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伊勢神宮
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年1月22日 (日)
神宮 じんぐう | |
概要 | 皇祖神を祀る神社。 |
奉斎 | 主祭神:天照大神、豊受大神 |
所在地 | 三重県伊勢市 |
所在地(旧国郡) | 伊勢国度会郡 |
所属(現在) | 神社本庁 |
格式など | |
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伊勢神宮(いせ・じんぐう)は、三重県伊勢市にある皇祖神天照大神を祀る神社。伊勢信仰の総本社。現在の正式名称は神宮である。官社(式内社)・二十二社。伊勢神宮関連旧跡・元伊勢も参照。
主祭神を祀る内宮皇大神宮とその神饌を司る豊受大神を祀る外宮豊受大神宮を中心に大小125社の神社から構成されている。内宮外宮のほか、別宮14社、摂社43社、末社24社、所管社34社、別宮所管社8社が伊勢市周辺各地に分布している。
神社神道で最も重要な聖地とされる。天皇のレガリアである三種の神器の一つ八咫鏡を御神体とし、祭神の天照大神は太陽の女神であり天皇の祖先とされる。近代では社格を超越した存在とされ、通常の神社とは異なる法制度が整備されていた。現在は、神社本庁の本宗と定められ、神社界あげて護持される。祭主、大宮司が置かれる唯一の神社で、組織も最大規模である。また古式に近い状態で式年遷宮が行われている唯一の神社でもある。
11代垂仁天皇の時代の創建とされ、さらに遡れば、天孫降臨の神話で天照大神がニニギに神勅を下したことに求められる。天武天皇が式年遷宮などの制度を整備し、中央集権国家が崩壊した中世でも、歴代の朝廷や幕府など時の政権の崇敬を受けた。外宮神職の度会氏による伊勢神道が生まれ、神道研究を進展させた。伊勢神宮の荘園が広がると、分霊の社が各地に設けられた。天皇の代理として祭祀を行う斎宮が断絶し、遷宮が中断するなど、苦難の時代もあったが、御師が全国に神宮大麻とともに信仰を広め、一般民衆の信仰も得て社殿を復興。近世にはお伊勢参りが大流行した。維新後、天皇を中心とする国家の聖地として重要視され、社殿、神域、組織、祭祀、諸制度が大改革された。明治2年には天皇の参拝が史上初めて行われた。
目次 |
概要
日本の最高の権威者である天皇と非常に密接な関係を持つ特殊な神社である。皇祖神を祀ることで伊勢神宮は国民からの最大の崇敬を獲得し、天皇は天照大神の子孫であることによって宗教的・政治的権威を得る。
内宮の御神体は、神話で天照大神からニニギに与えた神鏡そのものとされる。日本政府は神鏡について、皇室経済法第7条の「皇位とともに伝わるべき由緒ある物」に該当するとの見解を示すとともに、「天皇が伊勢神宮に授けられたのではなく、奉祀せしめられたのである。この関係は、歴代を経て現代に及ぶのである」とし、「神宮にその所有権があると解し得ないことは明らか」としており([1])、現在も皇室の財産であることが分かる。
祭主や大宮司の人事や式年遷宮の日程など、現在も重要な事項は天皇の許可を得ることになっている。神宮規則には、祭主は「皇族又は皇族であつた者とし、勅旨を奉じて定める」とし、大宮司の就任は「勅裁を仰ぐものとする」とあるように、祭祀と大宮司の就任には天皇の許可が必要であると定められている。
天皇は皇居に賢所を祀るが、それは伊勢神宮の神鏡の写しとされ、賢所を中心とする宮中祭祀は伊勢神宮の祭祀と関連を持っている。
太陽神としての信仰、外宮の豊受大神に対する食物の神としての信仰、大日如来や阿弥陀如来との同一視する信仰などあるとしても根幹になってきたのは皇祖神を祀る宗廟であったことにあると思われる。
奉斎
天照大神
豊受大神
由緒
記紀神話の天孫降臨に際して、天照大神がニニギに同床共殿の神勅とともに八咫の鏡を授けたのが起源。同床共殿の神勅は、この神鏡を天皇が住まいとする宮殿にともに祀ることを命じたもの。最初は神勅通りに祀られてきたが、10代崇神天皇の代、神威を畏怖して大和の笠縫邑に遷座し、11代垂仁天皇の代に倭姫命が鎮座にふさわしい地を探して各地を巡った結果、神託を受けて伊勢に祀ったとされる。皇大神宮の創建とされる。
当初は神鏡を奉斎する内宮しかなかったが、その後、21代雄略天皇の代に、天照大神の命で丹波(現在の丹後国)から等由気大神(豊受大神)を招き、神饌を司る神として鎮座した。これが外宮豊受大神宮である。
倭姫命が諸国を訪れ、天照大神を仮に祀った旧跡や豊受大神がもともと鎮座していた旧跡は元伊勢と呼ばれる。
歴史
古代
中世
近世
近代
境内
組織
祭主(前近代)
- 1大中臣御食子()<>:
- 2大中臣国子()<>:
- 3大中臣国足(生没年不詳)<>:中臣国の子。645年(大化1年)神宮祭主。大和中臣寺を創建。
- 4大中臣大島()<>:
- 5大中臣意美麻呂()<>:
- 6大中臣東人(生没年不詳)<>:中臣意美麻呂の子。祭主。神祇伯。
- 7大中臣広見()<>:
- 8大中臣人足(生没年不詳)<>:中臣垂目の孫。中臣島麻呂の子。神祇大副。神宮祭主。
- 9大中臣清麻呂()<>:
- 10大中臣益人()<>:
- 11大中臣清麻呂()<>:
- 12大中臣子老(?-789)<772->:大中臣清麻呂の次男。中臣氏から大中臣氏に改姓。772年(宝亀3年)神宮祭主。777年(宝亀8年)神祇伯。789年(延暦8年)1月25日死去。
- 13大中臣諸魚()<>:
- 14大中臣諸人()<>:
- 15大中臣淵魚(774-850)<813->:大中臣清麻呂の孫。813年(弘仁4年)神宮祭主。815年(弘仁6年)年神祇大副。神祇伯。850年(嘉祥3年)3月3日死去。77歳。
- 16大中臣礒守()<>:
- 17大中臣毛人()<>:
- 18大中臣国雄(生没年不詳)<834->:834年(承和1年)神宮祭主。神祇大副。
- 19大中臣〓守()<>:草冠+稗
- 20大中臣逸志()<>:
- 21大中臣豊雄(?-870)<867->:867年(貞観9年)神宮祭主。
- 22大中臣有本(?-894)<872->:大中臣雄良の子。872年(貞観14年)神宮祭主。894年(寛平6年)2月死去。
- 23大中臣安則()<>:
- 24大中臣奥生()<>:
- 25大中臣頼基(?-958)<939->:939年(天慶2年)神宮祭主。三十六歌仙の一人。
- 26大中臣公節()<>:
- 27大中臣元房()<>:
- 28大中臣能宣(921-991)<>:三十六歌仙の一人。
- 29大中臣永頼()<>:
- 30大中臣輔親(954-1038)<1001->:伊勢の岩出に邸宅を構えて岩出と号した。大中臣能宣の子。1001年(長保3年)神宮祭主。神祇伯。1038年(長暦2年)6月22日死去。85歳。
- 31大中臣佐国()<>:
- 32大中臣兼興()<>:
- 33大中臣永輔()<>:
- 34大中臣元範()<>:
- 35大中臣輔経()<>:
- 36大中臣頼宣()<>:
- 37大中臣親定()<1091-1122>:
- 38大中臣公長()<>:
- 39大中臣清親()<>:
- 40大中臣親章()<>:
- 41大中臣為仲()<>:
- 42大中臣師親()<-1165>:
- 43大中臣親隆(1105-1187)<1165->:1165年(永万1年)神宮祭主。神祇大副。1182年(寿永1年)辞任。1187年(文治3年)9月29日死去。83歳。
- 44大中臣親俊()<>:
- 45大中臣能隆(1146-1234)<1185->:大中臣親隆の次男。1185年(文治1年)神宮祭主。1190年(建久1年)神祇大副。1222年(貞応1年)再任。1230年(寛喜2年)辞任。
- 46大中臣隆宗()<>:
- 47大中臣能隆(1146-1234)<1222-1230>:再任。
- 48大中臣隆通(1208-1249)<1230->:大中臣能隆の七男。建長元年8月30日死去。42歳。
- 49大中臣隆世()<>:
- 50大中臣隆蔭()<>:
- 51大中臣定世()<>:
- 52大中臣為継()<>:
- 53大中臣隆蔭()<>:
- 54大中臣定世()<>:
- 55大中臣隆直()<>:
- 56大中臣為継()<>:
- 57大中臣定世()<>:
- 58大中臣隆直()<>:
- 59大中臣為継()<>:
- 60大中臣定忠()<>:
- 61大中臣為連()<>:
- 62大中臣経蔭()<>:
- 63大中臣定忠()<>:
- 64大中臣蔭直()<>:
- 65大中臣隆実()<>:
- 66大中臣親忠()<>:
- 67大中臣隆実()<>:
- 68大中臣蔭直()<>:
- 69大中臣親忠()<>:
- 70大中臣親直()<>:
- 71大中臣親忠()<>:
- 72大中臣親世()<>:
- 73大中臣忠直()<>:
- 74大中臣実直()<>:
- 75大中臣親世()<>:
- 76大中臣基直()<>:
- 77大中臣清世()<>:
- 78大中臣通直()<>:
- 79大中臣清忠()<>:
- 80大中臣宗直()<>:
- 81大中臣清忠()<>:
- 82大中臣宗直()<>:
- 83大中臣清忠()<>:
- 84大中臣秀忠()<>:
- 85大中臣輔直()<>:
- 86大中臣伊忠()<>:「輔忠」。
- 87大中臣朝忠()<>:
- 88大中臣康忠()<>:
- 89大中臣慶忠()<>:
- 90大中臣種忠()<>:
- 91大中臣友忠()<>:
- 92河辺定長()<>:
- 93藤波景忠()<>:
- 94藤波徳忠()<>:
- 95藤波和忠()<>:
- 96藤波季忠(1739-1813)<>:冷泉宗家の次男。藤波和忠の養子。1739年(元文4年)1月26日生。1813年(文化10年)2月15日死去。75歳。
- 97藤波寛忠(-1824)<>:
- 98藤波光忠()<>:
- 99藤波教忠(?-1891)<>:
祭主(近代)
代数 | 名前 | 生没 | 在職 | 略歴 |
---|---|---|---|---|
1 | 近衛忠房 | 1838-1873 | 1871-1873 | 近衛忠煕の子。近衛家は摂家筆頭であるだけでなく、養子に入った後陽成天皇皇子の直系である。1838年(天保9年)生。1858年(安政5年)、安政の大獄で謹慎処分。近衛家は島津家との関係が強く、公武合体派として活動し、1863年(文久3年)には協力して「八月十八日の政変」を起こす。1867年(慶応3年)左大臣。神祇大副。1871年(明治4年)1月29日就任。神道東部管長。1873年(明治6年)7月16日死去。36歳。長男に公爵近衛篤麿、三男に専修寺22世の常磐井尭猷(1872-1951)がいる。(神宮綜覧ほか) |
2 | 三条西季知 | 1811-1880 | 1874-1875 | 三条西家出身。1811年(文化8年)生。尊王攘夷派の公卿として活動し、1862年(文久2年)、国事御用掛となる。1863年(文久3年)「八月十八日の政変」で追放された七卿落ちの一人。長門に下向。新政府参与。麝香間祗候。明治天皇侍従。1874年(明治7年)1月13日神宮祭主就任。1875年(明治8年)7月12日退任。1880年(明治13年)死去。墓所は谷中墓地。(神宮綜覧ほか) |
3 | 久邇宮朝彦親王 | 1824-1891 | 1875-1891 | 皇族祭主の初例。久邇宮初代。伏見宮邦家親王の第四王子。法相宗で出家し、尊応法親王と称し、一乗院門跡43世。興福寺別当235世。天台宗に転じて尊融法親王。青蓮院門跡。天台座主。国政に介入し、将軍継嗣問題では一橋慶喜を推薦し、条約勅許問題では反対を表明したため、安政の大獄で謹慎、さらに隠居、永蟄居に処せられ、相国寺桂芳軒に幽閉。1862年(文久2年)4月、永蟄居が解かれ、青蓮院門跡に復帰。同年、国事御用掛。1863年(文久3年)1月、他の門跡に先駆けて還俗して中川宮と称する。公武合体派の中心的人物となり、「八月十八日の政変」を主謀し、山口藩ら尊王攘夷派を一掃した。8月27日、元服して朝彦と名乗る。1864年(元治1年)、賀陽宮と改称。孝明天皇の崩御で後ろ盾を失い、1867年(慶応3年)12月の王政復古で国事御用掛は解任。さらに1868年(明治1年)8月、反政府運動を画策したとの疑いで親王号を剥奪され、広島藩に幽閉。1870年(明治3年)、京都帰住を許され、伏見宮邸に謹慎。1872年(明治5年)宮号復活。1875年(明治8年)5月、一家を立て久邇宮と称した。1875年(明治8年)7月12日神宮祭主宣下。1891年(明治24年)10月29日死去。墓所は久邇宮泉涌寺墓地。(神宮綜覧) |
4 | 有栖川宮熾仁親王 | 1835-1895 | 1891-1895 | 有栖川宮9代。有栖川宮幟仁親王の第一王子。王政復古にあたり新政府の総裁に就任。戊辰戦争では東征大総督を務め、江戸城を接収。大総督府を設置。兵部卿となり陸海軍を設立。福岡藩知事、元老院議長を歴任。西南戦争では鹿児島県逆徒征討総督。1880年(明治13年)左大臣。1885年(明治18年)、内閣制の導入により、左大臣を辞任し、参謀本部長となる。陸海軍を統括することもあったが陸軍トップの時が長かった。日清戦争の時には陸海全軍の総参謀長となった。1891年(明治24年)12月30日神宮祭主宣下。1895年(明治28年)1月24日死去。日本赤十字社初代総裁。墓所は豊島岡墓地。(神宮綜覧ほか) |
5 | 賀陽宮邦憲王 | 1867-1909 | 1895-1909 | 1895年(明治28年)2月10日宣下。1909年(明治42年)12月8日死去。(神宮綜覧、神宮便覧) |
臨時 | 久邇宮多嘉王 | 1875-1937 | 1909-1919 | 1909年(明治42年)9月23日就任。1919年(大正8年)9月6日正式就任。(神宮便覧) |
臨時 | 久邇宮邦彦王 | 1873-1929 | 1915- | 1915年(大正4年)就任。 |
臨時 | 鷹司煕通 | 1855-1918 | 1916- | 1916年(大正5年)就任。 |
6 | 久邇宮多嘉王 | 1875-1937 | 1919-1937 | 1919年(大正8年)9月6日就任。1937年(昭和12年)10月1日死去。(神宮便覧) |
臨時 | 梨本宮守正王 | 1874-1951 | 1937-1945 | 1937年(昭和12年)10月14日就任。1945年(昭和20年)退任。 |
7 | 北白川房子(北白川宮房子内親王) | 1890-1974 | 1947-1974 | 1947年(昭和22年)就任。1974年(昭和49年)退任。 |
臨時 | 鷹司和子 | 1929-1989 | 1973-1974 | 1973年(昭和48年)就任。1974年(昭和49年)正式就任。 |
8 | 鷹司和子 | 1929-1989 | 1974-1987 | 1974年(昭和49年)就任。1987年(昭和62年)退任。 |
9 | 池田厚子 | 1931- | 1887-2017 | 1987年(昭和62年)就任。2017年(平成29年)退任。 |
臨時 | 黒田清子 | 1969- | 2012-2013 | 2012年(平成24年)就任。翌年退任。 |
10 | 黒田清子 | 1969- | 2017-現職 | 2017年(平成29年)6月19日就任。 |
大宮司
- 中臣香積連須気()<>:初代。孝徳天皇の時代という。
- 大中臣久世主()<826->:以後、大中臣氏が世襲。
- 大中臣宗幹
- 大中臣忠緒
- 大中臣義任
- 大中臣長盛
- 大中臣忠氏
- 河辺満長()<-1587->:
- 河辺精長(1601-1688)<>:寛文の摂社復興に尽力。著書は『寛文摂社再興記』。
- 河辺長春(1658-1693)<1675->:
大宮司・宮司
神宮大宮司。1877年(明治10年)頃から1900年(明治33年)までは「宮司」だった。
代数 | 名前 | 生没 | 在職 | 略歴 |
---|---|---|---|---|
1 | 北小路随光 | 1832-1916 | 1871-1873 | 1871年(明治4年)就任。1873年(明治6年)1月9日退任。(神宮綜覧) |
2 | 本庄宗秀 | 1809-1873 | 1873-1873 | 宮津藩主、神道家。禊教開祖井上正鉄の弟子。1873年(明治6年)1月9日就任。1873年(明治6年)11月29日死去。(神宮綜覧) |
3 | 田中頼庸 | 1836-1897 | 1874-1882 | 鹿児島藩士、国学者。神宮教初代管長。1874年(明治7年)1月12日就任。1882年(明治15年)1月23日退任。(神宮綜覧) |
4 | 鹿島則文 | 1839-1901 | 1884-1898 | 鹿島神宮出身の神職。鹿島神宮大宮司。1884年(明治17年)4月2日就任。1898年(明治31年)6月27日退任。(神宮綜覧) |
5 | 冷泉為紀 | 1854-1905 | 1898-1905 | 旧公卿の華族。伯爵。1875年(明治8年)家督を相続し、少講義。1880年(明治13年)、権少教正、宮内省御用掛。1890年(明治23年)貴族院議員。1898年(明治31年)3月、平安神宮宮司。同年6月、神宮少宮司(『神道人名辞典』に記載あるが、伊勢神宮の資料になし?)。1900年(明治33年)神宮大宮司。神前結婚式の創始に功績。(神宮綜覧では1898年(明治31年)6月27日就任。1905年(明治38年)11月24日死去。) |
6 | 三室戸和光 | 1842-1922 | 1905-1922 | 子爵。1905年(明治38年)12月9日就任。1922年(大正11年)3月20日退任。1922年(大正11年)死去。(神宮綜覧、神宮便覧) |
7 | 三条西実義 | 1866-1949 | 1922-1940 | 伯爵。1922年(大正11年)3月20日就任。1940年(昭和15年)2月24日退任。1949年(昭和24年)死去。(神宮便覧) |
8 | 高倉篤麿 | 1880-1964 | 1940-1951 | 子爵。1940年(昭和15年)2月24日から1951年(昭和26年)7月26日まで神宮大宮司。(神宮便覧ほか) |
9 | 佐佐木行忠 | 1893-1975 | 1951-1957 | 神社本庁統理。神社界の要職を歴任した昭和の華族。東京府出身。1893年(明治26年)生。京都帝国大学卒。貴族院議員。貴族院副議長。侯爵。皇典講究所所長。1951年(昭和26年)7月26日から1957年(昭和32年)4月まで伊勢神宮大宮司。国学院大学学長。1975年(昭和50年)死去。 |
10 | 坊城俊良 | 1893-1966 | 1957-1966 | 1957年(昭和32年)4月18日、神宮大宮司。1966年(昭和41年)5月30日、在職で死去。72歳。 |
11 | 徳川宗敬 | 1897-1989 | 1966-1976 | 神社本庁統理。一橋徳川家当主。1897年(明治30年)生。1966年(昭和41年)7月から1976年(昭和51年)3月まで神宮大宮司。1989年(平成1年)死去。 |
12 | 二条弼基 | 1911-1985 | 1976-1985 | 1911年(明治44年)生。1976年(昭和51年)3月2日、神宮大宮司。1985年(昭和60年)8月28日、在職で死去。 |
13 | 慶光院俊 | 1903-1990 | 1985-1990 | 1937年(昭和12年)から1938年(昭和13年)まで神宮少宮司。1985年(昭和60年)10月7日、神宮大宮司。1990年(平成2年)3月20日、在職で死去。 |
14 | 久邇邦昭 | 1929- | 1990-2001 | 神社本庁統理。1929年(昭和4年)生。1990年(平成2年)5月15日から2001年(平成13年)4月まで神宮大宮司。 |
15 | 北白川道久 | 1937-2018 | 2001-2007 | 神社本庁統理。1937年(昭和12年)生。2001年(平成13年)4月10日から2007年(平成19年)7月まで神宮大宮司。 |
16 | 鷹司尚武 | 1945- | 2007-2017 | 神社本庁統理。1945年(昭和20年)生。2007年(平成19年)7月2日から2017年(平成29年)まで神宮大宮司。 |
17 | 小松揮世久 | 1949- | 2017-2022 | 1949年(昭和24年)生。2017年(平成29年)7月3日から2022年(令和4年)7月まで神宮大宮司。 |
18 | 久邇朝尊 | 1959- | 2022- | 2022年(令和4年)7月5日、神宮大宮司。 |
少宮司・権宮司
神宮少宮司。1877年(明治10年)頃から1900年(明治33年)頃まで「権宮司」だった。
世数 | 名前 | 生没 | 在職 | 略歴 |
---|---|---|---|---|
1 | 藤堂高泰 | 1828-1887 | 1871-1872 | 津藩家老。1828年(文政11年)4月27日生。1871年(明治4年)8月就任、1872年(明治5年)7月18日退任(神宮綜覧)。1878年(明治11年)第百五国立銀行を創設。1887年(明治20年)8月28日死去。60歳。 |
2 | 浦田長民 | 1840-1893 | 1872-1877 | 国学者。1840年(天保11年)1月28日生。1871年(明治4年)、神祇省に出仕。1872年(明治5年)7月就任。1877年(明治10年)12月8日退任(神宮綜覧)。「神宮明治祭式」を制定。1893年(明治26年)10月2日死去。54歳。 |
3 | 藤岡好古 | 1846-1917 | 1882-1885 | 1846年(弘化3年)1月生。堀秀成に師事し、言語学を研究。1882年(明治15年)2月15日就任、1885年(明治18年)8月26日退任(神宮綜覧)。神宮奉斎会会長。東京府神職連合会会長。1917年(大正6年)6月17日死去。72歳。 |
4 | 福原公亮 | 1827-1913 | 1888-1893 | 山口藩士。萩出身。1827年(文政10年)生。1868年(明治1年)華陽丸船将。函館出張。1869年(明治2年)船木県令。1872年(明治5年)山口県大属。1882年(明治15年)2月25日大和神社宮司。3月正七位。1884年(明治17年)10月14日、石清水八幡宮宮司。1886年(明治19年)7月17日、伊弉諾神宮宮司。1888年(明治21年)11月30日、伊勢神宮権宮司。1890年(明治23年)3月、従六位。1893年(明治26年)10月28日退任(神宮綜覧)。在職中、式年遷宮に奉仕。10月24日、大鳥大社宮司。1898年(明治31年)10月19日平野神社宮司。1899年(明治32年)12月、正六位。1907年(明治40年)1月、従五位。1910年(明治43年)5月31日平野神社宮司を退任。1913年(大正2年)7月18日死去。87歳。福原清介。福原周峰。 |
5 | 岡部譲 | 1849-1937 | 1894-1898 | 国学者。賀茂真淵の子孫。1894年(明治27年)4月5日就任、1898年(明治31年)6月27日退任(神宮綜覧)。内宮炎上の責任を感じ辞職。(略歴は、伏見稲荷大社#組織を参照) |
6 | 桑原芳樹 | 1861-1943 | 1897-1911 | 1898年(明治31年)12月20日就任。1910年(明治43年)3月11日退任。(神宮綜覧)(略歴は、熱田神宮#組織を参照) |
7 | 木野戸勝隆 | 1854-1929 | 1910-1914 | 国学者。伊予出身。1854年(安政1年)生。大洲藩明倫堂で学ぶ。1870年(明治3年)9月、大洲藩皇学所副司講。1871年(明治4年)春、帰郷した矢野玄道に師事。1874年(明治7年)春、矢野玄道と共に京都に出る。冬神宮参拝。1875年(明治8年)東京に出る。5月、浅間大社主典。権訓導。11月権少講義。1876年(明治9年)4月、浅間大社権禰宜。神社内の中教院で生徒に教える。1878年(明治11年)3月、官制改革で主典。5月少講義。1880年(明治13年)6月三島神社主典となる(宮司となった権田直助が中教院で行う説教を聴講するためという)。7月、浅間大社禰宜。権中講義。10月大宮神道事務支局長。1882年(明治15年)家督相続。1882年(明治15年)8月、皇典講究所舎長兼文学部助教。1886年(明治19年)10月から1887年(明治20年)5月まで霊山神社禰宜。9月、静岡県皇典講究分所教授。1888年(明治21年)5月、久能山東照宮禰宜。1889年(明治22年)9月17日、皇典講究所から四等学正。1890年(明治23年)10月21日から1893年(明治26年)11月9日まで浅間大社宮司。1891年(明治24年)12月、静岡県神官取締所評議員。1893年(明治26年)4月、熱田神宮遷宮に奉仕。1893年(明治26年)11月4日神宮権禰宜。1894年(明治27年)1月、皇学館教授。5月23日神宮禰宜。5月皇学館教頭。1895年(明治28年)『神都名勝誌』編纂に携わる。1905年(明治38年)『古事類苑』校閲に従事。1910年(明治43年)神宮皇学館館長。1910年(明治43年)3月11日から1914年(大正3年)8月7日まで神宮少宮司(神宮綜覧。実際は1916年(大正5年)8月6日まで休職)。1914年(大正3年)8月11日多賀大社宮司。1918年(大正7年)7月8日、賀茂別雷神社宮司。1929年(昭和4年)3月5日退職。同年11月13日死去。76歳。著書『祭式摘要』[2]、『富士浅間大神御伝略記』[3]、『定本古語拾遺』[4]、『富士山頂上独案内』[5]、『神典翼補遺』『新撰姓氏録考証補遺』『矢野先生外伝』など。(『神都名家集』[6]ほか) |
8 | 今井清彦 | 1857-1922 | 1914-1922 | 1914年(大正3年)8月7日就任(神宮綜覧)。1922年(大正11年)5月3日退任(神宮便覧)。(略歴は、伏見稲荷大社#組織を参照) |
9 | 熊谷小太郎 | 1864-1944 | 1922-1931 | 岩手県一関出身。熊谷宮門の長男。1864年(元治1年)生。北海道師範学校卒。早稲田専門学校、イギリス法律学校、国民英学会で学び、東本願寺経営積徳教校で教えた。1893年(明治26年)内務省属。1904年(明治37年)神宮禰宜。1922年(大正11年)5月3日心得。8月14日就任。1931年(昭和6年)4月30日退任。1944年(昭和19年)死去。(神宮便覧ほか) |
10 | 菟田茂丸 | 1872-1968 | 1931-1937 | 1931年(昭和6年)4月30日就任。1937年(昭和12年)8月28日退任。(神宮便覧)(略歴は、橿原神宮#組織を参照) |
11 | 慶光院利敬 | 1875-1938 | 1937-1938 | 1937年(昭和12年)8月28日神宮少宮司。1938年(昭和13年)2月17日退任。19日死去。(神宮便覧) |
12 | 古川左京 | 1888-1970 | 1938-1947 | 塩竈神社宮司、鹿児島神宮宮司、住吉大社宮司、日光東照宮宮司。神宮少宮司。1938年(昭和13年)2月28日神宮少宮司(神宮便覧)。1947年(昭和22年)6月27日少宮司退任。 |
13 | 秋岡保治 | 1886-1971 | 1947-1956 | 小石川大神宮名誉宮司。1916年(大正5年)7月7日、砥鹿神社宮司。沼名前神社宮司。鎌倉宮宮司。鶴岡八幡宮宮司。明治神宮権宮司。春日大社宮司。1947年(昭和22年)6月27日少宮司就任。1956年(昭和31年)6月18日、退任。 |
14 | 杉谷房雄 | 1897-1989 | 1956-1959 | 熊本県出身。1897年(明治30年)生。1923年(大正12年)京都府神職養成部卒。1924年(大正13年)波上宮主典。1927年(昭和2年)湊川神社主典。1931年(昭和6年)伊弉諾神社禰宜。賀茂別雷神社禰宜。1937年(昭和12年)11月29日から1942年(昭和17年)3月19日まで常磐神社宮司。1942年(昭和17年)静岡県祭務官。1945年(昭和20年)伊勢神宮禰宜。1956年(昭和31年)6月18日から1959年(昭和34年)6月5日まで神宮少宮司。同年から1986年(昭和61年)5月1日まで二見興玉神社宮司。1977年(昭和52年)神社本庁長老。戦後の波上宮復興に協力。1989年(平成1年)3月12日死去。91歳。 |
15 | 小林巌雄 | 1905-1960 | 1959-1960 | 山形県出身。1905年(明治38年)生。1925年(大正14年)皇典講究所神職養成部卒。同年、明治神宮出仕。1926年(昭和1年)神宮宮掌。1933年(昭和8年)日吉大社禰宜。1934年(昭和9年)鎌倉宮禰宜。1936年(昭和11年)熊野大社宮司。1940年(昭和15年)満洲国総務庁事務官、同年、満洲国祭祀府奉祀官。1942年(昭和17年)内務省神祇院教務官。1945年(昭和20年)神宮禰宜。1959年(昭和34年)6月5日、神宮少宮司。1960年(昭和35年)1月7日、在職で死去。 |
16 | 田中喜芳 | 1894-1984 | 1960-1974 | 1894年(明治27年)11月26日生。1921年(大正10年)10月明治神宮出仕。1923年(大正12年)10月明治神宮主典。1929年(昭和4年)枚聞神社宮司。1933年(昭和8年)5月27日、神宮神部署神部。1938年(昭和13年)神宮禰宜。1946年(昭和21年)明治神宮権宮司。1960年(昭和35年)1月29日神宮少宮司。1974年(昭和49年)5月31日少宮司退任。 |
17 | 慶光院俊 | 1974-1985 | 1974-1985 | 1974年(昭和49年)5月31日、少宮司就任。1985年(昭和60年)10月11日少宮司退任。 |
18 | 幡掛正浩 | 1913-2006 | 1985-1990 | 1913年(大正2年)生。1985年(昭和60年)10月11日少宮司に就任。1990年(平成2年)12月8日、少宮司退任。2006年(平成18年)死去。子息はクボタ社長の幡掛大輔。 |
19 | 酒井逸雄 | 1925-2010 | 1990-2008 | 1925年(大正14年)3月13日生。1946年(昭和21年)神宮皇学館大学卒。1947年(昭和22年)日吉大社権禰宜。同年退職。高校教師を務めた後、1973年(昭和48年)長田神社権禰宜。1975年(昭和50年)長田神社禰宜。1978年(昭和53年)神社本庁参事。神社本庁憲章の制定に関わる。1982年(昭和57年)5月、伊勢神宮教導司。8月伊勢神宮禰宜。1990年(平成2年)12月8日、少宮司。2008年(平成20年)3月末で退任。2010年(平成22年)9月23日死去。 |
20 | 藤岡重孝 | 1935-2021 | 1998-2003 | 1935年(昭和10年)生。1998年(平成10年)4月1日少宮司。2021年(令和3年)死去。 |
21 | 高城治延 | 1942- | 2003-2015 | 1942年(昭和17年)生。国学院大学卒。八坂神社に奉職。1972年(昭和47年)神宮宮掌。1982年(昭和57年)神宮権禰宜。1994年(平成6年)神宮参事。1997年(平成9年)神宮禰宜。2003年(平成15年)5月31日神宮少宮司。2015年(平成27年)少宮司退任。 |
22 | 亀田幸弘 | 1955- | 2015- | 1955年(昭和30年)生。2015年(平成27年)少宮司就任。 |
画像
古典籍
資料
- 『神都名勝誌』[7]
- 1930『伊勢参宮案内』[8]
- 『神宮明治祭式』[9]
- 1941『神宮職員録』[10]
- 1942『神宮職員録』[11]
- 1942『伊勢年鑑』[12]
- 1925『神宮便覧』[13]
- 1928『神宮便覧』[14]
- 1928『神宮要綱』[15]
- 1934『神宮便覧』[16]
- 1940『神宮便覧』[17]
- 1942『神宮便覧』[18]
- 1899『神宮司庁官国幣社神道仏道職員録』[19]
- 『瑞垣』[20]
- 1902『神宮法規』[21]
- 1912『神宮大綱』[22]
- 1915『神宮綜覧』[23]
- 1922『現行神宮法令鋼要』[24]
- 1922『宮中勤務提要』[25]
- 1929『神宮要綱』[26]
- 1929『遷宮要解』[27]
- 1930『神宮式年遷宮写真帖』[28]
- 1931『宮中勤務提要』[29]
- 1932『神宮文庫沿革』[30]
- 1929『神宮年表』[31]
- 1937『神宮傭人勤務心得』[32]
- 1968『神宮・明治百年史上』[33]
神宮教養叢書
- 1954『1伊勢の文学』[34]
- 1955『2伊勢信仰と民俗』[35]
- 1956『3参宮の今昔』[36]
- 1957『4皇室と神宮』[37]
- 1962『6宮川随筆』[38]
- 1965『7神宮祭祀概説』[39]
脚注
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