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ロロジョングラン寺院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年6月11日 (火)

プランバナン寺院から転送)
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ロロ・ジョングラン寺院(Candi Loro Jonggrang)は、インドネシア共和国ジャワ島のプランバナンにあるヒンドゥー教寺院。祭神はシヴァブラフマーヴィシュヌなど。王家の陵墓だったともいう。通称プランバナン寺院

目次

歴史

創建

850年頃、ヒンドゥー教を奉ずる古マタラム王朝のピカタン王が創建。同王朝の王宮跡とみられる遺跡に近い。

当時、仏教王国シャイレンドラ王朝が一帯の支配権を持っていたが、サマラトゥンガ王の崩御後、後継者が幼少だったため、同王の王女プラモーダヴァルダニーが嫁いでいた古マタラム王朝のピカタン王が実権をにぎるようになった。

プランバナンの興隆はシャイレンドラ王朝の仏教重視から古マタラム王朝によるヒンドゥー教の隆盛への移り変わりを示すとされる。ただし寺院の造形には先行するボロブドゥール寺院などの仏教美術の影響があり、ラトナという仏塔型装飾が使われている。

この寺院は王室との密接なつながりを示す。シヴァ像はピカタン王の顔を持ち、ドゥルガー像は王妃プラモーダヴァルダニーに擬すという。考古学的裏付けがあるのかは不明だが、神像に下に国王と王妃の遺骸が埋葬されたともいう。また彫刻には王を支える神々の姿も描かれる。

近くのムラピ山はこの石造寺院の材料となった安山岩を生み出したが、活発な火山でもあり、10世紀の大噴火で929年頃、王国はクディリに遷都。この地は放棄され以後、ジャングルの中に埋もれた。

遺跡の復元

遺跡は1733年にオランダ人のC.A.ロンスが発見。1937年に修復が始まり、2006年の地震で被害を受けたが、現在も復元事業が続いている。中苑には崩れた石材数万点が散乱しているが一部を積み直して4棟を復元再建できた。現在、インドネシアはイスラム教信者が大半を占めるが、近年は毎年1月にヒンドゥー教信者がここで儀式をしているという。

伽藍

境内は外苑、中苑、内苑の三重構造となっている。東を正面とする。

110m四方の内苑には大きな尖塔屋根を持つ神殿6棟が2列になって並ぶ。小型のアピト堂2棟もある。さらに小さな塔が8隅にある。中苑は222m四方で224棟の小さな神殿が群立していた。その周囲を外苑390m四方が取り囲む。

大小の神殿は基本構造は同じで、いずれも下から基壇、身舎、屋蓋(尖塔型の屋根)が重なる。階段で基壇に上がると身舎の周囲を一周できる廻廊がある。身舎の中には神像を祀る室が設けられている。


一番大きいのシヴァ神殿で34m四方、高さ47m。主室には高さ3mのシヴァ立像がある。また北面に妃神ドゥルガー、西面(裏側)に御子神ガネーシャ、南面に神仙アガスティヤを祀る室がある。外壁欄楯にはラーマーヤナの神話を描くレリーフ42面が刻まれている。南にブラフマー神殿、北にヴィシュヌ神殿がある。いずれも高さ23m。ブラフマー神殿にもラーマーヤナのレリーフ30面がある。

三神殿の正面(東)にはそれぞれの祭神の騎獣を祀る神殿が対峙する。シヴァ神殿の正面には高さ25mのナンディ(雄牛)を祀る神殿がある。像は残されていないが、ナンディ神殿の南北の神殿(高さ22m)にはブラフマーのハンサ(水鳥)、ヴィシュヌのガルダ(神鳥)が祀られていたとみられる。

参考文献

  • 上北恭史「プランバナン遺跡の修理と国際協力」[1]
  • 2019/2/24放送『TBS世界遺産』
  • 世界大百科事典
  • 『遺跡ときどき猫』[2]
  • 『ハシムの世界史への旅』[3]
  • 4travel投稿[4]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E3%83%AD%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E5%AF%BA%E9%99%A2」より作成

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