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京都・長楽寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年1月13日 (土)

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長楽寺(ちょうらくじ)は、京都府京都市東山区円山町にある時宗寺院。隆寛旧跡時宗国阿派だった。建礼門院髪塔、頼山陽墓、頼三樹三郎墓、尊攘苑がある。京都・安養寺の南、大谷祖廟双林寺の北にある。七条道場金光寺を合併。山号は東山だったが、合併した金光寺の号を引き継ぎ、現在は黄台山とする。(参考:同名寺院長楽寺

天皇即位に際して開帳を行うというが故実は調査中。

目次

歴史

  • 805年:桓武天皇の勅命で最澄が創建(寺伝)
  • 延喜年間:寛雅が宇多天皇の持仏准胝金銅小立像観音を本尊として創建。(阿娑縛抄)
  • 宇多院代:十一面観音、あるいは准胝観音を本尊として創建(拾芥抄)
  • 一条天皇代:今昔物語に巨勢広高という絵師が長楽寺で地獄変相図を描いたとある
  • 1119年11月14日:源宰相が堂宇を建て阿弥陀如来を祭り、雲居寺上人を導師として落慶。
  • 寿永年間:青蓮院慈円門下の隆寛が寺内来迎坊に住す。隆寛は法然に帰依して浄土教を唱え、その門流は長楽寺流(多念義、小坂義派)と呼ばれた。
  • 1185年5月:建礼門院が阿証坊印西(印誓)のもとで剃髪。(『平家物語』覚一本)
  • 1213年8月3日:清水寺焼き討ちのために攻め込んだ延暦寺衆徒らが長楽寺に立て籠った。西面の武士と戦闘になった。後鳥羽上皇は大衆の退却を条件に武士を処分した。
  • 1213年8月14日:伽藍仏像修理のため(朝廷から?)100石が下された
  • 1227年7月:隆寛、嘉禄の法難で陸奥配流の処分となる。7日間の別時念仏のあと出発。相模飯山で死去したという。
  • 1350年8月20日:本尊開扉(「祇園社家記録」)
  • 1378年:道勤・慈仙・了真らの勧進により梵鐘を鋳造(「空華集」)
  • 1385年:住職栄尊が時宗の国阿に帰依して弥阿弥陀仏と名乗り、長楽寺を譲った。時宗霊山派となる。
  • 安土桃山時代:豊臣秀吉、8石4斗を安堵
  • 正保年間(1644-1648):後水尾院が本堂を再建。勅額を下賜。東福門院が本尊厨子を寄進した(山州名跡志・坊目誌)。
  • 1746年2月:大谷祖廟建設のために境内が没収された
  • 1767年:梵鐘鋳造
  • 文化年間:経営が行き詰まり、浄土宗養福寺に委ねられた。その後、極楽寺、良音寺、西念寺、良正院(知恩院子院)と所属を転々とした。
  • 1870年9月:時宗に復帰し、遊行派に転じて、七条道場金光寺の末寺となる
  • 1893年:正伝寺から法堂を移築して本堂とする
  • 1908年:本寺の金光寺を合併。山号を「東山」から「黄台山」に改めた。多くの宝物を引き継ぐ。
  • 1931年(昭和6年):頼山陽100年祭に合わせて墓域を整備し橋を建設[1]

境内

  • 本堂
  • 客殿
  • 建礼門院塔
  • 鐘楼
  • 収蔵庫
  • 石仏群
  • 平安の滝
  • 金光寺関係墓地
  • 庭園

墓地

  • 石黒寿山墓:長楽寺中興
  • 歴代住職墓地:牧野体山
  • 長楽寺尊攘苑:水戸藩関係の墓地。松平昭訓など。
  • 頼山陽関係
    • 頼山陽墓
    • 頼梨影墓
    • 頼三樹三郎夫妻墓
    • 頼陽子墓
    • 山田翠雨墓
    • 藤井竹外墓
    • 児玉旗山墓
  • 頼立斎墓
  • 高畠式部墓
  • 高畠千畝墓
  • 鈴木松年墓

組織

歴代住職

  • 弥阿
  • 国阿
  • 宣阿
  • 石黒寿山(1861-1931)<>:1861年(文久1年)生。1931年(昭和6年)死去。
  • 望月華山(1897-1973)<>:1897年(明治30年)生。1973年(昭和48年)死去。
  • 牧野体山(1901-1987)<>:1901年(明治34年)生。1987年(昭和62年)死去。
  • 牧野素山(1939-)<>:1939年(昭和14年)生。
  • 牧野純山()<>:

画像

資料

  • 『古事類苑』「長楽寺」[2]
  • 『本朝高僧伝』「京兆長楽寺沙門隆寛伝」[3]
  • 平井正戒1941『隆寛律師の浄土教ー附遺文集』「長楽寺」[4]
  • 石原明1974「建礼門院と長楽寺(1・2)」[5][6]
  • 毛利久1974「長楽寺の時宗肖像彫刻」『仏教芸術』[7](館内限定)
  • 米田弥太郎1976「東山長楽寺における賴山陽とその周辺」[8]
  • 井上正1979「伝呑海像ー京都長楽寺蔵」[9]
  • 丸山宏1983「京都円山公園成立前史」[10]
  • 松島健1989「長楽寺の時宗祖師像」『仏教芸術』[11](館内限定)
  • 斉藤孝1989「円山長楽寺の時宗祖師像についてー特に像主名の同定に関して」『史迹と美術』[12]
  • 1994『足利氏と遊行上人』
  • 菊地勇次郎1997『長楽寺千年』
  • 1997『遊行歴代上人肖像彫刻並びに七条文書』
  • 出村嘉史・川崎雅史・田中尚人2001「近世の京都円山時宗寺院における空間構成に関する研究」『土木計画学研究・論文集』[13]
  • 出村嘉史・川崎雅史2003「近代京都の円山公園における景観構成の分析」[14]
  • 善裕昭2012「長楽寺隆寛の足跡ー青蓮院門徒から法然門弟ヘ」『親鸞教学』[15]
  • 村井康彦・大山喬平編 2012『長楽寺蔵 七条道場金光寺文書の研究』
  • 古賀克彦2023「京洛東山の時衆再考ー円山安養寺と道正庵の関係・長楽寺の開帳」『時宗教学年報』
http://shinden.boo.jp/wiki/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E3%83%BB%E9%95%B7%E6%A5%BD%E5%AF%BA」より作成

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