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うづめ大教会
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2026年3月10日 (火)
うづめ大教会は奈良県奈良市中筋町にある教派神道の教会。神道大教所属。 祭神は「神道大教の御祭神(天之御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神・伊邪那岐神・伊邪那美神・天照大御神・天神八百萬神・地祇八百萬神)・天宇受売命・宇都志国玉神」(境内由緒書)。近年はうづめ大教神社と名乗っているようだ。
歴史
創設者の木村輝(1904-1980)は、神戸生まれの女性で、元は山本輝といった。内閣総理大臣・海軍大将の山本権兵衛の孫というが、父の名は判然としない。プロテスタントの神戸女学院に入学。「初めてキリスト教の世界を知る。母を救いたいための信仰であった。だが、職業軍人だった父は、娘が教会に行くことを決して許さず、父に内緒で祈り続けた」[1]。 1923年(大正12年)、神戸女学院を卒業。海軍中将木村剛の長男の木村太郎(日本毛織株式会社取締役)と結婚する。1943年前後(昭和18年前後)、38歳頃に失明。この頃から「神道うずめ教」を信仰するようになり、1945年(昭和20年)5月、神道大教の教師となる。 1947年(昭和22年)、うづめ教会を開設し、教会長となる。奈良に来たのは疎開のためともいう。境内由緒書には開設にあたり古田公治という人物の指導を受けたとあるが、神道大教石切神宣大教会の教会長のようだ[2]。 奈良少年刑務所・奈良少年院を訪問して教誨活動に携わる。その他、養老院、母子寮、各社会施設に毎月訪れ、また海外引揚者を支援した。社会福祉活動に注力したためか、母校の1955年『神戸女学院八十年史』[3]は「神道を仮りたキリスト教」だと評する。1975年(昭和50年)春、長年の教誨活動により叙勲を受けた。
うづめ教会開設と同時に神道大教の権大教正となり、1948年(昭和23年)、神道大教奈良教区庁長の役職に就き、1952年(昭和27年)に大教正に昇進している。スピード出世は、大量離脱の教団事情や本人の手腕はもちろん、それなりのバックがあったからだろうか。日本銀行総裁の山際正道はいとこだという。 1980年(昭和55年)10月死去(境内由緒書)。神号は「うづめ輝比売命」。次男の木村剛正は第12代神道大教管長となった。