  • 三名神社:香川県高松市三名町西川。祭神は大年神・御年神・若年神。1938『香川県神社誌』に境外末社として記載。1773年(安永2年)造営。1797年(寛政9年)頃造営。現存。
  • 田寄神社:香川県高松市鹿角町。祭神は御年神・若年神・大年神。1938『香川県神社誌』に境外末社として記載。

関連旧跡

  • 御旅所:一の鳥居のあたりにある。天降の御旅所がいつまで用いられていたか不明だが、1875年(明治8年)、現御旅所の北の杉並木に離宮を設置。しかし近過ぎるので辻堂池の南に神幸地を設けた。しかし不都合から天降の地に復帰させようとして1902年(明治35年)、一宮村と大野村の境界に御旅所を移設。しかし鉄道開通により1924年(大正13年)に現在地に移転した。
  • 田村家墓地:香川県高松市一宮町神木。田村晴重墓は1863年(文久3年)12月に建立。
  • 休石:東100mにある。倭迹迹日百襲姫命が休んだところ。
  • 天降:香川県高松市香川町大野。田村大神が出現した場所。御旅所だった。大野石清水八幡神社の境外社として天降神社(祭神は瓊瓊杵尊)がある。
  • 一宮城:神社の西北にある。一宮家の居城。五輪塔が残り、荒神さんと呼ばれている。
  • 法然寺来迎堂:香川県高松市仏生山町仏生山。来迎堂にある二十五菩薩が延宝の神仏分離の時に田村神社より遷されたものという。

社僧

  • 大宝院:現在の一宮寺四国八十八所霊場第83番札所。本尊は聖観音義淵あるいは行基の創建という。真言宗御室派。山号は神毫山。
  • 弥勒院:「第二の別当」という。
  • 大蔵院:大宝院所属。現存。
  • 大善坊:大宝院所属。
  • 南養坊:大宝院所属。
  • 西椿坊:大宝院所属。
  • 南ノ坊:大宝院所属。
  • 道場寺:大宝院所属。
  • 宝性坊:弥勒院所属。
  • 宝光坊:弥勒院所属。
  • 般若坊:弥勒院所属。
  • 行泉坊:弥勒院所属。
  • 北ノ坊:弥勒院所属。
  • 南光坊:弥勒院所属。

組織

大宮司

中世、細川家武将の一宮家が大宮司または神主を称して奉仕した。一宮家は藤原氏で香西資村の末裔という。一宮城を居城とした。神職というよりは領主だった。系図[3]

神主

田村家が神主職を世襲した。歴代藩主が下した朱印状には「神主」とある。田村家は秦氏で、秦勝倉下、秦部福依の末裔を称した。あるいは一宮城主兼大宮司の秦晴親(不詳)の子の晴道が田村家を名乗り、初代の田村晴重はその子供だという。神社近くに田村家墓地があるらしい。一覧[4]

代数 名前 生没 在職 略歴
1 田村晴重 ?-1664 不詳 略歴不詳。1653年(承応2年)6月、養子の田村晴時が解任されたため再任し、1655年(明暦1年)まで務めた。1664年(寛文4年)5月6日死去。武大夫。
2 田村晴時 生没年不詳 ?-1653 田村晴重の養子。就任年不明。放蕩し、神宝を売却。そのため1653年(承応2年)6月、解任され流罪となったという。兵部大夫。
3 田村晴重 ?-1664 1653-1655 1653年(承応2年)6月、養子の田村晴時が解任されたため再任し、。1655年(明暦1年)まで務めた。
4 田村晴安 生没年不詳 ?-1705 1705年(宝永2年)退任。左太夫。のち隼人佑。晴明は誤りか。
5 田村晴延 生没年不詳 ?-1717 田村晴安の子。1717年(享保2年)6月退任。左太夫。
6 田村晴望 ?-1726 ?-1726 田村晴延の子。1726年(享保11年)10月死去。主殿。
7 田村晴近 生没年不詳 ?-1772 田村晴延の子。田村晴望の弟。1772年(安永1年)11月退任。隼人。
8 田村晴可 ?-1808 ?-1808 田村晴近の養子。1808年(文化5年)11月死去。縫殿。
9 田村晴雪 ?-1833 ?-1833 田村晴可の子。1833年(天保4年)9月死去。浪江。
10 田村晴正 生没年不詳 ?-1871 田村晴雪の子。1871年(明治4年)5月、国幣中社列格と共に退任。隼人。
(田村晴忠) 生没年不詳 1871年(明治4年)8月22日、田村神社権禰宜。1877年(明治10年)12月8日に退任か。

宮司

  • 『香川県史』[5]に長曽我部延雄まで掲載。『讃岐香川郡志』[6]に稲生一穂まで。『一宮村史』[7]に池田武夫まで記すが、戦後の就任年月日が疑わしい。
代数 名前 生没 在職 略歴
1 久米幹文 1828-1894 1873-1873 水戸藩の国学者。本居内遠、平田鉄胤に師事。徳川斉昭に仕え、江戸で国事に奔走。斉昭の死後は幽閉された。1872年(明治5年)教部省に勤務。伊勢神宮に奉仕。1873年(明治6年)5月22日から6月まで田村神社宮司。寒川神社水無神社大麻比古神社の宮司も務めたという。1882年(明治15年)東京大学講師。第一高等中学校教授。1886年(明治19年)、本居豊穎や小杉榲邨らと共に大八洲学会を設立。1894年(明治27年)11月10日死去。水廼舎と号す。著書『大八洲史』『水屋集』。
2 松平頼纉 1841-1901 1873-1895 高松松平家一門の松平大膳家当主。1873年(明治6年)6月4日から1895年(明治28年)5月まで田村神社宮司。
3 波多野央 生没年不詳 1895-1895 旗本。見廻組頭。維新後は伊藤博文の知遇を得て兵庫県市政局に勤務。1895年(明治28年)5月24日から6月20日まで田村神社宮司。波多野小太郎。
4 松原貴速 1831-? 1895-1895 1895年(明治28年)6月20日から9月まで田村神社宮司。(略歴は、広瀬神社#組織を参照)
5 大原美能理 1838-1902 1895-1902 平田派の国学者。矢野玄道の弟子。1895年(明治28年)9月6日、田村神社宮司。翌年正七位。1902年(明治35年)1月17日、在職で死去。直前に従六位。65歳。
6 松岡調 1830-1904 1902-1904 1902年(明治35年)1月29日、田村神社宮司。1904年(明治37年)12月、在職で死去。(略歴は伊和神社#組織を参照)
7 三島敦雄 1878-1955 1904-1906 1904年(明治37年)12月24日から1906年(明治39年)12月まで田村神社宮司。(略歴は大山祇神社#組織を参照)
8 長曽我部延男 生没年不詳 1906-? 1906年(明治39年)12月11日、田村神社宮司。1929年3月30日まで西寒多神社宮司。
9 稲生一穂 生没年不詳 1927-1942 田島神社宮司を経て1927年(昭和2年)8月13日、田村神社宮司。1942年(昭和17年)3月19日、丹生川上神社宮司。
10 佐藤敏夫 生没年不詳 1942- 1942年(昭和17年)3月19日、田村神社宮司。1946年(昭和21年)5月23日、都農神社宮司。1948年(昭和23年)3月21日、宇倍神社宮司。
11 安黒幸治 1903-1973 1944-1947 兵庫県出身。1903年(明治36年)生。1923年(大正12年)、伊和神社主典。1927年(昭和2年)、神職高等試験合格。1929年(昭和4年)、弥彦神社主典。1940年(昭和15年)、日光東照宮禰宜。1944年(昭和19年)3月24日、田村神社宮司([8]、神道人名辞典)。1947年(昭和22年)1月31日、伊和神社宮司。1973年(昭和48年)12月25日死去。71歳。『安黒幸治歌集』。
12 斎藤芳美 生没年不詳 1947-1948 神宮宮掌。神宮権禰宜。『大神宮叢書』編纂に関与。1946年(昭和21年)7月1日、伊和神社宮司。1947年(昭和22年)1月31日から1948年(昭和23年)3月13日まで田村神社宮司。
13 池田武夫 1915-2001 1948-1999 1915年(大正4年)生。1939年(昭和14年)、神宮皇学館神道科卒。同年、平壌神社に奉職。1940年(昭和15年)兵役。1943年(昭和18年)、田村神社出仕。1944年(昭和19年)、田村神社主典。1948年(昭和23年)3月13日から1999年(平成11年)12月9日まで田村神社宮司。2001年(平成13年)4月7日死去。85歳。
14 池田博文 1957- 1999- 1957年(昭和32年)生。1979年(昭和54年)浅間大社権禰宜。同年、田村神社権禰宜。1987年(昭和62年)、田村神社禰宜。1999年(平成11年)12月10日、田村神社宮司。香川県神社庁長。

権宮司

  • 『香川県史』[9]
代数 名前 生没 在職 略歴
1 松平頼纉 1841-1901 1871-1873 1871年(明治4年)10月23日から1873年(明治6年)6月まで田村神社権宮司。
2 綿引泰 1837-1915 1873-1873 水戸の漢学者。原市之進に学ぶ。1870年(明治3年)水戸弘道館訓導。宮内省に勤務。1873年(明治6年)6月から同月まで田村神社権宮司。1915年(大正4年)死去。綿引東海。綿引天行。著書『自強斎叢書』、『桜田烈士伝』[10]、『能州遊〓』[11]、『琴弾山紀勝鈔録』、『いてゆの枝折』[12]ほか。
3 安元奇夫 生没年不詳 1873-1874 経歴不詳。1873年(明治6年)8月から1874年(明治7年)10月まで田村神社権宮司。1874年(明治7年)3月大講義。
4 細矢庸雄 1822-1883 1874-1877 出羽国出身。平田派の国学者。1822年(文政5年)生。1869年(明治2年)9月9日、本庄藩皇学教授。1870年(明治3年)4月27日、神祇官権小史。1871年(明治4年)2月5日、神祇官出仕。1872年(明治5年)6月15日、安房神社禰宜。19日、権中講義。1873年(明治6年)11月30日、大麻比古神社禰宜・中講義。1874年(明治7年)10月8日、田村神社権宮司。から1877年(明治10年)12月、制度改正で田村神社禰宜。1879年(明治12年)5月25日、権大講義。1883年(明治16年)10月10日死去。著書『忌部神社鎮座考』、『忌部神社正蹟増補考』[13]、『祭典略式』。(讃岐香川郡志[14]

画像

資料

古典籍

  • 「田村神社文書」:新編香川叢書[15]、香川県史[16]
  • 「讚岐国一宮田村大社壁書之事」[17]
  • 『讃州一宮氏系図』:『讃州一宮家系図』。
  • 「一宮大宮司伝」:『南海通記』[18]。香西成資著。1705年(宝永2年)序。「宇都大明神」こそ一宮であるという欄外注記がある。
  • 『一宮由来記』:田村晴可著。
  • 『讃岐一宮盛衰記』:1717年(享保2年)。田村晴望著。『香川叢書』[19]
  • 『古事類苑』「田村神社」[20]
  • 『讃岐名勝図会』:1854年(安政1年)。[21]

文献

  • 『田村神社名勝志』:不詳
  • 1910『香川県史3上』「田村神社」[22]
  • 1938『香川県神社誌』「田村神社」[23]
  • 1941『官国幣社特殊神事調』[24]
  • 1944『讃岐香川郡志』「田村神社」[25]
  • 1944『讃岐香川郡志』「大宝院」[26]
  • 1953『新修香川県史』「神社」[27]
  • 1965『一宮村史』「田村神社」[28]
  • 1965『一宮村史』「大宝院」[29]
  • 1990『さぬき一宮郷土誌』
  • 高松市歴史資料館1995『讃岐一宮田村神社の名宝展』
http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%94%B0%E6%9D%91%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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