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神鳳寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年12月15日 (火)

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神鳳寺(じんぽうじ)は、和泉国大鳥郡にあった行基ゆかりの真言律宗寺院。行基建立四十九院の一つか。大鳥神社の神宮寺。本尊は釈迦如来薬師如来阿弥陀如来。廃絶。西明寺野中寺と共に西明寺流の三僧坊の一つ。山号は大鳥山。

目次

歴史

708年、行基の創建と伝える(行基年譜)。 天正年間、兵火で焼失。 1602年、豊臣秀頼が再建。 元禄年間、快円恵空が再興。柳沢吉保の帰依を受けた。 近世の戒律復興運動の拠点となり、76寺の末寺があったという。 明治の神仏分離で廃絶し、寺宝は末寺の光明院に移された。

江戸の室泉寺を宿寺としていた。 (日本歴史地名大系)

伽藍

組織

歴代

世数 生没年 在職年 略歴
1 真政円忍 1609-1677 1672-1677 高野山円通寺2世。法隆寺北室院3世。加賀国出身。1609年(慶長14年)生。高野山宝光院で学ぶ。高野山円通寺・法隆寺北室院の賢俊良永に師事。1647年(正保4年)円通寺と北室院の両寺を嗣ぐ。1661年(寛文1年)法隆寺覚無庵に隠退。法起寺の復興に尽力。1672年(寛文12年)、弟子の快円恵空から招かれ、律院とする。1677年(延宝5年)閏12月25日、法起寺で死去。存命中の1674年(延宝2年)9月に放光寺に彫像が残る。
2 快円恵空 1622-1712 1677- 高野山円通寺3世。1622年(元和8年)生。真政円忍に師事。1661年(寛文1年)、師の隠退で高野山円通寺を継承。賢俊良永から始まる戒律の簡易化に異を唱え、新たな僧坊の設立を画策。1667年(寛文7年)、家原寺久蔵院の快意から管轄下の神鳳寺を移譲され、1672年(寛文12年)4月、師の真政円忍を招いて律院とした。柳沢吉保の帰依を得て神鳳寺復興の支援を受けたという。自らは住吉地蔵院に退いた。1677年(延宝5年)の真政円忍の死後、住職となる。年代不明だが江戸では室泉寺を取得した。1712年(正徳2年)2月8日死去。菩薩戒を授けた門下に覚彦浄厳がいる。
3 玄恵智関 ?-1716 1716年(享保1年)閏2月26日死去。
4 永雅妙弁 ?-1727 北野密厳院に住す。1727年(享保12年)1月15日死去。
5 慈円了性 ?-1730 河内南林寺住職か。後水尾上皇の戒師か。1730年(享保15年)2月23日死去。
6 玉潭心澄 ?-1748 河内南林寺住職か。1748年(寛延1年)11月23日死去。
7 快存弘道 1686-1770 1770年(明和7年)12月6日死去。85歳。
8 泰運仁慶 ?-1775 1775年(安永4年)1月17日死去。
9 徳鎧慧刀 ?-1784 1784年(天明4年)10月15日死去。
10 徳岸心寂 生没年不詳
11 密元円成 ?-1792 1792年(寛政4年)8月11日死去。光明院4世。
12 実厳通光 生没年不詳
13 了海知空 生没年不詳 1803年(享和3年)時点で正覚寺(奈良市西紀寺町)に住す。
14 南龍志道 ?-1815 1815年(文化12年)6月12日死去。
15 快賢義英 ?-1815 1815年(文化12年)8月18日死去。
16 瑞明覚秀 ?-1829 1829年(文政12年)3月1日死去。
17 素静大桂 ?-1834 聖林寺6世。1834年(天保5年)9月16日死去。
18 大機百中 ?-1845 1845年(弘化2年)3月4日死去。
19 体亮重円 ?-1854 1854年(安政1年)8月23日死去。
20 等玄真昶 ?-1856 大御輪寺に住す。1856年(安政3年)10月12日死去。
21 慈観覚住 ?-1859 1859年(安政6年)11月27日死去。
22 覚了性空 ?-1866 1866年(慶応2年)8月11日死去。
http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%A5%9E%E9%B3%B3%E5%AF%BA」より作成

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