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霊丘神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年3月27日 (水)
霊丘神社(れいきゅう・じんじゃ)は、長崎県島原市弁天町にある島原藩深溝松平家歴代を祀る霊社・東照宮。県社。領主奉斎神社。近くに島原護国神社がある。島原東照宮。
目次 |
祭神
要検討
- 徳川家康
- 多紀理比売命・狭依比売命・多岐津比売命
- 松平忠定
- 松平好景
- 松平伊忠
- 松平家忠
- 松平忠利
- 松平忠房
- 倉稲魂命
- 素盞嗚命
- 大市姫命
歴史
- 1625年(寛永2年):松倉豊後守、猛島神社を高島から現在地に遷座。猛島神社と共に愛宕神社と東照宮を祀った。
- 1637年(寛永14年):島原の乱。
- 1664年(寛文4年):藩主高力隆長、兵乱後の領民の人心の鎮定のため、東照宮を猛島から御宮山(権現山)の現在地に遷座。創立とも[1][2]
- 1669年(寛文9年):深溝松平家の松平忠房が入部。
- 1673年(延宝1年):社殿を修復。100石を寄進。天台宗一乗院(真言宗?)が祭祀を司る。[3][4]
- 1680年(延宝8年):一乗院を温泉山(雲仙岳)に移転。寛永寺見明院の弟子の覚乗坊を招いて院主とする。
- 1681年(天和1年):慈雲山和光院松栄寺を創建。
- 1792年(寛政4年)4月:地震の津波で社殿流出。松島(弁天山)と御宮山の海が埋まり広大な陸地となり社地に編入。[5][6][7]
- 1814年(文化11年):松平忠馮、社殿再建[8][9]
- 1852年(嘉永5年)1月:参道北側に東西100間の広大な騎射馬場を造営開始。翌年2月竣工。
- 維新後:和光院を廃して神職が奉仕。郷社猛島神社の「付属雑社」となる[10]
- 1875年(明治8年):松島神社(弁天宮、宗像神社)を合祀[11]
- 1876年(明治9年):二等官林に編入。
- 1881年(明治14年):旧藩士に祖廟建設の議が起こり、改築して合祀することを決める。[12]
- 1882年(明治15年)4月:藩主6人合祀願を提出。2万円資金を募る。松平家は1500円、畑地1町歩寄進。
- 1883年(明治16年)10月:遷座祭・鎮座祭を執行。主要な神職が集まった。旧藩主松平忠和、各町村戸長、崇敬者代表が参列。同時に霊丘公園開設[13](『天皇及偉人を祀れる神社』では藩主祖霊は別に龍岡神社として祀ってあったのを合祀したともいうが他に該当する記述は確認できない[14])
- 1901年(明治34年)7月2日:島原城の潜龍園稲荷神社を合祀許可[15]。[16]
- 1939年(昭和14年)11月10日:無格社から県社に昇格[17]
- 1939年(昭和14年)12月4日:昇格奉告祭に松平家当初代理参拝[18]。