ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

以酊庵

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2021年7月13日 (火)

移動: 案内, 検索

以酊庵(いていあん)は、対馬国下県郡(長崎県対馬市厳原町日吉)にあった朝鮮外交を担った日本の臨済宗寺院。開山は景轍玄蘇。開基は宗義調。幕末に廃絶。山号は瞎驢山。

歴史

1580年(天正8年)、博多聖福寺の景轍玄蘇(1537-1611)が厳原藩主宗義調(宗義智とも)に招かれ創建。景轍玄蘇は同年「日本国王使」となり、李氏朝鮮に渡る。名称の「酊」は景轍玄蘇の生年の干支の「丁酉」に因むという。対馬と朝鮮の密約が暴露された1635年(寛永12年)の「柳川一件」で住職を廃し、以後、五山の僧が輪番住職として赴任し、幕府の役職である「朝鮮書契御用」を務めた。初めは天道茂の扇原にあったが、1683年(天和3年)、対馬国分寺(元は金石にあった)と寺地を交換して日吉に移転(日本歴史地名大系。国史大辞典で別説)。1732年(享保17年)、国府大火で焼失。西山寺に寓居。1866年(慶応2年)、輪番僧を廃止。1868年(明治1年)に以酊庵自体も廃絶した。資料は西山寺に受け継がれている。河合曾良の墓がある。景轍玄蘇の墓があったが西山寺に移転した。 (日本歴史地名大系、国史大辞典)


所属本山 三任 二任 一任 小計 総回数 備考
天龍寺 0人 10人 17人 27人 37回 塔頭別にみると、最も多いのは天龍寺妙智院。
東福寺 1人 10人 10人 21人 33回
建仁寺 3人 7人 9人 19人 32回 3回赴任した僧を3人も出している。
相国寺 0人 4人 16人 20人 24回 初例は1657年(明暦3年)。
4人 31人 52人 87人 126回
  • 1635年(寛永12年)に始まり、2年交代に変わる1655年(明暦1年)までが初期といえる。この時期には17回の輪番に8人の碩学僧が当てられた。平均1人2回。東福寺と建仁寺に集中している(相国寺はなし)。
  • 1655年(明暦1年)から2年交代となる。
  • 輪番は10~15人を随行した。
  • 加番役9人。
  • 厳原藩では最高位の僧侶として厚遇した。
  • 費用は厳原藩が負担することが多かった。
  • 78人が本山住持を経験している。


組織

住職

  • 幕府の役職である「朝鮮書契御用」を務めた。当初は1年交代。1655年(明暦1年)から任期2年。1年または3年で交代する。南禅寺以外の五山天龍寺相国寺建仁寺東福寺)の碩学僧から選ばれた。碩学僧に限定されたため特定の塔頭に偏ることが多かった。
  • 在任中に死去することも少なくなかった。
  • 名前は『国史大辞典』の「『本邦朝鮮往復書』以酊庵輪番僧」表に基づく。在任期間は「江戸時代、日朝外交の一側面:対馬以酊庵輪番制度と関係史料について」[1]に基づく(国史大辞典同表記載の往復書収録年代欄とは多少異なる)。
世数 輪番 生没年 就任年 本山 本山世数 略歴
1世 景轍玄蘇 1537-1611 1580-1611 博多聖福寺10世。筑前国出身。父は河津隆業。1580年(天正8年)と1589年(天正17年)に朝鮮に渡り外交を担った。文禄・慶長の役にも従軍。1609年(慶長14年)、朝鮮に渡り、己酉約条を成立させた。明の皇帝神宗から蜀紅錦の袈裟を贈られた。1611年(慶長16年)10月22日死去。75歳。西山寺に像が伝わる。弟子の規伯玄方が『仙巣稿』を編纂。
2世 規伯玄方 1588-1661 1619-1635 景轍玄蘇の弟子。筑前出身。師の死後、1619年(元和5年)住職に就任。1621年(元和7年)と1629年(寛永6年)「日本国王使」として朝鮮訪問。寛永の時には首都漢城(ソウル)に入京した。1635年(寛永12年)の「柳川一件」で盛岡藩に配流。1658年(万治1年)許される。南禅寺語心院住職・建長寺公帖などを歴任。1661年(寛文1年)10月23日死去。74歳。西山寺に像が伝わる。(日本人名大辞典)
3世 1番 玉峰光〓 1635-1636 東福寺 1635年(寛永12年)8月、以酊庵輪番に就任。1636年(寛永13年)8月輪番退任。天倫光沢の法嗣。自坊は東福寺宝勝院。
4世 2番 棠蔭玄召 1636-1638 東福寺 235世 1636年(寛永13年)9月、以酊庵輪番に就任。1638年(寛永15年)3月輪番退任。〓陰玄召。
5世 3番 洞叔寿仙 1638-1639 天龍寺 199世 1638年(寛永15年)4月、以酊庵輪番に就任。1639年(寛永16年)4月輪番退任。
4番 玉峰光〓 1639-1640 東福寺 1639年(寛永16年)4月、以酊庵輪番に就任。1640年(寛永17年)3月輪番退任。
5番 棠蔭玄召 1640-1641 東福寺 235世 1640年(寛永17年)4月、以酊庵輪番に就任。1641年(寛永18年)1月輪番退任。
6番 洞叔寿仙 1641-1642 天龍寺 199世 1641年(寛永18年)4月、以酊庵輪番に就任。1642年(寛永19年)3月輪番退任。
7番 棠蔭玄召 1642-1643 東福寺 235世 1642年(寛永19年)4月、以酊庵輪番に就任。1643年(寛永20年)3月輪番退任。
6世 8番 鉤天永洪 1643-1644 建仁寺 302世 1643年(寛永20年)3月、以酊庵輪番に就任。1644年(正保1年)4月輪番退任。釣天永洪。
7世 9番 周南円且 1644-1645 東福寺 238世 1644年(正保1年)4月、以酊庵輪番に就任。1645年(正保2年)3月輪番退任。周南円旦。
8世 10番 茂源紹栢 1645-1646 建仁寺 303世 1645年(正保2年)4月、以酊庵輪番に就任。1646年(正保3年)5月輪番退任。茂源紹柏。
11番 鉤天永洪 1646-1647 建仁寺 302世 1646年(正保3年)5月、以酊庵輪番に就任。1647年(正保4年)5月輪番退任。
12番 周南円且 1647-1647 東福寺 238世 1647年(正保4年)5月、以酊庵輪番に就任。1647年(正保4年)11月輪番退任。在任中死去。
13番 茂源紹栢 1647-1650 建仁寺 303世 1647年(正保4年)11月、以酊庵輪番に就任。1650年(慶安3年)閏10月輪番退任。
14番 鉤天永洪 1650-1653 建仁寺 302世 1650年(慶安3年)閏10月、以酊庵輪番に就任。1653年(承応2年)2月輪番退任。在任中死去。
9世 15番 賢渓玄倫 1653-1654 天龍寺 201世 1653年(承応2年)4月、以酊庵輪番に就任。1654年(承応3年)5月輪番退任。賢渓昌倫。
10世 16番 九岩中達 1654-1655 建仁寺 300世 1654年(承応3年)5月、以酊庵輪番に就任。1655年(明暦1年)6月輪番退任。九巌中達。
17番 茂源紹栢 1655-1657 建仁寺 303世 1655年(明暦1年)6月、以酊庵輪番に就任。1657年(明暦3年)4月輪番退任。
11世 18番 覚雲顕吉 ?-1667 1657-1659 相国寺 96世 1657年(明暦3年)4月、以酊庵輪番に就任。1659年(万治2年)5月輪番退任。
12世 19番 天沢円育 1659-1661 東福寺 239世 1659年(万治2年)5月、以酊庵輪番に就任。1661年(寛文1年)5月輪番退任。
13世 20番 顕令通憲 1661-1663 建仁寺 306世 1661年(寛文1年)6月、以酊庵輪番に就任。1663年(寛文3年)3月輪番退任。
14世 21番 大崋令瞻 1663-1665 東福寺 241世 1663年(寛文3年)5月、以酊庵輪番に就任。1665年(寛文5年)4月輪番退任。太華令〓。
15世 22番 虎林中虔 1627-1678 1665-1667 天龍寺 202世 1665年(寛文5年)4月、以酊庵輪番に就任。1667年(寛文7年)4月輪番退任。
16世 23番 春葩宗全 1620-1696 1667-1669 相国寺 98世 1667年(寛文7年)5月、以酊庵輪番に就任。1669年(寛文9年)3月輪番退任。
17世 24番 泉叔梵亨 1669-1671 天龍寺 203世 1669年(寛文9年)5月、以酊庵輪番に就任。1671年(寛文11年)6月輪番退任。
18世 25番 江岳元策 ?-1672 1671-1672 天龍寺 1671年(寛文11年)6月、以酊庵輪番に就任。1672年(寛文12年)6月輪番退任。三江紹益の弟子。延慶庵、衣笠地蔵院12世、南芳院、臨川寺西堂を歴任。以酊庵在任中、1672年(寛文12年)閏6月5日死去。
19世 26番 愚渓等厚 ?-1675 1672-1673 相国寺 99世 1672年(寛文12年)7月、以酊庵輪番に就任。1673年(延宝1年)5月輪番退任。
20世 27番 南宗祖辰 1673-1675 東福寺 242世 1673年(延宝1年)6月、以酊庵輪番に就任。1675年(延宝3年)4月輪番退任。
21世 28番 蘭室玄森 1675-1677 天龍寺 204世 1675年(延宝3年)4月、以酊庵輪番に就任。1677年(延宝5年)4月輪番退任。
22世 29番 雲外東竺 1630-1730 1677-1679 建仁寺 310世 1677年(延宝5年)5月、以酊庵輪番に就任。1679年(延宝7年)5月輪番退任。
30番 南宗祖辰 1679-1681 東福寺 242世 1679年(延宝7年)5月、以酊庵輪番に就任。1681年(天和1年)6月輪番退任。
23世 31番 汝舟妙恕 1636-1681 1681-1682 相国寺 100世 1681年(天和1年)6月、以酊庵輪番に就任。1682年(天和2年)2月輪番退任。在任中死去。汝船妙恕。
24世 32番 太虚顕霊 ?-1705 1682-1684 相国寺 101世 1682年(天和2年)3月、以酊庵輪番に就任。1684年(貞享1年)4月輪番退任。
25世 33番 古霊道充 1684-1686 天龍寺 206世 1684年(貞享1年)5月、以酊庵輪番に就任。1686年(貞享3年)3月輪番退任。
34番 松堂宗植 1686-1688 建仁寺 311世 1686年(貞享3年)3月、以酊庵輪番に就任。1688年(元禄1年)4月輪番退任。
26世 35番 黄岩慈璋 1688-1690 建仁寺 312世 1688年(元禄1年)5月、以酊庵輪番に就任。1690年(元禄3年)4月輪番退任。黄巌慈嶂。
27世 36番 天啓集仗 1690-1692 相国寺 歴代 1690年(元禄3年)4月、以酊庵輪番に就任。1692年(元禄5年)3月輪番退任。
28世 37番 東谷守洵 1692-1694 天龍寺 1692年(元禄5年)4月、以酊庵輪番に就任。1694年(元禄7年)4月輪番退任。天龍寺南芳院。
29世 38番 松隠玄棟 1694-1696 東福寺 245世 1694年(元禄7年)5月、以酊庵輪番に就任。1696年(元禄9年)3月輪番退任。松陰玄棟。
30世 39番 文礼周郁 1696-1698 天龍寺 207世 1696年(元禄9年)4月、以酊庵輪番に就任。1698年(元禄11年)4月輪番退任。
31世 40番 中山玄中 1698-1700 天龍寺 209世 1698年(元禄11年)4月、以酊庵輪番に就任。1700年(元禄13年)5月輪番退任。
32世 41番 別宗祖縁 1658-1714 1700-1702 相国寺 103世 1700年(元禄13年)5月、以酊庵輪番に就任。1702年(元禄15年)6月輪番退任。
33世 42番 雪堂令研 1702-1704 東福寺 1702年(元禄15年)5月(ママ)、以酊庵輪番に就任。1704年(宝永1年)6月輪番退任。東福寺龍眠庵。
43番 松堂宗植 1704-1706 建仁寺 311世 1704年(宝永1年)6月、以酊庵輪番に就任。1706年(宝永3年)4月輪番退任。
34世 44番 関仲智悦 1706-1708 天龍寺 208世 1706年(宝永3年)5月、以酊庵輪番に就任。1708年(宝永5年)4月輪番退任。
35世 45番 月心性湛 1708-1710 天龍寺 211世 1708年(宝永5年)4月、以酊庵輪番に就任。1710年(宝永7年)5月輪番退任。
36世 46番 雲壑永集 1710-1712 建仁寺 315世 1710年(宝永7年)5月、以酊庵輪番に就任。1712年(正徳2年)5月輪番退任。
47番 中山玄中 1712-1714 天龍寺 209世 1712年(正徳2年)5月、以酊庵輪番に就任。1714年(正徳4年)3月輪番退任。
48番 関仲智悦 1714-1716 天龍寺 208世 1714年(正徳4年)3月、以酊庵輪番に就任。1716年(享保1年)2月輪番退任。在任中死去。
37世 49番 石霜龍菖 1716-1718 東福寺 254世 1716年(享保1年)3月、以酊庵輪番に就任。1718年(享保3年)5月輪番退任。東福寺即宗院。
50番 月心性湛 1718-1720 天龍寺 211世 1718年(享保3年)5月、以酊庵輪番に就任。1720年(享保5年)4月輪番退任。
38世 51番 古渓性琴 1720-1722 天龍寺 214世 1720年(享保5年)4月、以酊庵輪番に就任。1722年(享保7年)4月輪番退任。
39世 52番 天衣守倫 1722-1724 東福寺 255世 1722年(享保7年)4月、以酊庵輪番に就任。1724年(享保9年)4月輪番退任。
40世 53番 蘭谷祖芳 ?-1728 1724-1726 相国寺 106世 1724年(享保9年)4月、以酊庵輪番に就任。1726年(享保11年)4月輪番退任。蘭谷等芳。
41世 54番 雲崖道岱 1726-1728 天龍寺 213世 1726年(享保11年)4月、以酊庵輪番に就任。1728年(享保13年)4月輪番退任。
55番 天衣守倫 1728-1730 東福寺 255世 1728年(享保13年)4月、以酊庵輪番に就任。1730年(享保15年)4月輪番退任。
42世 56番 雪巌中〓 1730-1732 建仁寺 324世 1730年(享保15年)4月、以酊庵輪番に就任。1732年(享保17年)4月輪番退任。
43世 57番 藍渓光〓 1732-1734 東福寺 258世 1732年(享保17年)4月、以酊庵輪番に就任。1734年(享保19年)4月輪番退任。
44世 58番 藍坡中〓 ?-1748 1734-1736 相国寺 108世 1734年(享保19年)4月、以酊庵輪番に就任。1736年(元文1年)4月輪番退任。蘭坡中珣。
45世 59番 東明覚〓 1736-1738 建仁寺 326世 1736年(元文1年)4月、以酊庵輪番に就任。1738年(元文3年)4月輪番退任。
60番 雲崖道岱 1738-1740 天龍寺 213世 1738年(元文3年)4月、以酊庵輪番に就任。1740年(元文5年)4月輪番退任。
61番 雪巌中〓 1740-1742 建仁寺 324世 1740年(元文5年)4月、以酊庵輪番に就任。1742年(寛保2年)4月輪番退任。
46世 62番 維天承瞻 1694-1770 1742-1744 相国寺 109世 1742年(寛保2年)4月、以酊庵輪番に就任。1744年(延享1年)5月輪番退任。
47世 63番 瑞源等禎 1744-1746 天龍寺 216世 1744年(延享1年)5月、以酊庵輪番に就任。1746年(延享3年)3月輪番退任。
48世 64番 翠巌承壑 1746-1748 天龍寺 217世 1746年(延享3年)3月、以酊庵輪番に就任。1748年(寛延1年)7月輪番退任。翠岩承堅。
49世 65番 玉嶺守英 1748-1750 東福寺 262世 1748年(寛延1年)7月、以酊庵輪番に就任。1750年(寛延3年)5月輪番退任。玉嶺守瑛。
50世 66番 天岸覚葩 1750-1752 建仁寺 329世 1750年(寛延3年)5月、以酊庵輪番に就任。1752年(宝暦2年)5月輪番退任。
67番 維天承瞻 1694-1770 1752-1754 相国寺 109世 1752年(宝暦2年)5月、以酊庵輪番に就任。1754年(宝暦4年)5月輪番退任。
68番 瑞源等禎 1754-1754 天龍寺 216世 1754年(宝暦4年)5月、以酊庵輪番に就任。1754年(宝暦4年)6月輪番退任。在任中死去。
69番 翠巌承壑 1754-1756 天龍寺 217世 1754年(宝暦4年)11月、以酊庵輪番に就任。1756年(宝暦6年)6月輪番退任。
51世 70番 北〓道爾 1756-1758 建仁寺 327世 1756年(宝暦6年)6月、以酊庵輪番に就任。1758年(宝暦8年)5月輪番退任。
52世 71番 天叔顕台 ?-1786 1758-1760 相国寺 111世 1758年(宝暦8年)5月、以酊庵輪番に就任。1760年(宝暦10年)4月輪番退任。
53世 72番 拙山周寅 1760-1762 天龍寺 218世 1760年(宝暦10年)4月、以酊庵輪番に就任。1762年(宝暦12年)4月輪番退任。在任中死去。
54世 73番 桂巌龍芳 1762-1764 東福寺 264世 1762年(宝暦12年)4月、以酊庵輪番に就任。1764年(明和1年)4月輪番退任。
74番 玉嶺守英 1764-1766 東福寺 262世 1764年(明和1年)4月、以酊庵輪番に就任。1766年(明和3年)6月輪番退任。
55世 75番 昊巌元穹 1766-1768 天龍寺 219世 1766年(明和3年)6月、以酊庵輪番に就任。1768年(明和5年)6月輪番退任。
76番 桂巌龍芳 1768-1770 東福寺 264世 1768年(明和5年)6月、以酊庵輪番に就任。1770年(明和7年)5月輪番退任。桂岩龍芳。
56世 77番 海山覚暹 1770-1772 建仁寺 336世 1770年(明和7年)5月、以酊庵輪番に就任。1772年(安永1年)6月輪番退任。
57世 78番 岱宗承嶽 ?-1784 1772-1775 相国寺 112世 1772年(安永1年)6月、以酊庵輪番に就任。1775年(安永4年)3月輪番退任。
79番 海山覚暹 1775-1777 建仁寺 336世 1775年(安永4年)3月、以酊庵輪番に就任。1777年(安永6年)8月輪番退任。在任中死去。
58世 80番 湛堂令椿 1777-1779 天龍寺 222世 1777年(安永6年)8月、以酊庵輪番に就任。1779年(安永8年)5月輪番退任。
59世 81番 高峰東晙 1736-1801 1779-1781 建仁寺 335世 1779年(安永8年)5月、以酊庵輪番に就任。1781年(天明1年)5月輪番退任。
60世 82番 梅荘顕常 1719-1801 1781-1783 相国寺 113世 1781年(天明1年)5月、以酊庵輪番に就任。1783年(天明3年)5月輪番退任。
83番 岱宗承嶽 ?-1784 1783-1784 相国寺 112世 1783年(天明3年)5月、以酊庵輪番に就任。1784年(天明4年)5月輪番退任。
84番 湛堂令椿 1784-1786 天龍寺 222世 1784年(天明4年)5月、以酊庵輪番に就任。1786年(天明6年)5月輪番退任。
61世 85番 熙陽龍育 1786-1788 東福寺 265世 1786年(天明6年)5月、以酊庵輪番に就任。1788年(天明8年)4月輪番退任。熈陽龍育。
62世 86番 環中玄諦 1788-1790 建仁寺 341世 1788年(天明8年)4月、以酊庵輪番に就任。1790年(寛政2年)4月輪番退任。
63世 87番 象田周畊 1790-1792 天龍寺 223世 1790年(寛政2年)4月、以酊庵輪番に就任。1792年(寛政4年)3月輪番退任。
88番 環中玄諦 1792-1795 建仁寺 341世 1792年(寛政4年)3月、以酊庵輪番に就任。1795年(寛政7年)4月輪番退任。
64世 89番 天瑞守選 1795-1797 東福寺 269世 1795年(寛政7年)4月、以酊庵輪番に就任。1797年(寛政9年)4月輪番退任。
65世 90番 松源中奨 1740-1801 1797-1799 相国寺 114世 1797年(寛政9年)4月、以酊庵輪番に就任。1799年(寛政11年)4月輪番退任。
91番 熙陽龍育 1799-1801 東福寺 265世 1799年(寛政11年)4月、以酊庵輪番に就任。1801年(享和1年)4月輪番退任。
92番 象田周畊 1801-1803 天龍寺 223世 1801年(享和1年)4月、以酊庵輪番に就任。1803年(享和3年)4月輪番退任。
93番 天瑞守選 1803-1805 東福寺 269世 1803年(享和3年)4月、以酊庵輪番に就任。1805年(文化2年)4月輪番退任。
66世 94番 〓川恵〓 1805-1807 相国寺 1805年(文化2年)4月、以酊庵輪番に就任。1807年(文化4年)5月輪番退任。
67世 95番 嗣堂東緝 1807-1809 建仁寺 344世 1807年(文化4年)5月、以酊庵輪番に就任。1809年(文化6年)4月輪番退任。嗣堂東絹。
68世 96番 龍潭周禎 1809-1811 天龍寺 1809年(文化6年)4月、以酊庵輪番に就任。1811年(文化8年)2月輪番退任。
69世 97番 月耕玄宜 1811-1812 東福寺 1811年(文化8年)2月、以酊庵輪番に就任。1812年(文化9年)5月輪番退任。東福寺大機院。1812年(文化9年)5月15日、以酊庵在任中に死去。
70世 98番 大中周愚 ?-1813 1813-1813 相国寺 117世 1813年(文化10年)2月、以酊庵輪番に就任。1813年(文化10年)10月輪番退任。病気を患いながら赴任し悪化して交代を願い出でて帰還途中に下関で死去。
71世 99番 加源周汪 1813-1815 天龍寺 226世 1813年(文化10年)10月、以酊庵輪番に就任。1815年(文化12年)4月輪番退任。別源周汪、別源周注。
100番 嗣堂東緝 1815-1817 建仁寺 344世 1815年(文化12年)4月、以酊庵輪番に就任。1817年(文化14年)3月輪番退任。
72世 101番 月江承宣 1817-1819 天龍寺 227世 1817年(文化14年)3月、以酊庵輪番に就任。1819年(文政2年)閏4月輪番退任。月江承宜。
73世 102番 霊巌龍根 1819-1821 東福寺 270世 1819年(文政2年)閏4月、以酊庵輪番に就任。1821年(文政4年)4月輪番退任。霊岩龍根。
74世 103番 以中玄保 ?-1835 1821-1823 相国寺 119世 1821年(文政4年)4月、以酊庵輪番に就任。1823年(文政6年)4月輪番退任。
75世 104番 則堂通銓 1823-1825 建仁寺 347世 1823年(文政6年)4月、以酊庵輪番に就任。1825年(文政8年)4月輪番退任。
76世 105番 盈冲周整 1795-1861 1825-1827 相国寺 120世 1825年(文政8年)4月、以酊庵輪番に就任。1827年(文政10年)4月輪番退任。
77世 106番 願海守航 1771-1843 1827-1829 東福寺 273世 1827年(文政10年)4月、以酊庵輪番に就任。1829年(文政12年)4月輪番退任。
107番 以中玄保 ?-1835 1829-1831 相国寺 119世 1829年(文政12年)4月、以酊庵輪番に就任。1831年(天保2年)4月輪番退任。
78世 108番 剛中周侃 1831-1833 天龍寺 229世 1831年(天保2年)4月、以酊庵輪番に就任。1833年(天保4年)4月輪番退任。
109番 則堂通銓 1833-1835 建仁寺 347世 1833年(天保4年)4月、以酊庵輪番に就任。1835年(天保6年)4月輪番退任。
110番 盈冲周整 1795-1861 1835-1837 相国寺 120世 1835年(天保6年)4月、以酊庵輪番に就任。1837年(天保8年)3月輪番退任。
111番 願海守航 1837-1839 東福寺 273世 1837年(天保8年)3月、以酊庵輪番に就任。1839年(天保10年)4月輪番退任。
79世 112番 南海英〓 1839-1841 天龍寺 231世 1839年(天保10年)4月、以酊庵輪番に就任。1841年(天保12年)4月輪番退任。
80世 113番 全室慈保 1841-1843 建仁寺 348世 1841年(天保12年)5月、以酊庵輪番に就任。1843年(天保14年)4月輪番退任。
81世 114番 荊叟東〓 1794-1886 1843-1845 建仁寺 352世 1843年(天保14年)4月、以酊庵輪番に就任。1845年(弘化2年)3月輪番退任。臨済宗建仁寺派管長初代。
82世 115番 北〓承学 ?-1849 1845-1847 相国寺 121世 1845年(弘化2年)3月、以酊庵輪番に就任。1847年(弘化4年)3月輪番退任。北潤承学。
116番 南海英〓 1847-1849 天龍寺 231世 1847年(弘化4年)3月、以酊庵輪番に就任。1849年(嘉永2年)4月輪番退任。
117番 全室慈保 1849-1851 建仁寺 348世 1849年(嘉永2年)4月、以酊庵輪番に就任。1851年(嘉永4年)4月輪番退任。
83世 118番 宋州師定 1851-1853 東福寺 280世 1851年(嘉永4年)4月、以酊庵輪番に就任。1853年(嘉永6年)4月輪番退任。宋洲師定。
84世 119番 龍巌周績 1853-1854 天龍寺 230世 1853年(嘉永6年)4月、以酊庵輪番に就任。1854年(安政1年)4月輪番退任。龍巌周続。
120番 荊叟東〓 1794-1886 1854-1856 建仁寺 352世 1854年(安政1年)4月、以酊庵輪番に就任。1856年(安政3年)4月輪番退任。
85世 121番 春局光宣 1856-1858 東福寺 1856年(安政3年)4月、以酊庵輪番に就任。1858年(安政5年)4月輪番退任。東福寺即宗院。
86世 122番 橘州周偆 ?-1864 1858-1860 相国寺 122世 1858年(安政5年)4月、以酊庵輪番に就任。1860年(万延1年)4月輪番退任。橘洲周偆。
87世 123番 宋州師常 1860-1862 東福寺 280世 1860年(万延1年)4月、以酊庵輪番に就任。1862年(文久2年)4月輪番退任。宋州師定。
88世 124番 清隠周忌 1862-1864 天龍寺 233世 1862年(文久2年)4月、以酊庵輪番に就任。1864年(元治1年)4月輪番退任。清隠周〓。
125番 荊叟東〓 1794-1886 1864-1866 建仁寺 352世 1864年(元治1年)4月、以酊庵輪番に就任。1866年(慶応2年)4月輪番退任。
89世 126番 玉〓守俊 ?-1886 1866-1867 東福寺 287世 1866年(慶応2年)4月、以酊庵輪番に就任。1867年(慶応3年)3月輪番退任。玉澗守俊。
http://shinden.boo.jp/wiki/%E4%BB%A5%E9%85%8A%E5%BA%B5」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール