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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

最澄旧跡

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年5月27日 (水)

伝教大師から転送)
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最澄(さいちょう)(767-822)は、日本天台宗の開祖。比叡山延暦寺の開山。伝教大師。 忌日法要を六月会山家会という。

目次

略歴

最澄年譜
月日 年齢 事項
767年(神護景雲1年) 8月18日 1 近江国滋賀郡古市郷で誕生。現在の生源寺の地という。8月18日とする典拠は不詳。父は三津百枝。『叡山大師伝』『伝述一心戒文』などの没年からの計算。「度縁」「戒牒」などから計算すると766年(天平神護2年)生となる。
768年(神護景雲2年) 2
769年(神護景雲3年) 3
770年(宝亀1年) 8月 4 称徳天皇崩御)
10月 光仁天皇即位)
771年(宝亀2年) 5
772年(宝亀3年) 6
773年(宝亀4年) 7 村里の小学に入り陰陽・医方・工巧を学ぶ(叡山大師伝)。
774年(宝亀5年) 8
775年(宝亀6年) 9
776年(宝亀7年) 10
777年(宝亀8年) 11
778年(宝亀9年) 12 近江国分寺に入って大国師行表の弟子となり、唯識(法相宗)や禅法を学ぶ(叡山大師伝)。
779年(宝亀10年) 13
780年(宝亀11年) 11月10日 14 国分寺僧として得度し、最澄と名乗る。この時の「度牒」が現存する。
781年(天応1年) 15
4月3日 (光仁天皇譲位。桓武天皇即位)
12月23日 (光仁上皇崩御)
782年(延暦1年) 16
783年(延暦2年) 17
784年(延暦3年) 11月11日 18 長岡京遷都)
桓武天皇、西教寺再建。最澄に命じて読経させるという。
785年(延暦4年) 4月6日 19 東大寺戒壇院で具足戒を受戒。この時の「戒牒」が現存する。
7月 比叡山に登り、神宮禅院の場所に草庵を結ぶ(叡山大師伝)。願文を記す。十二年籠山の起源。
786年(延暦5年) 20
787年(延暦6年) 21
788年(延暦7年) 22 比叡山寺を創建(伝教大師行状)。虚空蔵尾に小堂を建てて薬師如来像を刻んで祭った。根本薬師堂といわれるもので、のちに文殊堂と経蔵を左右に立てて根本中堂となる。
789年(延暦8年) 23
790年(延暦9年) 24
791年(延暦10年) 25
792年(延暦11年) 26
793年(延暦12年) 27
794年(延暦13年) 10月22日 28 平安京遷都)
795年(延暦14年) 29
796年(延暦15年) 30
797年(延暦16年) 31 内供奉十禅師となる。
協力を得て一切経を書写する。
2月 行表、大安寺西唐院で死去。74歳。
798年(延暦17年) 11月 32 比叡山寺に南都学僧を招いて智顗の忌日「霜月会」に法華十講を始修。
円澄が比叡山に登り最澄に師事。
799年(延暦18年) 33
800年(延暦19年) 34
801年(延暦20年) 35
802年(延暦21年) 36 和気広世・和気真綱が主催する高雄山寺の法華会の講師に招かれ、5カ月にわたる講義を行う。
9月 「入唐請益天台法華宗還学生」となる勅許を得る。
803年(延暦22年) 37 遣唐使船に乗るが、難破して引き返す。
804年(延暦23年)(唐・貞元20年) 5月12日 38 訳語僧(通訳)の義真とともに入唐。遣唐使船に乗船。最澄らは第二船に乗船。第一船には空海橘逸勢らもいた。
7月6日 肥前国田浦を出航。船団はばらばらとなる。
9月1日 明州(寧波)に着岸。
9月15日 明州を出発か。天台山に登るため、台州に向かう。
9月26日 台州臨海に到着。長官陸淳に面会。たまたま天台山から台州・龍興寺に来ていた修禅寺座主道邃に天台宗を学び、菩薩戒を受けた。
10月7日 天台山に到着。仏隴寺座主行満に面会。
10月13日 禅林寺〓然から牛頭禅を学ぶ。禅宗相承。
10月14日 行満から法華疏、涅槃疏、釈籤、止観並記など82巻を授かる。
10月20日 行満から天台の法門大意を授かる。
10月25日 行満と共に仏隴道場に赴き見聞を広める。天台宗の旨趣を受け、五時八教を悟る
10月26日 行満から湛然の七条袈裟、短帙法華経、仏隴道場記を授けられた。湛然袈裟は現存。
10月 国清寺惟象から大仏頂大契曼荼羅法を伝授された。密教相承。
11月5日 台州臨海の龍興寺に戻る。引き継ぎ道邃のもとで学ぶ。
11月13日 陸淳の協力を得て天台経典の写経を始める。
12月7日 義真、国清寺で具足戒を受ける(最澄は受けなかったという)。
805年(延暦24年)(唐・貞元21年、永貞元年) 1月23日 39 (皇帝徳宗、崩御。28日、皇帝順宗が即位)
2月1日 『天台法華宗牛頭法門要纂』
2月15日 道邃、付法文を与え、一心三観法を伝え終わる。
2月15日 『唐決集』
2月19日 102部240巻の写経を終える。
2月20日 陸淳、印記を渡す
3月2日 最澄と義真は龍興寺で道邃から円頓大戒を受けた。(のちの大乗戒壇設立の根拠となる)
3月3日 『一心金剛戒体秘訣』
3月21日 道邃、伝菩薩戒和上として付文を与える
3月25日 明州に戻る。
4月6日 明州を出発し越州に向かう。
4月11日 義真と共に越州・龍興寺で順暁(善無畏の三世法孫)に会う。18日、峰山頂道場で三部三摩耶を受、五部灌頂を受けた。翌日、付法文を授与される。『越州録』に記録がある。越州には一月ほど滞在する。
5月5日 明州に帰り、寿州草堂寺大素(太素)から五仏頂法を、江秘から普集壇法・如意輪壇法を、明州開元寺霊光から軍荼利菩薩壇法を伝授された。合わせて雑曼荼羅相承と呼ばれる。
5月13日 『越州録』を記す
5月18日 出港。遣唐使船に乗船。19日とも。
6月5日 帰国。対馬阿礼(対馬市厳原町阿連)到着(日本後紀)。藤原葛野麻呂と共に。在唐わずか8ヵ月にすぎない。
伝説では帰国時に花鶴浜に上陸。独鈷寺を創建したという。この時助けた源四郎に「法理の火」を授け千年家に伝わった。
7月4日 帰朝復命
7月15日 請来した経典仏具を報告
7月 『台州越州将来録』。
8月9日 最澄、殿上で悔過読経。唐の仏像を献上(後紀)。
9月1日 高雄山寺に日本最初の灌頂道場を設けて灌頂伝授(扶桑略記)。石川禅師(光意?)、〓生禅師(円澄?)、道證ら8人。
9月7日 再び灌頂を開く。16日満行。前回の8人のほか、豊安、霊福、泰命らが参加
9月16日 延暦寺十六院の建立の勅許?
9月17日 殿上にて毘盧舎那法。
806年(大同1年) 1月26日 40 天台宗に年分度者二人(止観業・遮那業各一人)が允許。天台宗の公認。
3月17日 (桓武天皇崩御。5月18日、平城天皇即位)
12月23日 最澄、比叡山寺で円澄ら約100人に菩薩戒を授ける。11月とも。
安慧が広智に連れられて比叡山に登り、最澄に師事。
807年(大同2年) 2月 41 法華長講
808年(大同3年) 42 円仁、比叡山寺に入り、最澄に師事。
809年(大同4年) 4月1日 43 平城天皇譲位。嵯峨天皇即位)
8月24日 最澄、空海から密教経典を借用
810年(弘仁1年) 1月14日 44 初の天台宗の年分度者8人。その一人として光定が得度。
金光明経・仁王経・法華経の長講を始修。
5月14日 一乗止観院で下野・大慈寺の広智に三部三摩耶を授ける
伝燈法師位を授与
811年(弘仁2年) 45
812年(弘仁3年) 7月上旬 46 東塔法華三昧堂を造立
5月 泰範を延暦寺総別当兼文書司に任命
9月 興福寺維摩会に出席
10月27日 乙訓寺にいた空海を訪ねて密教の伝授を願う。最澄とは最初は密接な交流があった。そもそも日本に本格的に密教を伝えたのは先に帰国した最澄であり、エリート学僧として認められていた彼が、空海を朝廷に推薦したと言われている。
11月15日 高雄山寺で最初の金剛界結縁灌頂を実施し、最澄や和気真綱・和気仲世・美濃種人が受けた。
12月10日 最澄、194人に胎蔵界結縁灌頂。泰範参加。
813年(弘仁4年) 1月18日 47 1月から3月にかけて、最澄は自分の弟子の、泰範(778-?)、円澄、光定を空海に付して密教を学ばせる。
3月6日 高雄山寺で金剛界灌頂を行い、泰範、円澄、光定が入壇。
11月23日 最澄が『理趣釈経』の借用を依頼するが空海は拒絶。
『依憑天台義集』成立。南都の反発をかう
814年(弘仁5年) 1月14日 48 嵯峨天皇が最澄を召し、諸宗の僧侶と論義。御斎会の最終日。
九州下向。竈門山寺で入唐渡海の無事を謝す。大宰府観世音寺近くに安西宝塔を建立か。
3月 宇佐神宮寺香春神宮寺で『法華経』を講ず。香春神社安南宝塔を建立か。
815年(弘仁6年) 8月 49 和気氏の招きにより大安寺塔中院で天台を講ず。
816年(弘仁7年) 5月 50 空海のもとで学んでいた弟子泰範が空海に帰依。最澄と空海がさらに疎遠になる。
817年(弘仁8年) 2月 51 『照権実鏡』を著す。
関東巡教。上野国緑野郡の緑野寺安東宝塔を、下野国芳賀郡の下野・大慈寺安北宝塔を建立。815年(弘仁6年)とも。
美濃・信濃の国境の神坂峠に布施屋として広済院広拯院を設けた。
「三一権実諍論」始まる(821年(弘仁12年)まで続く)
円澄に天台宗の奥旨を授ける。
818年(弘仁9年) 3月 52 小乗二百五十戒の棄捨を宣言。大乗戒壇の設立を宣言。南都僧侶との対立が決定的となる。
5月 大乗戒を授ける。
12年間の山修山学を課する「六条式」(天台法華宗年分学生式)を定めた。
『六所宝塔願文』
8月 「八条式」(勧奨天台宗年分学生式)
『守護国界章』を記す。九院十六院の構想を表す。
819年(弘仁10年) 3月15日 53 大乗戒の独立を訴えた(叡山大師伝)。「四条式」(天台法華宗年分度者回小向大式)を記す。
5月 南都が反論
820年(弘仁11年) 2月 54 反論に答える顕戒論。『内証仏法相承血脈譜』を記す。
9月 延暦寺相輪塔を建立(安中宝塔か)。
821年(弘仁12年) 55 『法華秀句』著す。徳一への論争書。
比叡山に安総宝塔を建立。
822年(弘仁13年) 2月14日 嵯峨天皇、伝燈大法師位に補任。
4月 病に伏せる
4月19日 円仁に一心三観の妙義を付す
5月15日 宗派のことを義真に託す
6月4日 56 延暦寺中道院で死去。6月11日、大乗戒壇設立の勅許。


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入唐前

入唐

帰国後

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