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下松妙見

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年10月24日 (火)

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下松妙見(くだまつ・みょうけん)は、山口県下松市・周防国都濃郡にある、妙見信仰の社寺。中国地方を代表する妙見信仰の社寺で、降松神社鷲頭寺が担っている。

595年(推古3年)、青柳浦の松に大星が降臨し、七日七夜輝き続けて琳聖太子の来朝の守護を託宣した。597年(推古5年)、百済国王子の琳聖太子が来朝し、神霊を桂木山に祀った。603年(推古11年)、高鹿垣山に遷座した。さらに609年(推古17年)、遷座して現在地である鷲頭山に上宮と中宮を建立した。琳聖太子の後裔である大内氏の庇護を受けた。のち大内弘世が下宮を建立し、七坊を置いた。大内氏の滅亡後は毛利家の崇敬を受けた。1608年(慶長13年)、火災により、上宮と中宮が中宮本殿を残して焼失。明治初年、神仏分離が行われ、別当七坊が廃絶となり唯一閼伽井坊が転出して鷲頭寺となった。1870年(明治3年)、降松神社と改称。県社。

系譜

下松妙見

名称 国郡 所在地 コメント
上宮 降松神社上宮 周防国都濃郡 山口県下松市河内 鷲頭山山頂に鎮座している。本殿のみがある。
中宮 降松神社中宮 周防国都濃郡 山口県下松市河内 鷲頭山山頂近くに鎮座している。中宮が降松神社の中心的区画となっている。現在の本殿は1523年(大永3年)の大内義興による造営で、1608年(慶長13年)の火災でも残った。
若宮 降松神社下宮 周防国都濃郡 山口県下松市河内 鷲頭山麓にあった。若宮を参照。
若宮 降松神社若宮 周防国都濃郡 山口県下松市吉原 鷲頭山麓に鎮座している。元和年間、徳山藩主毛利就隆は下宮を現在の若宮の地に遷座。1767年(明和4年)毛利就馴の造営。
若宮 (別当寺) 周防国都濃郡 山口県下松市吉原 閼伽井坊など別当の七坊があった。
妙見山鷲頭寺 周防国都濃郡 山口県下松市中市1143 別当七坊のうち閼伽井坊が存続して現在地に移転。真言宗御室派。

下松妙見関連旧跡

名称 国郡 所在地 コメント
金輪神社 周防国都濃郡 山口県下松市北斗町 下松妙見降臨の地。妙見が影向したという「鼎の松」がある。下松の地名発祥の地。
桂木山 周防国都濃郡 山口県下松市洲鼻 下松妙見の元鎮座地の一つ。「宮ノ州山」ともいう。宮ノ州古墳があった。近くの東洋鋼鈑工場内には怒龍の松という松があり、琳聖太子の墓ともいう。
高鹿垣山 周防国都濃郡 山口県下松市 下松妙見の元鎮座地の一つ。現在の茶臼山。特に祠などはないようである。
氷上妙見 氷上山興隆寺 北辰妙見社 周防国佐波郡 山口県山口市大内御堀410 興隆寺は大内氏の氏寺で、613年(推古21年)、琳聖太子が創建したとされる。釈迦如来を本尊とする。周防ではほぼ唯一の天台宗。大内氏の時代には大寺院であったが、次第に衰退して、明治以後、現在の規模となった。北辰妙見社は大内茂村が827年(天長4年)、下松妙見を勧請したのが由来である。上宮と下宮があったが、上宮は廃絶した。1741年(寛保1年)、興隆寺東照宮を建立したが、明治初年に遷座移築して大内義隆を主祭神とする築山神社となった。
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