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上田招魂社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年9月18日 (水)
上田招魂社は長野県上田市二の丸の上田城跡にある招魂社。官祭招魂社。指定外護国神社。
目次 |
歴史
- 明治2年5月8日:上田藩、招魂祭斎行を布告[1]
- 明治2年5月10日:上田城小泉曲輪の操練場の西北に祭壇を設けて招魂祭を斎行
- 明治3年3月:御殿前の広場(操練場を移転)の東北隅に社殿を造営して鎮座。本殿拝殿御饌殿。5月2日とも[2]。
- 明治3年5月10日:招魂祭斎行か。7日の上田藩告示
- 明治11年6月:明治天皇巡幸の行在所建設のため移転を決定
- 明治11年7月1日:仮遷座
- 明治11年9月6日:二の丸の三十間堀の東北に遷座
- 明治14年3月17日:本丸遷座を出願
- 明治14年6月1日:遷座許可。本丸の西北。(遷座日未確認)
- 明治30年4月22日:社殿造営
- 大正12年4月:二の丸の現在地に遷座[3]
祭神
官祭祭神
『長野県神社百年史』
- 01:小島万兵衛
- 02:原善太夫
- 03:八木兼助:墓所は小千谷遍了寺。
- 04:野間次太夫:墓所は小千谷遍了寺。
- 05:堀内掌一:墓所は船岡山官軍墓地。
- 06:寺島誠之助:墓所は船岡山官軍墓地。
- 07:竹内林右衛門:墓所は小千谷遍了寺。
- 08:林亮斉:墓所は船岡山官軍墓地。
- 09:若林熊蔵:墓所は小千谷遍了寺。
- 10:竹内喜久左衛門:墓所は小千谷遍了寺。
- 11:田子栄之助:墓所は船岡山官軍墓地。
上田藩戦死者としては他に宮下亥虎十がいるらしい。