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伊奈波神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年1月19日 (金)

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伊奈波神社(いなば・じんじゃ)は岐阜県岐阜市伊奈波通り(美濃国厚見郡)にある神社。官社物部神社を合祀していると伝える。美濃国三宮国幣小社別表神社。神宮寺として真言宗満願寺があった。因幡神社因幡大菩薩社因幡権現社伊奈波社伊奈波大明神因幡社因幡宮否間神。(参考:同名神社稲葉神社

目次

祭神

近代の一時期は彦多都彦命が主祭神だった。1939年(昭和14年)に国弊小社に昇格した時の内務省告示第523号では「祭神 五十瓊敷入彦命 一座」とする。『岐阜市史』[1]に祭神についての諸説が詳しく論じられている。

歴史

古代

景行天皇(成務天皇?)14年に、現在地の北東、稲葉山(金華山)西北の椿原(現在の丸山)に鎮祭したのが始まりと伝える。『日本霊異記』に「この郡の部内に大神あり。名を伊奈婆という」とある。845年(承和12年)7月16日、無位から従五位下(続日本紀)、869年(貞観11年)12月5日、正五位上(三代実録)。 880年(元慶4年)11月9日、従四位下(三代実録)。

中世

1261年(弘長1年)正一位となり、1267年(文永4年)「正一位因幡大神」の額を賜ったという。1359年(正平14年/延文4年)、卜部兼前が神社本縁起を著す。1539年(天文8年)斎藤道三が稲葉山に築城するため現在地に遷座。この時、厚見郡岩戸(岩戸岩窟観音の地という)の物部神社を遷座合祀したとされる。『美濃国神名帳』に「正一位伊奈波大神」とある。織田信長支配時代に祭祀が衰微したが、1567年(永禄10年)に復興が行われたという。 1583年(天正11年)岐阜城主織田信孝と豊臣秀吉の戦いで焼失。のち再興。

近世

1680年(延宝8年)修復。 1685年(貞享2年)徳川光友が社殿造営。 1707年(宝永4年)屋根葺き替えの修復。 1748年(寛延1年)屋根葺き替えの修復。 1711年(正徳1年)9月、拝殿焼失。 1731年(享保16年)拝殿再建。

近代

1873年(明治6年)1月、県社兼郷社。 1891年(明治24年)10月28日、濃尾大地震で焼失。 1897年(明治30年)11月22日遷座祭 1933年(昭和8年)5月13日、拝殿や神饌所を再建し、遷座祭。 1939年(昭和14年)11月1日、国弊小社に昇格した(同月2日内務省告示第523号)

境内

  • 本社
  • 右末社:大行事社・右御前社・峰八王子社・金社・大神門社・高山社・品部社
  • 左末社:野宮八幡社・総神社・祖会路神社・児御前神社・大国主神社・楠神社
  • 黒龍神社:祭神は高オカミ神。龍頭岩がある。
  • 和歌三神社:祭神は住吉神・玉津島神・人丸神。
  • 須佐之男神社:祭神は須佐之男神。
  • 天満神社:祭神は菅原道真。
  • 東照宮:祭神は徳川家康。
  • いなば大黒社:祭神は大己貴命。
  • 楓稲荷神社:祭神は宇迦之御魂神。
  • 吉備神社:祭神は吉備津彦命。
  • 秋葉神社:祭神は迦具土神。
  • 金山神社・愛宕神社:祭神は金山大神・迦具土神。
  • 松尾神社:祭神は大山咋神・市杵島姫命。
  • 丸山神社:摂社。祭神は伊奈波大神。伊奈波神社の元宮。1539年(天文8年)まで伊奈波神社はここにあったという。丸山の山頂にあり、元は椿原といったという。烏帽子岩と呼ばれる奇岩がある。1841年(天保12年)、那古野神社別当の天王坊が建議して社殿と鳥居2基を建てた。神仏分離で天王坊が廃絶となると、丸山の地も荒廃した。1875年(明治8年)2月、社殿を修繕した。
  • 峰本宮:摂社。祭神は日葉酢媛命。保食神・八意思兼神・徳川家康も祀るとも。峰権現。元は金華山山頂にあったが、1539年(天文8年)山中に遷座。
  • 神滝
  • 祓所
  • 忠魂碑
  • 遥拝所
  • 満願寺:伊奈波神社の神宮寺。因幡寺吉祥院とも。寛永年間、醍醐寺報恩院から来た一如が再興。現在の水月亭のあたりにあった。神仏分離で廃絶。
  • 岐阜善光寺:1582年(天正10年)、織田信長甲斐善光寺から善光寺如来をここに移した。まもなく甚目寺に遷座した。のち江戸時代に跡地に堂宇を建てた。あるいは沢彦という僧侶が武田信玄に面会して分身像を持ち帰って祀ったともいう。満願寺と安乗院が管理していたが、満願寺が廃絶したので安乗院が継承している。1891年(明治24年)の濃尾大震災で焼失したが、1917年(大正6年)11月に再建して入仏式を行った。ただし1569年(永禄12年)7月19日に山科言継が参詣した記録がある。
  • 橿森神社:主祭神は市隼雄命。
  • 金神社:主祭神は淳熨斗媛命
  • 美濃・県神社:祭神は擁烈根命。

組織

社家は塩谷家だった。塩谷は「えんや」と読む。

神主

  • 塩谷盛満()<>:1640年(寛永17年)、東福門院の祈願にあたり、従六位下、相模守となる。
  • 塩谷延満()<>:1685年(貞享2年)在職。土佐守。
  • 塩谷頼母()<>:1745年(延享2年)在職
  • 塩谷好古()<>:
  • 塩谷則満(1819-1877)<1841-1870>:塩谷好古の子。1841年(天保12年)伊奈波神社神主。従五位下。出雲守。1870年(明治3年)隠退。1877年(明治10年)8月18日死去。59歳。歌人としても知られた。

祠官・社司

  • 塩谷幸満(1857-1932)<>:塩谷則満の子。1870年(明治3年)伊奈波神社権神主。1871年(明治4年)免職となるが、1921年(大正10年)まで断続的に祠官・社司などを務めた。1890年(明治23年)神職有志と共に神祇官復興を建白。濃尾大震災での焼失からの再建を成し遂げた。1932年(昭和7年)1月13日死去。歌人。著書に『天神神社誌』
  • 高木真蔭()<-1873>:1873年(明治6年)3月在職。同年中に南宮大社権宮司。神道岐阜県中教院詰。著書に『神葬私考』[2][3]
  • 速水行道(1822-1896)<1873->:幕末の国学者。郡上藩士。1822年(文政5年)生。佐幕派として会津藩と共に戦う。投降して拘束。1869年(明治2年)に赦免されるが1870年(明治3年)免職。1873年(明治6年)12月、伊奈波神社祠官となるがまもなく岐阜県官吏となり、1876年(明治9年)に辞職。翌年上京。1881年(明治14年)宮内省御系譜掛。1884年(明治17年)図書寮出仕。1896年(明治29年)10月6日死去。著作『皇統正閏考』[4]など。
  • 雲谷任斎(1827-1889)<>:幕末の学者。大垣藩士。富樫広蔭(鬼島広蔭)に国学を学ぶ。わずか22歳で1848年(嘉永1年)大垣藩擬講官。1860年(万延1年)10月、聖廟臨時改築掛となり、1861年(文久1年)9月に竣工。1868年(明治1年)6月、講官、藩議員となり、さらに神祇調方となる。10月、皇学所取立方。1871年(明治4年)3月、上京して神祇官宣教係となる。まもなく帰郷。有志と共に私塾を建て興文社と称す。1873年(明治6年)5月、大垣に巡視に来た神宮教大教正近衛忠房の命で教導職試補となり、ついで伊奈波神社祠官、権中講義となる。数多くの職を兼務し激務のため数年で辞す。1888年(明治21年)神宮教の布教に従事し大講義となるが、1889年(明治22年)8月5日死去。神宮奉斎会(大垣大神宮?)に石碑がある。雲谷弘。(『任斎遺稿』[5]
  • 金光慥爾(1883-1970)<1929->:佐渡国出身。1883年(明治16年)生。1912年(大正1年)国学院大学神職養成部神職教習科を卒業。翌年5月、皇典講究所祭式講師となる。1929年(昭和4年)4月、伊奈波神社社司。愛知国学院祭式科教員を兼務。1933年(昭和8年)11月5日、社司を退任。1934年(昭和9年)4月、国学院大学神道部・神職養成部講師となる。1970年(昭和45年)死去。

宮司

  • 堀田房次郞()<-1940->:
  • 宗宮祐夫(1902-2002)<1946-1954>:(略歴は、日吉大社#組織を参照)
  • 西田福市(1891-1982)<-1971>:京都府出身。1912年(大正1年)、国学院大学神職養成科卒。京城神社社掌、姫路神社社司、伏見稲荷大社祭典課長、松尾大社禰宜、石清水八幡宮権宮司、日吉大社宮司を経て伊奈波神社宮司。1971年(昭和46年)退任。岐阜県神社庁副庁長。1982年(昭和57年)1月4日死去。
  • 宇都宮正(1924-)<1971->:岐阜県出身。1924年(大正13年)生。1945年(昭和20年)国学院大学国史学科卒。1946年(昭和21年)美保神社禰宜。1947年(昭和22年)伊奈波神社禰宜。1966年(昭和41年)伊奈波神社権宮司。1971年(昭和46年)伊奈波神社宮司。岐阜県神社庁庁長。
  • 東道人(1948-)<>:三重県出身。1948年(昭和23年)生。国学院大学文学部神道学科卒。詩人野口雨情を研究。2018年(平成30年)1月31日退任。
  • 上杉千文()<2018-2021>:1975年(昭和50年)五社神社権禰宜。2018年(平成30年)から2021年9月30日まで伊奈波神社宮司。2023年(令和5年)10月23日死去。
  • 可知重彦()<2021->:神明神社宮司。岐阜県神社庁長。2021年10月1日、伊奈波神社宮司。

画像

資料

  • 「美濃国第三宮因幡社本縁起事」
  • 「濃州厚見郡因幡神縁起」
  • 「美濃国因幡大菩薩本縁起之事」
  • 『美濃国式内国史見在神杜明細取調書』
  • 1903『伊奈波神社史附物部神社史』
  • 1941『伊奈波神社略誌』
  • 2006『伊奈波神社 縁起巻物』
  • 『岐阜市史』[6]
  • 『岐阜市史』[7]
  • 『岐阜市史』[8]
  • 『新撰美濃志』[9]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E4%BC%8A%E5%A5%88%E6%B3%A2%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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