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靖国神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年12月26日 (火)

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靖国神社
やすくに じんじゃ
Yasukuni-jinja-saniwa (7).jpg戦没者の神霊を降臨させる招魂式が行われた旧招魂斎庭
概要 戦没者を奉斎する神社。代表的招魂社。
奉斎 明治維新前後殉国者
(土岐昌訓論文)
所在地 東京都千代田区九段北3-1-1
所在地(旧国郡)
所属(現在) (単立)
格式など 別格官幣社勅祭社
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靖国神社(やすくに・じんじゃ)は、東京都千代田区にある、官軍戦死者・対外戦争戦死者などを合祀する招魂社別格官幣社。境内には鎮霊社元宮招魂斎庭がある。南東600mのところに千鳥ケ淵戦没者墓苑、東600mの日本武道館の脇に弥生慰霊堂がある。旧称は東京招魂社

目次

祭神

  • 戦没者
  • 北白川宮能久親王・北白川宮永久王
  • 旧・招魂殿祭神ほか(左側相殿)

合祀年表

  • 主に靖国神社百年史による
  • 未見:「靖国神社問題資料I靖国神社合祀年表」[1]
年月日 祭典名 戦役 合祀数
内訳
合祀数
小計
総祭神数 備考 祭神名簿・資料
第01回 1869年(明治2年)6月28日 招魂祭 伏見・鳥羽・函館 3588 3588 3588 祭神帳番号1~6。
第02回 1874年(明治7年)8月27日 招魂祭 佐賀 192 192 3780 祭神帳番号7。招魂斎庭を設ける。
第03回 1874年(明治7年)11月5日 招魂祭 佐賀 16 16 3796 祭神帳番号7。
第04回 1875年(明治8年)2月21日 「招魂式」 台湾 12 12 3808 祭神帳番号7。
第05回 1875年(明治8年)7月3日 「招魂式」 佐賀 1 1 3809 祭神帳番号7。
第06回 1876年(明治9年)1月26日 「招魂式」 朝鮮 1 1 3810 祭神帳番号7。松村千代松を合祀。
第07回 1877年(明治10年)1月24日 熊本・山口・福岡 131 131 3941 祭神帳番号8。
第08回 1877年(明治10年)11月13日 臨時大祭(「招魂祭」) 西南戦争 6505 6505 10446 祭神帳番号9~32?
第09回 1878年(明治11年)7月3日 「招魂式」 西南戦争 160 160 10606 祭神帳番号9~32?
第10回 1878年(明治11年)11月5日 竹橋事変 4 4 10610 祭神帳番号20。
第11回 1879年(明治12年)6月24日 西南戦争 266 266 10876 祭神帳番号29~30。
第12回 1882年(明治15年)11月5日 朝鮮国に於いて戦死遭難 12 12 10888 祭神帳番号33。
第13回 1883年(明治16年)5月5日 旧高知藩殉難者 80 80 10968 祭神帳番号34。坂本龍馬、中岡慎太郎、武市半平太、吉村寅太郎など合祀
第14回1 1884年(明治17年)11月5日 「招魂式」 旧山口藩殉難者 29 47 11015 祭神帳番号35。
第14回2 西南戦争 18 祭神帳番号35。
第15回 1885年(明治18年)5月5日 朝鮮京城事変 6 6 11021 祭神帳番号35。
第16回1 1888年(明治21年)5月5日 「招魂式」 西南戦争 1 607 11628 祭神帳番号36。
第16回2 嘉永六年以来旧山口藩殉難者 601 祭神帳番号36。中山忠光、吉田松陰、高杉晋作、福原越後などを合祀。
第16回3 維新前旧高知藩殉難者 5 祭神帳番号36。 官報1888年(明治21年)5月2日:陸軍省告示第11号「殉難死節者靖国神社へ合祀」[2]
第17回 1888年(明治21年)11月5日 「招魂式」 維新前旧久留米藩殉難者 18 18 11646 祭神帳番号37。真木和泉など合祀。 官報1888年(明治21年)10月23日:陸軍省告示第16号「殉難死節者靖国神社へ合祀」[3]
第18回1 1889年(明治22年)5月5日 「招魂式」 維新前旧水戸藩殉難者 1027 1460 13106 祭神帳番号38~39。高橋多一郎、伊賀耕雲斎を合祀。 官報1889年(明治22年)5月2日:陸軍省告示第10号「維新前殉難者靖国神社へ合祀の件」[4]
第18回2 維新前旧水戸藩殉難者 363 祭神帳番号40。 官報1889年(明治22年)5月2日:陸軍省告示第10号「維新前殉難者靖国神社へ合祀の件」[5]
第18回3 維新前旧宍戸藩殉難者 63 祭神帳番号40。藩主松平頼徳を合祀。 官報1889年(明治22年)5月2日:陸軍省告示第10号「維新前殉難者靖国神社へ合祀の件」[6]
第18回4 維新前旧松川藩殉難者 7 祭神帳番号40。 官報1889年(明治22年)5月2日:陸軍省告示第10号「維新前殉難者靖国神社へ合祀の件」[7]
第19回1 1889年(明治22年)11月5日 「招魂式」 維新前宇都宮藩殉難者 42 61 13167 祭神帳番号41。 官報1889年(明治22年)10月26日:陸軍省告示第19号「維新前後殉難者靖国神社へ合祀の件」[8]
第19回2 維新前旧大村藩殉難者 1 祭神帳番号41。 官報1889年(明治22年)10月29日:陸軍省告示第20号「維新前殉難者靖国神社へ合祀の件」[9]
第19回3 維新前旧鹿児島藩殉難者 16 祭神帳番号41。有馬新七など合祀 官報1889年(明治22年)11月2日:陸軍省告示第21号「維新前殉難者靖国神社へ合祀の件」[10]
第19回4 維新前旧福井藩殉難者 1 祭神帳番号41。橋本左内合祀 官報1889年(明治22年)11月2日:陸軍省告示第21号「維新前殉難者靖国神社へ合祀の件」[11]
第19回5 維新前旧小浜藩殉難者 1 祭神帳番号41。梅田雲浜合祀 官報1889年(明治22年)11月2日:陸軍省告示第21号「維新前殉難者靖国神社へ合祀の件」[12]
第20回 1891年(明治24年)11月5日 「招魂式」 維新前後各県・旧宇都宮藩殉難者 1272 1272 14439 祭神帳番号42。告示文には1277人とある。清水寺月照、清水寺信海、宮部鼎蔵、頼三樹三郎、伴林光平、佐久良東雄を合祀。 官報1891年(明治24年)9月17日:陸軍省告示第9号「維新前後殉難者靖国神社へ合祀の件」[13]
第21回 1893年(明治26年)11月5日 「招魂式」 維新前後各県・旧鹿児島藩殉難者 80 80 14519 祭神帳番号43。 官報1893年(明治26年)11月2日:陸軍省告示第10号「靖国神社へ合祀人名」[14]
第22回 1895年(明治28年)12月15日 「招魂式」 日清戦争 1496 1496 16015 祭神帳番号44~49。大寺安純を合祀。 官報1895年(明治28年)12月7日:陸軍省告示第23号「靖国神社合祀人名」[15]、官報1895年(明治28年)12月7日:海軍省告示第24号「合祀人名」[16]、官報1895年(明治28年)12月12日:陸軍省告示第24号「靖国神社合祀人名」[17]
第23回 1896年(明治29年)5月5日 「招魂式」 日清戦争・台湾朝鮮における戦死者 143 143 16158 祭神帳番号50。 官報1896年(明治29年)4月27日:陸軍省告示第5号「靖国神社合祀」[18]、官報1896年(明治29年)4月27日:陸軍省告示第6号「靖国神社合祀」[19]
第24回 1896年(明治29年)11月5日 「招魂式」 日清戦争・台湾朝鮮における戦死者 97 97 16255 祭神帳番号51。 官報1896年(明治29年)11月2日:陸軍省告示第16号「靖国神社へ合祀人名」[20]
第25回1 1898年(明治31年)11月4日 「招魂式」 日清戦争・台湾朝鮮における戦死者 362 11383 27638 祭神帳番号52。 官報1898年(明治31年)9月30日:陸軍省告示第12号「靖国神社合祀人名」[21]、官報1898年(明治31年)10月6日:海軍省告示第15号「靖国神社合祀人名」[22]
第25回2 日清戦争中疾病又は災害により出征中死没者(特祀) 11019 祭神帳番号53~70。 官報1898年(明治31年)9月30日:陸軍省告示第12号「靖国神社合祀人名」[23]、官報1898年(明治31年)10月6日:海軍省告示第15号「靖国神社合祀人名」[24]
第25回3 旧厳原藩殉難者 2 祭神帳番号71。 官報1898年(明治31年)10月27日:陸軍省告示第16号「靖国神社合祀人名」[25]
第26回1 1899年(明治32年)5月5日 「招魂式」 日清戦争・台湾朝鮮における戦死傷死者 335 332 27970 祭神帳番号72~73。 官報1899年(明治32年)4月22日:陸軍省告示第4号「靖国神社合祀人名」[26]、官報1899年(明治32年)4月28日:海軍省告示第12号「靖国神社合祀人名」[27]
第26回2 日清戦争中、戦地で疾病又は災害により又は出征事務に関し死没者(特祀)? 5 祭神帳番号74。 官報1899年(明治32年)4月22日:陸軍省告示第4号「靖国神社合祀人名」[28]、官報1899年(明治32年)4月28日:海軍省告示第12号「靖国神社合祀人名」[29]
第27回 1899年(明治32年)11月5日 「招魂式」 日清戦争および台湾朝鮮における戦死傷死者(特祀) 83 91 28061 祭神帳番号75~76。 官報1899年(明治32年)10月21日:陸軍省告示第13号「明治二十七八年戦役並に台湾及朝鮮国に於ける戦死傷死者等靖国神社へ合祀招魂祭典施行」[30]
第28回1 1900年(明治33年)5月5日 「招魂式」 1900年(明治33年)1月台湾守備隊における戦死者 1 35 28096 祭神帳番号77。 官報1900年(明治33年)4月21日:陸軍省告示第5号「台湾守備隊に於ける戦死者等靖国神社へ合祀の件」[31]
第28回2 日清戦争中疾病又は災害により死没者(特祀) 50 祭神帳番号78。 官報1900年(明治33年)4月21日:陸軍省告示第5号「台湾守備隊に於ける戦死者等靖国神社へ合祀の件」[32]
第28回3 日清戦争中疾病又は災害により死没者(特祀)・旧鹿児島藩殉難者 4 祭神帳番号79。 官報1900年(明治33年)4月21日:陸軍省告示第6号「殉難者旧鹿児島藩士相良頼元外一名靖国神社へ合祀の件」[33]、官報1900年(明治33年)5月3日:海軍省告示第10号「靖国神社合祀人名」[34]
第29回1 1901年(明治34年)10月31日 「招魂式」 義和団事変・台湾守備隊討伐中戦死者 563 1282 29378 祭神帳番号80。 官報1901年(明治34年)10月16日:陸軍省告示第10号「明治三十三年清国事件及台湾守備隊土匪討伐中に於ける戦死者靖国神社へ合祀招魂式施行並に臨時大祭執行」[35]、官報1901年(明治34年)10月16日:陸軍省告示第11号「明治三十三年清国事件に従事し及同二十七八年戦役に関し死没の者靖国神社へ合祀招魂式施行並に臨時大祭執行」[36]、官報1901年(明治34年)10月16日:陸軍省海軍省告示「明治三十三年清国事変の際義勇隊に加り戦死の者靖国神社へ合祀招魂式施行並に臨時大祭執行」[37]、官報1901年(明治34年)10月16日:海軍省告示第16号「明治三十三年清国事変に関し死没の者靖国神社へ合祀招魂式施行並に臨時大祭執行」[38]
第29回2 義和団事変および日清戦争中疾病又は災害により死没者(特祀) 849 祭神帳番号81~83。
第29回3 日清戦争中疾病又は災害により死没者(特祀)・旧鹿児島藩殉難者 25 祭神帳番号84。
第29回4 義和団事変・公使館員 45 祭神帳番号84。
第30回1 1904年(明治37年)5月5日 「招魂式」 日清戦争・台湾守備隊 81 89 29467 祭神帳番号85。 官報1904年(明治37年)4月21日:陸軍省告示第16号「靖国神社合祀人名」[39]、官報1904年(明治37年)4月21日:海軍省告示第16号「靖国神社合祀人名」[40]
第30回2 義和団事変 6 祭神帳番号85。
第30回3 義和団事変に従軍中病没 2 祭神帳番号85。
第31回 1905年(明治38年)5月2日 「招魂式」 日露戦争 30881 30883 60350 祭神帳番号86~295。移転した招魂斎庭を用いる。霊璽簿が巻物から簿冊形式に変わる。広瀬武夫を合祀。 官報1905年(明治38年)4月24日:陸軍省告示第8号「明治三十七八年戦役に従事し本年一月迄に戦死若くは負傷後死没したる者靖国神社へ合祀招魂式施行並に臨時大祭挙行」[41]、官報1905年(明治38年)4月24日:海軍省告示第15号「明治三十七八年戦役に従事し本年一月迄に戦死若くは負傷後死没したる者靖国神社へ合祀招魂式施行並に臨時大祭挙行」[42]、官報1905年(明治38年)4月25日:陸軍省告示第8号「明治三十七八年戦役に従事し本年一月迄に戦死若くは負傷後死没したる者靖国神社へ合祀招魂式施行並に臨時大祭挙行」[43]、官報1905年(明治38年)4月26日:陸軍省告示第8号「明治三十七八年戦役に従事し本年一月迄に戦死若くは負傷後死没したる者靖国神社へ合祀招魂式施行並に臨時大祭挙行」[44]、官報1905年(明治38年)4月27日:陸軍省告示第8号「明治三十七八年戦役に従事し本年一月迄に戦死若くは負傷後死没したる者靖国神社へ合祀招魂式施行並に臨時大祭挙行」[45]
第32回 1906年(明治39年)5月1日 日露戦争 29960 29960 90310 祭神帳番号296~666。 官報1906年(明治39年)2月22日:陸軍省海軍省告示無号「明治三十七八年戦役に於て戦死若は戦傷後死没したる軍人軍属靖国神社へ合祀の件」[46]、官報1906年(明治39年)3月27日:海軍省告示第2号「明治三十七八年戦役に従事し戦死若くは戦傷後死没したる軍人軍属靖国神社へ合祀の件」[47]、官報1906年(明治39年)3月27日:陸軍省告示第6号「明治三十七八年戦役に従事し戦死若くは戦場後死没したる軍人軍属靖国神社へ合祀の件(未完)」[48]、官報1906年(明治39年)3月28日:陸軍省告示第6号「明治三十七八年戦役に従事し戦死若くは戦場後死没したる軍人軍属靖国神社へ合祀の件(未完)」[49]、官報1906年(明治39年)3月29日:陸軍省告示第6号「明治三十七八年戦役に従事し戦死若くは戦場後死没したる軍人軍属靖国神社へ合祀の件(未完)」[50]、官報1906年(明治39年)3月30日:陸軍省告示第6号「明治三十七八年戦役に従事し戦死若くは戦場後死没したる軍人軍属靖国神社へ合祀の件(未完)」[51]、官報1906年(明治39年)3月31日:陸軍省告示第6号「明治三十七八年戦役に従事し戦死若くは戦場後死没したる軍人軍属靖国神社へ合祀の件(未完)」[52]、官報1906年(明治39年)4月2日:陸軍省告示第6号「明治三十七八年戦役に従事し戦死若くは戦傷後死没したる軍人軍属靖国神社へ合祀の件」[53]、官報1906年(明治39年)4月4日:陸軍省告示第6号「明治三十七八年戦役に従事し戦死若くは戦傷後死没したる軍人軍属靖国神社へ合祀の件」[54]、官報1906年(明治39年)4月5日:陸軍省告示第6号「明治三十七八年戦役に従事し戦死若くは戦傷後死没したる軍人軍属靖国神社へ合祀の件」[55]、官報1906年(明治39年)4月19日:陸軍省告示第8号「明治三十七八年戦役に従事し戦死若くは戦傷後死没したる軍人合祀洩の者及其後戦死若くは戦傷後死没したる軍人靖国神社へ臨時合祀の件」[56]
第33回1 1907年(明治40年)5月1日 日露戦争戦死者・傷死者(特祀) 25882 24657 114967 祭神帳番号667~2209。 官報1907年(明治40年)3月26日:陸軍省海軍省告示無号「明治三十七八年戦役に於て戦死若は戦傷後死没したる軍人軍属等靖国神社へ合祀の件」[57]、官報1907年(明治40年)4月6日:陸軍省告示第7号「明治三十七八年戦役に於て戦死若くは戦傷後死没したる軍人軍属等合祀洩の者等靖国神社へ臨時合祀の件」[58]、官報1907年(明治40年)4月6日:海軍省告示第5号「明治三十七八年戦役に従事し傷痍疾病等に因り死没したる者靖国神社へ臨時合祀の件」[59]、官報1907年(明治40年)4月8日:陸軍省告示第7号「明治三十七八年戦役に於て戦死若くは戦傷後死没したる軍人軍属等合祀洩の者等靖国神社へ臨時合祀の件」[60]、官報1907年(明治40年)4月9日:陸軍省告示第7号「明治三十七八年戦役に於て戦死若くは戦傷後死没したる軍人軍属等合祀洩の者等靖国神社へ臨時合祀の件」[61]、官報1907年(明治40年)4月10日:陸軍省告示第7号「明治三十七八年戦役に於て戦死若くは戦傷後死没したる軍人軍属等合祀洩の者等靖国神社へ臨時合祀の件」[62]、官報1907年(明治40年)4月15日:陸軍省告示第8号「明治三十七八年戦役に於て戦死若くは戦傷後死没したる軍人軍属等合祀洩の者等靖国神社へ臨時合祀の件」[63]
第33回2 日露戦争戦死者・傷病死者(特祀) 775 祭神帳番号667~2209。
第34回 1908年(明治41年)5月4日 日露戦争(特祀共) 1943 1943 116910 祭神帳番号2210~2234。 官報1908年(明治41年)4月13日:陸軍省告示第12号「明治三十七八年戦役のため死没の陸軍軍人軍属靖国神社へ臨時合祀人名」[64]、官報1908年(明治41年)4月13日:海軍省告示第5号「明治三十七八年戦役のため死没の海軍軍人軍属靖国神社へ臨時合祀人名」[65]、官報1908年(明治41年)4月21日:陸軍省海軍省告示無号「明治三十七八年戦役及韓国暴徒鎮圧事件等のため死没の軍人軍属等靖国神社へ臨時合祀」[66]、官報1908年(明治41年)4月22日:陸軍省告示第14号「明治三十七八年戦役及韓国暴徒鎮圧事件のため死没の軍人軍属靖国神社へ臨時合祀人名」[67]
第35回1 1909年(明治42年)5月4日 「招魂式」 韓国暴徒鎮圧事件 50 817 117727 祭神帳番号2235~2237。 官報1909年(明治42年)4月20日:陸軍省海軍省告示無号「明治三十七八年戦役及韓国暴徒鎮圧事件のため死没の軍人軍属靖国神社へ臨時合祀」[68]、官報1909年(明治42年)4月20日:陸軍省告示第7号「明治三十七八年戦役及韓国暴徒鎮圧事件のため死没の陸軍軍人軍属等靖国神社へ臨時合祀人名」[69]、官報1909年(明治42年)4月20日:海軍省告示第5号「明治三十七八年戦役のため死没の海軍軍人靖国神社へ臨時合祀人名」[70]
第35回2 日露戦争傷痍疾病死没者(特祀) 767 祭神帳番号2235~2237。
第36回1 1910年(明治43年)5月5日 「招魂式」 日露戦争(特祀) 32 141 117868 祭神帳番号2238~2239。 官報1910年(明治43年)4月20日:陸軍省海軍省告示無号「明治三十七八年戦役及韓国暴徒鎮圧事件のため死没の軍人軍属等靖国神社へ合祀に付き臨時祭挙行」[71]、官報1910年(明治43年)4月20日:陸軍省告示第12号「明治三十七八年戦役及韓国暴徒鎮圧事件のため死没の陸軍軍人軍属等靖国神社へ合祀人名」[72]
第36回2 韓国暴徒鎮圧事件 109 祭神帳番号2238~2239。
第37回 1911年(明治44年)5月4日 「招魂式」 韓国暴徒鎮圧事件・台湾討伐(警察官も) 631 118499 官報1911年(明治44年)4月17日:陸軍省告示第11号「朝鮮暴徒鎮圧並に台湾土匪及生蕃討伐等に従事し死没したる陸軍軍人靖国神社へ合祀人名」[73]、官報1911年(明治44年)4月21日:陸軍省海軍省告示無号「台湾土匪及生蕃討伐に従事し死没したる警察官吏靖国神社へ合祀人名」[74]、官報1911年(明治44年)4月22日:陸軍省海軍省告示無号「朝鮮暴徒鎮圧並に台湾土匪又は生蕃討伐に従事し死没したる軍人及警察官吏を靖国神社へ合祀に付き招魂式執行並に臨時祭挙行」[75]、官報1911年(明治44年)4月26日:陸軍省海軍省告示無号「台湾土匪及生蕃討伐に従事し死没したる警察官吏靖国神社へ合祀人名」[76]
第38回 1913年(大正2年)10月22日 「招魂式」 台湾討伐(警察官のみ) 69 118568 官報1913年(大正2年)10月9日:陸軍省海軍省告示無号「台湾生蕃及土匪討伐等に従事し死没したる警察官吏靖国神社へ合祀人名」[77]、官報1913年(大正2年)10月9日:陸軍省海軍省告示無号「台湾生蕃及土匪討伐等に従事し死没したる警察官吏靖国神社へ合祀に付き招魂式執行並に臨時祭挙行」[78]
第39回 1915年(大正4年)4月27日 「招魂式」 第一次大戦、台湾討伐(警察官も)、維新前殉難者 1393 119961 官報1915年(大正4年)4月13日:陸軍省海軍省告示「大正三年戦役に関し死没したる軍人軍属及台湾蕃匪討伐に関し死没したる軍人、警察官並に維新前の殉難者靖国神社へ合祀のため招魂式執行臨時大祭挙行」[79]、官報1915年(大正4年)4月13日:陸軍省告示第5号「大正三年戦役に関し戦死及戦傷後死没したる者靖国神社へ合祀仰出」[80]、官報1915年(大正4年)4月13日:海軍省告示第6号「大正三年戦役に関し戦死及戦傷後死没したる者靖国神社へ合祀仰出」[81]、官報1915年(大正4年)4月13日:陸軍省告示第6号「大正三年戦役に関し死没したる者特別を以て靖国神社へ合祀仰出」[82]、官報1915年(大正4年)4月19日:陸軍省海軍省告示「大正二年同三年に於て台湾蕃匪討伐に関し死没したる警察官特別を以て靖国神社へ合祀仰出」[83]
第40回 1916年(大正5年)4月28日 「招魂式」 第一次大戦 109 120070 官報1916年(大正5年)4月14日:海軍省告示「大正三四年戦役に関し死没したる軍人軍属等を靖国神社へ合祀のため招魂式執行臨時祭挙行」[84]、官報1916年(大正5年)4月14日:陸軍省告示第8号「大正三四年戦役に関し戦傷後死没したる者靖国神社へ合祀仰出」[85]、官報1916年(大正5年)4月14日:海軍省告示第4号「大正三四年戦役に関し戦死したる者靖国神社へ合祀仰出」[86]
第41回 1920年(大正9年)4月27日 「招魂式」 第一次大戦、維新殉難者 1625 121695 官報1920年(大正9年)4月14日:陸軍省海軍省告示「大正三年乃至九年戦役等に於て死没の軍人軍属及維新殉難者を靖国神社へ合祀のため招魂式執行及臨時大祭挙行の儀勅許」[87]、官報1920年(大正9年)4月14日:陸軍省告示第7号「大正三年乃至九年戦役に関する戦死及死没者靖国神社へ合祀仰出」[88]、官報1920年(大正9年)4月14日:陸軍省告示第8号「大正三年乃至九年戦役に関する死没者特別を以て靖国神社へ合祀仰出」[89]、官報1920年(大正9年)4月14日:海軍省告示第4号「大正三年乃至九年戦役に関する戦死及死没者靖国神社へ合祀仰出」[90]
第42回 1921年(大正10年)4月27日 「招魂式」 第一次大戦、台湾討伐 1497 123192 官報1921年(大正10年)4月13日:陸軍省告示第8号「大正三年乃至九年戦役に関し戦死並戦傷役死没したる者靖国神社へ合祀仰出」[91]、官報1921年(大正10年)4月13日:陸軍省告示第9号「大正三年乃至九年戦役に関し死没したる者靖国神社へ合祀仰出」[92]、官報1921年(大正10年)4月13日:海軍省告示第7号「大正三年乃至九年戦役に関し戦死及戦傷後死没したる者靖国神社へ合祀仰出」[93]、官報1921年(大正10年)4月13日:海軍省告示第8号「大正三年乃至九年戦役に関し死没したる者靖国神社へ合祀仰出」[94]、官報1921年(大正10年)4月20日:陸軍省海軍省告示「大正三年乃至九年戦役に関し死没したる軍人軍属を靖国神社へ合祀のため招魂式執行臨時大祭学行」[95]、官報1921年(大正10年)4月23日:陸軍省海軍省告示「大正三年乃至九年事件に関し死没したる者靖国神社へ合祀仰出」[96]、官報1921年(大正10年)4月23日:陸軍省海軍省告示「明治四十三年乃至大正四年台湾著匪討伐に関し死没したる者靖国神社へ合祀仰出」[97]、官報1921年(大正10年)4月23日:陸軍省海軍省告示「靖国神社臨時大祭挙行に関する告示中追加」[98]、官報1921年(大正10年)7月13日:台湾総督府告示第65号「台湾に於ける蕃匪のため殉職せる警察官吏を靖国神社へ合祀仰出」[99]
第43回 1925年(大正14年)4月27日 「招魂式」 第一次大戦、維新殉難者 702 123894 官報1925年(大正14年)4月4日:陸軍省海軍省告示「大正三年乃至九年戦役等の死没者を靖国神社へ合祀の為招魂式執行等」[100]、官報1925年(大正14年)4月10日:陸軍省告示第10号「大正三年乃至九年戦役等に死没したる者靖国神社へ合祀」[101]、官報1925年(大正14年)4月10日:陸軍省告示第11号「大正三年乃至九年戦役等に死没したる者靖国神社へ合祀」[102]、官報1925年(大正14年)4月10日:海軍省告示第3号「大正三年乃至九年戦役等の死没者靖国神社へ合祀」[103]、官報1925年(大正14年)4月22日:陸軍省海軍省告示「元治元年乃至明治二年の殉難者靖国神社へ合祀」[104]、官報1925年(大正14年)4月22日:陸軍省海軍省告示「靖国神社臨時大祭挙行に関する告示中追加」[105]
第44回 1926年(昭和1年)4月28日 「招魂式」 第一次大戦、維新殉難者 60 123954 官報1926年(昭和1年)4月15日:陸軍省海軍省告示「大正三年乃至九年戦役等に死没したる軍人軍属等を靖国神社へ合祀のため招魂式執行」[106]、官報1926年(昭和1年)4月15日:陸軍省告示第8号「大正三年乃至九年戦役等死没者靖国神社へ合祀」[107]、官報1926年(昭和1年)4月15日:陸軍省告示第9号「大正三年乃至九年戦役等死没者靖国神社へ合祀」[108]、官報1926年(昭和1年)4月22日:陸軍省海軍省告示「元治元年乃至慶応三年に於ける殉難者靖国神社へ合祀」[109]、官報1926年(昭和1年)4月22日:陸軍省海軍省告示「大正十五年陸軍省海軍省告示靖国神社臨時祭挙行に関する件中追加」[110]
第45回 1929年(昭和4年)4月24日 「招魂式」 済南事件、日清戦争、維新殉難者 167 124121 官報1929年(昭和4年)4月9日:陸軍省海軍省告示第1号「昭和三年支那事変に関し死没したる軍人軍属を靖国神社へ合祀の為臨時大祭挙行」[111]、官報1929年(昭和4年)4月13日:陸軍省告示第9号「昭和三年支那事変に関し戦死並戦傷後死没者靖国神社へ合祀仰出」[112]、官報1929年(昭和4年)4月13日:陸軍省告示第10号「昭和三年支那事変に関し死没したる者特別を以て同合祀仰出」[113]、官報1929年(昭和4年)4月13日:陸軍省告示第11号「明治二十七八年戦役に関し死没したる者同合祀仰出」[114]、官報1929年(昭和4年)4月15日:陸軍省海軍省告示第2号「安政五年乃至明治元年に於ける殉離者特別を以て靖国神社へ合祀仰出」[115]
第46回 1932年(昭和7年)4月25日 「招魂式」 済南事件、霧社事件、満洲事変 531 124652 官報1932年(昭和7年)3月26日:陸軍省海軍省告示第1号「今回の事変に死没の軍人軍属等を靖国神社へ合祀の為招魂式執行等」[116]、官報1932年(昭和7年)4月2日:陸軍省告示第9号「今回の事変に関し戦死並戦傷後死没者靖国神社へ合祀仰出」[117]、官報1932年(昭和7年)4月2日:陸軍省告示第10号「今回の事変に関し死没者特別を以て靖国神社へ合祀仰出」[118]、官報1932年(昭和7年)4月2日:陸軍省告示第11号「昭和三年支那事変に関する死没者靖国神社へ合祀仰出」[119]、官報1932年(昭和7年)4月7日:陸軍省海軍省告示第2号「今回の事変に関する死没者靖国神社へ合祀仰出」[120]、官報1932年(昭和7年)4月7日:陸軍省海軍省告示第3号「昭和五年台湾霧社事件に関する死没者靖国神社へ合祀仰出」[121]、官報1932年(昭和7年)4月9日:海軍省告示第9号「靖国神社へ合祀者追加」[122]、官報1932年(昭和7年)4月9日:海軍省告示第10号「今回の事変に関する勤務に服せし死没者等靖国神社へ合祀仰出」[123]、官報1932年(昭和7年)4月9日:海軍省告示第11号「昭和三年支那事変等靖国神社へ合祀仰出」[124]
第47回 1933年(昭和8年)4月25日 「招魂式」 満洲事変 1711 126363 官報1933年(昭和8年)3月17日:陸軍省海軍省告示第1号「今回の事変に関し死没の軍人軍属等を靖国神社へ合祀の為招魂式執行等」[125]、官報1933年(昭和8年)3月29日:陸軍省告示第6号「今回の事変に関し戦死並戦傷後死没者靖国神社へ合祀仰出」[126]、官報1933年(昭和8年)3月29日:陸軍省告示第7号「今回の事変に関し死没者特別を以て靖国神社へ合祀仰出」[127]、官報1933年(昭和8年)3月29日:陸軍省海軍省告示第2号「今回の事変に関し死没者特別を以て靖国神社合祀仰出」[128]
第48回 1934年(昭和9年)4月25日 「招魂式」 満洲事変 1668 128031 官報1934年(昭和9年)3月24日:陸軍省海軍省告示第2号「今回の事変に死没の軍人軍属等を靖国神社へ合祀の為招魂式執行其他」[129]、官報1934年(昭和9年)4月4日:陸軍省告示第18号「今回の事変に関し戦死等の者を靖国神社へ合祀仰出」[130]、官報1934年(昭和9年)4月4日:陸軍省告示第19号「今回の事変に関する死没者特別合祀仰出」[131]、官報1934年(昭和9年)4月4日:陸軍省海軍省告示第3号「今回事変の死没者を特別靖国神社へ合祀仰出」[132]、官報1934年(昭和9年)4月4日:海軍省告示第6号「今回の事変に戦死等の者を靖国神社へ合祀仰出」[133]、官報1934年(昭和9年)4月4日:海軍省告示第7号「今回の事変に戦死没者特別合祀仰出」[134]
第49回 1935年(昭和10年)4月26日 「招魂式」 満洲事変 814 128845 官報1935年(昭和10年)3月29日:陸軍省海軍省告示第2号「今回の事変に関し死没軍人等を靖国神社へ合祀の為招魂式執行等」[135]、官報1935年(昭和10年)4月2日:陸軍省告示第17号「今回の事変に関し戦死者等を靖国神社へ合祀仰出」[136]、官報1935年(昭和10年)4月2日:陸軍省告示第18号「今回の事変に関し死没者等を靖国神社へ合祀仰出」[137]、官報1935年(昭和10年)4月2日:陸軍省海軍省告示第3号「今回の事変に関し死没者を特別合祀仰出」[138]、官報1935年(昭和10年)4月2日:海軍省告示第4号「今回の事変に関し戦死者等を靖国神社へ合祀仰出」[139]、官報1935年(昭和10年)4月2日:海軍省告示第5号「今回の事変に服したる死没者を特別を以て靖国神社へ合祀仰出」[140]
第50回 1936年(昭和11年)4月26日 「招魂式」 満洲事変 974 129819 官報1936年(昭和11年)4月2日:陸軍省告示第17号「今回の事変に関し戦死並戦傷後死没者を靖国神社へ合祀仰出」[141]、官報1936年(昭和11年)4月2日:陸軍省告示第18号「今回の事変に関し死没者特別を以て靖国神社へ合祀仰出」[142]、官報1936年(昭和11年)4月2日:海軍省告示第4号「今回の事変の戦死者を靖国神社へ合祀仰出」[143]、官報1936年(昭和11年)4月2日:海軍省告示第5号「今回の事変の死没者特別を以て靖国神社へ合祀仰出」[144]、官報1936年(昭和11年)4月4日:陸軍省海軍省告示第3号「今回の事変に関する死没者特別を以て靖国神社へ合祀仰出」[145]
第51回 1937年(昭和12年)4月25日 「招魂式」 満洲事変、清国事変 1148 130967 官報1937年(昭和12年)4月2日:陸軍省告示第9号「今回の事変に関し戦死並戦傷後死没者を靖国神社へ合祀仰出」[146]、官報1937年(昭和12年)4月2日:陸軍省告示第10号「今回の事変に関して死没者特別を以て靖国神社へ合祀仰出」[147]、官報1937年(昭和12年)4月2日:陸軍省海軍省告示第4号「今回の事変に関し死没者特別を以て靖国神社へ合祀仰出」[148]、官報1937年(昭和12年)4月2日:海軍省告示第5号「今回の事変に於て戦死若は戦傷後死没者を靖国神社に合祀仰出」[149]、官報1937年(昭和12年)4月2日:海軍省告示第6号「今回の事変に於て戦死若は戦傷後の死没者特別を以て靖国神社に合祀仰出」[150]、官報1937年(昭和12年)4月2日:海軍省告示第7号「清国事変に関する勤務に服し死没者特別を以て靖国神社に合祀仰出」[151]
第52回 1938年(昭和13年)4月24日 「招魂式」 満洲事変、支那事変 4532 135499 移転した招魂斎庭を用いる 官報1938年(昭和13年)4月2日:陸軍省告示第14号「満洲事変及今回の支那事変に関し戦死並戦傷後死没したる者靖国神社へ合祀仰出」[152]、官報1938年(昭和13年)4月2日:海軍省告示第11号「支那事変に於て戦死又は戦傷後死没したる者靖国神社に合祀仰出」[153]
第53回 1938年(昭和13年)10月17日 「招魂式」 満洲事変 10334 145833 官報1938年(昭和13年)10月6日:陸軍省告示第42号「満洲事変及今回の支那事変に関し戦死並戦傷後死没したる者靖国神社へ合祀仰出」[154]、官報1938年(昭和13年)10月6日:陸軍省告示第43号「満洲事変及今回の支那事変に関し戦死並戦傷後死没者特別を以て靖国神社へ合祀仰出」[155]、官報1938年(昭和13年)10月6日:陸軍省海軍省告示第5号「満洲事変及今回の支那事変に関し死没したる者特別を以て靖国神社へ合祀仰出」[156]、官報1938年(昭和13年)10月6日:海軍省告示第21号「支那事変に於て戦死又は戦傷後死没したる者靖国神社に合祀仰出」[157]、官報1938年(昭和13年)10月6日:海軍省告示第22号「支那事変に関する勤務に服したる者特別を以て靖国神社に合祀仰出」[158]、官報1938年(昭和13年)10月6日:海軍省告示第23号「昭和六年乃至九年事変に於て戦傷後死没したる者靖国神社に合祀仰出」[159]、官報1938年(昭和13年)10月6日:海軍省告示第24号「昭和六年乃至九年事変に関する勤務に服し死没したる者特別を以て靖国神社に合祀仰出」[160]
第54回 1939年(昭和14年)4月23日 「招魂式」 満洲事変、支那事変 10389 156222 官報1939年(昭和14年)4月8日:陸軍省告示第8号「満洲事変等に関し戦死其他の者靖国神社へ合祀仰出」[161]、官報1939年(昭和14年)4月8日:陸軍省告示第9号「満洲事変等死没の者特別を以て靖国神社へ合祀仰出」[162]、官報1939年(昭和14年)4月8日:陸軍省海軍省告示第5号「満洲事変に関し死没したる者特別を以て靖国神社へ合祀仰出」[163]、官報1939年(昭和14年)4月8日:海軍省告示第3号「支那事変に於て戦死等の者靖国神社に合祀仰出」[164]、官報1939年(昭和14年)4月8日:海軍省告示第4号「支那事変に関する勤務に服し死没したる者特別を以て靖国神社に合祀仰出」[165]、官報1939年(昭和14年)4月8日:海軍省告示第5号「昭和六年乃至九年事変に関する勤務に服し死没したる者特別を以て靖国神社に合祀仰出」[166]
第55回 1939年(昭和14年)10月17日 「招魂式」 満洲事変、支那事変 10379 166601 官報1939年(昭和14年)9月25日:陸軍省告示第34号「満洲事変及支那事変に関し戦死等の者靖国神社へ合祀仰出」[167]、官報1939年(昭和14年)9月25日:陸軍省告示第35号「満洲事変及支那事変に関し戦死等の者靖国神社へ合祀仰出」[168]、官報1939年(昭和14年)9月25日:海軍省告示第15号「支那事変に於て戦死等の者靖国神社に合祀仰出」[169]、官報1939年(昭和14年)9月25日:海軍省告示第16号「支那事変に関する勤務に服し死没したる者特別を以て靖国神社に合祀仰出」[170]、官報1939年(昭和14年)9月25日:海軍省告示第17号「昭和六年乃至九年事変に関する勤務に服し死没したる者特別を以て靖国神社に合祀仰出」[171]
第56回 1940年(昭和15年)4月23日 「招魂式」 満洲事変、支那事変 12799 179400 官報1940年(昭和15年)3月27日:陸軍省告示第15号「満洲事変並支那事変に関し戦死其他の者靖国神社へ合祀仰出」[172]、官報1940年(昭和15年)3月27日:陸軍省告示第16号「満洲事変並支那事変に関し死没の者特別を以て靖国神社へ合祀仰出」[173]、官報1940年(昭和15年)3月27日:海軍省告示第6号「支那事変に於て戦死其他の者靖国神社へ合祀仰出」[174]、官報1940年(昭和15年)3月27日:海軍省告示第7号「支那事変に関する勤務に服し死没したる者特別を以て靖国神社へ合祀仰出」[175]、官報1940年(昭和15年)3月27日:海軍省告示第8号「昭和六年乃至九年事変に関する勤務に服し死没したる者靖国神社へ合祀仰出」[176]
第57回 1940年(昭和15年)10月15日 「招魂式」 満洲事変、支那事変 14400 193800 官報1940年(昭和15年)9月25日:陸軍省告示第42号「満洲事変並支那事変に関し戦死並戦傷後死没したる者靖国神社へ合祀仰出」[177]、官報1940年(昭和15年)9月25日:陸軍省告示第43号「満洲事変並支那事変に関し死没したる者特別を以て靖国神社へ合祀仰出」[178]、官報1940年(昭和15年)9月25日:海軍省告示第17号「支那事変に於て戦死又は戦傷後死没したる者靖国神社に合祀仰出」[179]
第58回 1941年(昭和16年)4月23日 「招魂式」 満洲事変、支那事変 14976 208776 官報1941年(昭和16年)3月27日:陸軍省告示第23号「満洲事変並支那事変に関し戦死並戦傷後死没したる者靖国神社へ合祀仰出」[180]、官報1941年(昭和16年)3月27日:陸軍省告示第24号「満洲事変並支那事変に関し死没したる者特別を以て靖国神社へ合祀仰出」[181]、官報1941年(昭和16年)3月27日:海軍省告示第8号「支那事変に於て戦死又は戦傷後死没したる者靖国神社に合祀仰出」[182]、官報1941年(昭和16年)3月27日:海軍省告示第9号「支那事変に関する勤務に服し死没したる者特別を以て靖国神社に合祀仰出」[183]、官報1941年(昭和16年)3月27日:海軍省告示第10号「昭和六年乃至九年事変に関する勤務に服し死没したる者特別を以て靖国神社に合祀仰出」[184]
第59回 1941年(昭和16年)10月15日 「招魂式」 満洲事変、支那事変 15013 223789 官報1941年(昭和16年)9月27日:陸軍省告示第51号「満洲事変並支那事変に関し戦死並戦傷後死没したる者靖国神社へ合祀仰出」[185]、官報1941年(昭和16年)9月27日:陸軍省告示第52号「満洲事変並支那事変に関し死没したる者特別を以て靖国神社に合祀仰出」[186]、官報1941年(昭和16年)9月27日:海軍省告示第25号「支那事変に於て戦死又は戦傷後死没したる者靖国神社に合祀仰出」[187]、官報1941年(昭和16年)9月27日:海軍省告示第26号「支那事変に関する勤務に服し死没したる者特別を以て靖国神社に合祀仰出」[188]、官報1941年(昭和16年)9月27日:海軍省告示第27号「昭和六年乃至九年事変に関する勤務に服し死没したる者特別を以て靖国神社に合祀仰出」[189]
第60回 1942年(昭和17年)4月23日 「招魂式」 満洲事変、支那事変 15017 238806 官報1942年(昭和17年)3月28日:陸軍省告示第15号「満洲事変並支那事変に関し戦死並戦傷後死没したる者靖国神社へ合祀仰出」[190]、官報1942年(昭和17年)3月28日:陸軍省告示第16号「満洲事変並支那事変に関し死没したる者靖国神社へ合祀仰出」[191]、官報1942年(昭和17年)3月28日:海軍省告示第10号「支那事変に於て戦死又は戦傷後死没したる者靖国神社に合祀仰出」[192]、官報1942年(昭和17年)3月28日:海軍省告示第11号「支那事変に関する勤務に服し死没したる者特別を以て靖国神社に合祀仰出」[193]、官報1942年(昭和17年)3月28日:海軍省告示第12号「昭和六年乃至九年事変に関する勤務に服し死没したる者特別を以て靖国神社に合祀仰出」[194]
第61回 1942年(昭和17年)10月14日 「招魂式」 満洲事変、支那事変 15021 253827 官報1942年(昭和17年)9月25日:陸軍省告示第39号「満洲事変及支那事変に関し戦死並戦傷後死没したる者靖国神社へ合祀仰出」[195]、官報1942年(昭和17年)9月25日:陸軍省告示第40号「満洲事変並支那事変に関し死没したる者特別を以て靖国神社に合祀仰出」[196]、官報1942年(昭和17年)9月25日:海軍省告示第29号「支那事変に於て戦死又は戦傷後死没したる者靖国神社に合祀仰出」[197]、官報1942年(昭和17年)9月25日:海軍省告示第30号「支那事変に関する勤務に服し死没したる者特別を以て靖国神社に合祀仰出」[198]
第62回 1943年(昭和18年)4月22日 「招魂式」 満洲事変、支那事変 19987 273814 官報1943年(昭和18年)3月31日:陸軍省告示第14号「満洲事変及支那事変に関し戦死並戦傷後死没したる者靖国神社へ合祀仰出」[199]、官報1943年(昭和18年)3月31日:陸軍省告示第15号「満洲事変並支那事変に関し死没したる者特別を以て靖国神社に合祀仰出」[200]、官報1943年(昭和18年)3月31日:海軍省告示第6号「支那事変に於て戦死又は戦傷後死没したる者靖国神社に合祀仰出」[201]、官報1943年(昭和18年)3月31日:海軍省告示第7号「支那事変に関する勤務に服し死没したる者特別を以て靖国神社に合祀仰出」[202]
第63回 1943年(昭和18年)10月14日 「招魂式」 満洲事変、支那事変、第二次大戦 19991 293805 官報1943年(昭和18年)9月27日:陸軍省告示第47号「満洲、支那事変及大東亜戦争に関し戦死並戦傷後死没したる者靖国神社へ合祀仰出」[203]、官報1943年(昭和18年)9月27日:陸軍省告示第48号「満洲事変並支那事変に関し死没したる者特別を以て靖国神社に合祀仰出」[204]、官報1943年(昭和18年)9月27日:海軍省告示第26号「支那事変に於て戦死又は戦傷後死没したる者靖国神社に合祀仰出」[205]、官報1943年(昭和18年)9月27日:海軍省告示第27号「大東亜戦争に於て戦死又は戦傷後死没したる者靖国神社に合祀仰出」[206]、官報1943年(昭和18年)9月27日:海軍省告示第28号「支那事変に関する勤務に服し死没したる者特別を以て靖国神社に合祀仰出」[207]
第64回 1944年(昭和19年)4月23日 「招魂式」 満洲事変、支那事変、第二次大戦 20005 313810 台湾遺族は台北に参集、遥拝。 官報1944年(昭和19年)4月15日:陸軍省告示第14号「満洲、支那事変並大東亜戦争に関し死没したる者靖国神社へ合祀仰出」[208]、官報1944年(昭和19年)4月15日:陸軍省海軍省告示第1号「満洲、支那事変並に大東亜戦争に関し死没したる軍人軍属を靖国神社へ合祀の為臨時大祭挙行の儀勅許」[209]、官報1944年(昭和19年)4月15日:海軍省告示第13号「支那事変並に大東亜戦争に関し死没したる者靖国神社へ合祀仰出」[210]
第65回 1944年(昭和19年)10月22日 「招魂式」 満洲事変、支那事変、第二次大戦 20197 334007 中央式典と地方式典に分けて行う。地方式典は道府県庁で行う 官報1944年(昭和19年)10月22日:陸軍省告示第49号「満洲、支那事変並大東亜戦争に関し死没したる者靖国神社へ合祀仰出」[211]、官報1944年(昭和19年)10月22日:陸軍省海軍省告示第5号「満洲、支那事変並に大東亜戦争に関し死没したる軍人軍属にして合祀未済の者靖国神社へ合祀の為招魂式執行臨時大祭挙行の儀勅許」[212]、官報1944年(昭和19年)10月22日:海軍省告示第27号「支那事変並に大東亜戦争に関し死没したる者靖国神社へ合祀仰出」[213]
第66回 1945年(昭和20年)4月24日 「招魂式」 満洲事変、支那事変、第二次大戦 41318 375325 遺族参拝なし。拝殿を招魂斎場とする。 官報1945年(昭和20年)4月25日:陸軍省告示第17号「満洲、支那事変並に大東亜戦争に関し死没したる者靖国神社へ合祀仰出」[214]、官報1945年(昭和20年)4月25日:陸軍省海軍省告示第1号「満洲、支那事変並に大東亜戦争に関し死没したる軍人軍属にして靖国神社へ合祀未済の者合祀の為招魂式執行臨時大祭挙行」[215]、官報1945年(昭和20年)4月25日:海軍省告示第8号「支那事変並に大東亜戦争に関し死没したる者靖国神社へ合祀仰出」[216]
1945年(昭和20年)11月19日 「臨時大招魂祭」 満洲事変、支那事変、第二次大戦 「臨時大招魂祭」で1945年(昭和20年)9月2日までの満洲事変、支那事変、第二次大戦の戦没者全てを無記名のまま合祀。21日午後6時:御霊代を招魂斎庭から、旧・招魂斎庭の仮殿(招魂殿)に奉遷。 官報1945年(昭和20年)11月17日:陸軍省海軍省告示第4号「大東亜戦争並に満洲、支那事変に関し戦死等の者にして靖国神社へ合祀未済の者を同神社招魂殿に招魂祭祀の為臨時大招魂祭挙行の儀勅許」[217]
第67回 1946年(昭和21年)4月29日 「遷霊ノ儀」 26887 402212 402295柱とも。招魂殿に奉斎の戦没者を約70万柱を見積もる。
1946年(昭和21年)10月10日 「招魂殿遷座祭」 招魂殿祭神を本殿左相殿に遷座
第68回 1947年(昭和22年)4月21日 「霊璽奉斎」 59078 461290 相殿から本殿へ。
第69回 1948年(昭和23年)5月5日 「霊璽奉斎祭」 46937 508227
1949年(昭和24年)6月4日 第1回「臨時招魂祭」 招魂斎庭にて1945年(昭和20年)9月3日から1948年(昭和23年)5月31日までの戦没者の神霊を無記名のまま招魂。右側相殿に鎮祭。
第70回 1949年(昭和24年)10月17日 「霊璽奉安祭」 29597 537824
1950年(昭和25年)6月4日 第2回「臨時招魂祭」 1948年(昭和23年)6月1日から1949年(昭和24年)5月31日までの戦没者の神霊を招魂。いわゆるA級戦犯もこの時招魂されたことになる。右側相殿に鎮祭。
第71回 1950年(昭和25年)10月17日 霊璽奉安祭 119595 657419 『靖国神社百年史』の「祭神1」に資料なし
1951年(昭和26年)6月4日 第3回「相殿合祀祭」 1949年(昭和24年)6月1日から1950年(昭和25年)5月31日までの戦没者の神霊を招魂。右側相殿に鎮祭。「臨時招魂祭」とも。
第72回 1951年(昭和26年)10月9日 「霊璽奉安祭」 64520 721939
1952年(昭和27年)6月4日 第4回「相殿合祀祭」 1950年(昭和25年)6月1日から1951年(昭和26年)5月31日までの戦没者の神霊を招魂。右側相殿に鎮祭。「臨時招魂祭」とも。
第73回 1952年(昭和27年)10月9日 「合祀祭」 12518 734457 今回より「合祀祭」とする
第74回 1953年(昭和28年)10月6日 霊璽奉安祭 13723 748180
第75回 1954年(昭和29年)4月17日 「霊璽奉安祭」 33752 781932
第76回 1954年(昭和29年)10月17日 「霊璽奉安祭」 236460 1018392 今回より「霊璽奉安祭」とする。
第77回 1955年(昭和30年)4月21日 霊璽奉安祭 99119 1117511
第78回 1955年(昭和30年)10月17日 霊璽奉安祭 96979 1214490
第79回 1956年(昭和31年)4月21日 霊璽奉安祭 94355 1308845
第80回 1956年(昭和31年)10月17日 「霊璽奉安祭」 112609 1421454 初めて右側相殿より本殿へ合祀。つまり、1945年(昭和20年)9月3日以降に死んだものを初めて合祀。
第81回 1957年(昭和32年)4月21日 霊璽奉安祭 212760 1634214
第82回 1957年(昭和32年)10月17日 霊璽奉安祭 257250 1891464
1958年(昭和33年)3月31日 「相殿遷座祭」 右側相殿を左側相殿に合祀する。
第83回 1958年(昭和33年)4月21日 霊璽奉安祭 119049 2010513
1958年(昭和33年)10月9日 第5回「相殿合祀祭」 1951年(昭和26年)6月1日から1957年(昭和32年)9月30日までの戦没者の神霊を招魂し左側相殿に奉斎した。
第84回 1958年(昭和33年)10月17日 霊璽奉安祭 98487 2109000
第85回 1959年(昭和34年)4月6日 霊璽奉安祭 89015 2198015 いわゆるBC級戦犯約340柱も合祀。
第86回 1959年(昭和34年)10月4日 「招魂式」 2 2198017 臨時大祭で親王2柱を合祀。新たな神座を用意。
第87回 1959年(昭和34年)10月17日 霊璽奉安祭 旧李公家の李グウ(広島原爆で死去)を7日に拝殿で招魂し、17日に合祀。数に含まれているのかは不明。 45411 2243428
第88回 1960年(昭和35年)10月17日 霊璽奉安祭 37128 2280556
第89回 1961年(昭和36年)10月17日 霊璽奉安祭 14025 2294581
第90回 1962年(昭和37年)10月17日 霊璽奉安祭 10942 2305523
第91回 1963年(昭和38年)10月17日 霊璽奉安祭 20715 2326238
第92回 1964年(昭和39年)10月6日 霊璽奉安祭 9623 2335860
第93回 1965年(昭和40年)10月17日 霊璽奉安祭 11571 2347431
第94回 1966年(昭和41年)10月17日 霊璽奉安祭 19706 2367137
第95回 1967年(昭和42年)10月17日 霊璽奉安祭 21068 2388205
第96回 1968年(昭和43年)10月17日 霊璽奉安祭 16344 2404549
第97回 1969年(昭和44年)10月7日 霊璽奉安祭 15373 2419922
第98回 1970年(昭和45年)10月17日 霊璽奉安祭 8465 2428387
第99回 1971年(昭和46年)10月17日 霊璽奉安祭 8380 2436767
第100回 1972年(昭和47年)10月17日 霊璽奉安祭 7418 2444185
第101回 1973年(昭和48年)
第102回 1974年(昭和49年)
第103回 1975年(昭和50年)
第104回 1976年(昭和51年)
第105回 1977年(昭和52年)
第106回 1978年(昭和53年)10月17日 1766 いわゆるA級戦犯14柱も合祀。
第107回
第108回
第109回
第110回
第111回
第112回
第113回
第114回
第115回
第116回
第117回 1993年(平成5年)10月17日 146
第118回
第119回
第120回 1996年(平成8年)10月17日 16
第121回
第122回 1998年(平成10年)10月17日 10
第123回 1999年(平成11年)10月17日 8
第124回
第125回
第126回
第127回
第128回
第129回
第130回
第131回
第132回
第133回
第134回 2009年(平成21年)10月17日 13
第135回 2010年(平成22年)
第136回 2011年(平成23年)
第137回 2012年(平成24年)10月17日 36
第138回 2013年(平成25年)
第139回 2014年(平成26年)
第140回 2015年(平成27年)10月17日 18
第141回 2016年(平成28年)
第142回 2017年(平成29年)
第143回 2018年(平成30年)10月17日 5
第144回 2019年(令和1年)10月17日 7
第145回
第146回
第147回
第148回
第149回
第150回

歴史

江戸城招魂祭

河東操練場招魂祭

河東操練場で執行された。

新発田城招魂祭

1868年(明治1年)10月13日に新発田城で行われた。基本史料は『太政類典』「越後口総督嘉彰親王戦死者ヲ新発田城ニ祭ル」[218][219]。式次第、祝詞、神饌、祭員、舗設図を掲載する。「来る十三日招魂祭被為執行候」と達せられたのは直前の10月10日であり、戦死者名簿の報告の命令などはない。祭主が読み上げた「祭文」には「道道の其処の戦彼処の軍に命すぬる兵士等」とあり、介添が読み上げた供物祝詞では「忠義なる諸の将士兵士の神霊」とある。具体的に戦死者名を挙げて祭祀を行ったのかどうかは確認できない。御霊代・祭壇については供物祝詞に「神璽」とあり、祭文に「仮に此大床の神籬立て招集はして斎祭しめば」とある。祭文の内容は讃えるというより慰めるニュアンスが強いように思える。祭主の畠山上総介は新発田藩総鎮守諏訪神社神官の畠山上総介盛章のこと(新発田市史[220])。領内神社の触頭であった。吉田神道を学び、諏訪神社境内には宗源殿まで建てていた[221]。同年7月には触下神職に呼び掛けて神威隊を結成した。240人が参加したとも224人が参加して1人が戦死したともいう[222]。副隊長は日下部上野介。佐々木伊賀。兵監録事に大浦薩摩が付いた。総督宮が東京に行くのに随行し、1869年(明治2年)5月に新発田に帰還した。畠山盛章の名は『新潟県管民必携』[223]にもある(同書は郷社制度の実態を現している史料にもなっている)。権少講義[224]。新発田城の平面図は「新発田御城中御間柄全図」[225][226]や『重要文化財新発田城旧二の丸隅櫓表門修理工事報告書』所収の古図[227]がある。『靖国神社略年表』ではこの招魂祭は本文ではなく関連項目「招魂社」で掲載されており、東京招魂社の直接の源流とはみなされていないのかもしれない[228]。靖国神社百年史の資料編上[229]や事歴年表 [230] にも記載がない。理由は不明だが、この祭典は一戦線の総督にすぎない会津征討越後口総督の主催であり、全軍を代表する東征大総督の主催ではなかったからかもしれない。

境内・関連旧跡

組織

宮司

  • 大久保春野(1846-1915)<>:社家出身の陸軍軍人。遠江国の淡海国玉神社社家に生まれ、石川依平、草鹿砥宣隆、羽田野敬雄にも学ぶ。戊辰戦争では神職による遠州報国隊に参加。明治元年6月2日、大村益次郎の推挙で江戸城招魂祭の斎主を務めた。大阪兵学寮の幼年学舎に学ぶ。フランス留学。日清戦争、日露戦争に従軍。明治41年、薩長閥以外では初となる陸軍大将となる。男爵。
  • 青山清()<>:
  • 賀茂水穂(1840-1909)<>:遠江の金山彦神社の神主。遠州報国隊に参加。明治24年、靖国神社宮司。
  • 賀茂百樹()<>:
  • 鈴木孝雄()<>:
  • 筑波藤麿()<>:
  • 松平永芳()<>:
  • 大野俊康()<>:
  • 湯沢貞()<>:
  • 南部利昭()<>:
  • 京極高晴()<>:
  • 徳川康久()<-2018>:
  • 小堀邦夫()<2018-2018>:
  • 山口建史(1948-)<2018->:

権宮司

  • 高原正作()<-1943->:
  • 池田良八()<-1957->:
  • 横井時常()<>:近江神宮宮司。
  • 藤田勝重 ()<>:
  • 山口建史(1948-)<>:
  • 三井勝生
  • 小方孝次()<>:
  • 坂明夫()<>:

画像

資料

  • 『祭祀録』:1871年(明治4年)。招魂社大祭。[231]
  • 1868年(明治1年)9月10日:諸藩に従軍死傷者の姓名を報告させる。[232]

靖国神社百年史

事歴年表

http://shinden.boo.jp/wiki/%E9%9D%96%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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