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飯道寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2018年5月16日 (水)
飯道寺(はんどうじ)は、滋賀県甲賀市の飯道山にある修験道当山派の寺院。飯道神社の別当。山号は金奇山。 子院として当山修験十二正大先達の飯道寺梅本院と飯道寺岩本院があった。
歴史
東大寺良弁が創建。役小角の創建という説もある。天平15年、興福寺安皎が来山。平安時代、延暦寺の光定が中興。さらに聖宝門下の梅本坊と岩本坊が中興。鎌倉時代末の嘉元年間、熊野の行範という山伏が来山し、熊野信仰を伝えた。以降、修験道の霊場として発展。根本道場である吉野・熊野の運営の一端を担い、配下の山伏が全国に広まった。梅本院は熊野速玉大社の新宮庵主を兼務。また飯道寺は大峰山の小篠宿の管理権を幕末まで有した。
天正9年(1581)、織田信長から寺領を安堵される。高野山を復興した応其が隠棲した。慶長8年、修験道法度制定の古例調査のため世義寺と共に飯道寺が徳川家康に呼び出された。梅本院と岩本院の他、古庵室、鳥居坊、水本坊などがあった。明治初年、神仏分離で廃絶。山麓の大日寺本尊の薬師如来は飯道寺の旧仏という。明治25年、山麓の本覚院を飯道寺と称して後身寺院とした。これは天台宗で本尊は不動明王。 (国史大辞典、日本歴史地名大系)