ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。
歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

上野天神宮

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年4月25日 (木)

移動: 案内, 検索

上野天神宮(うえの・てんじんぐう)は三重県伊賀市上野東町にある天満信仰の神社。祭神は菅原道真など。県社上野天神菅原神社とも。

歴史

創建不詳。元は上野城の地にあった平楽寺の鎮守。1585年、筒井定次が伊賀に入り、「山の神」の地(現「丸の内」)に遷座。旧地は上野城南方の茅町だとも、恵比須町の山渓寺の地ともいう。 あるいは筒井定次が大和国菅原(菅原天満宮か)を分霊したともいう。

1611年、藤堂高虎の上野城整備で現在地に遷座。小天狗清蔵という修験者が勧進して、天満宮と九社権現の社殿を建てた。九社権現は東出(農人町)から遷座したという。天満宮は北の社殿、九社権現は南の社殿とされる。1660年、上野天神祭を復興。東御旅所と西御旅所がある。東御旅所は愛宕社の跡。西御旅所は蔵王堂で、伊賀・安倍神社が隣接。

別当として隅ノ坊・密乗院・威徳院・薬師寺があった。威徳院は平楽寺時代から別当。密乗院は1635年創建。4寺とも真言宗で、仁和寺末だった。神仏分離で3寺は廃絶となったが、薬師寺は1891年に伊予町に移った。1880年(明治13年)7月、県社(神道史大辞典)。


(『日本歴史地名大系』)

http://shinden.boo.jp/wiki/%E4%B8%8A%E9%87%8E%E5%A4%A9%E7%A5%9E%E5%AE%AE」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール