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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。東京都の放送局や伊賀でも同様なのか。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

佐渡・勝興寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2015年2月20日 (金)

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勝興寺
しょうこうじ
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善空房信念の墓(法名院塚・西三川陵墓参考地)

概要 佐渡における浄土真宗初期寺院。順徳天皇御願寺。一説には順徳天皇陵の護持寺院。伏木勝興寺に合併。
奉斎 不詳
所在地 (新潟県佐渡市)
所在地(旧国郡) 佐渡国羽茂郡
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概要

佐渡における浄土真宗初期寺院。順徳天皇御願寺。一説には順徳天皇陵の護持寺院[1]。親鸞が創建し、皇子の善空房信念が1世となったとされる。伏木勝興寺に合併廃絶。 (参考 同名寺院勝興寺

伏木勝興寺に伝わる「雲龍山勝興寺系譜」によると次のように起源が語られている。順徳天皇が佐渡に流されたとき、親鸞は関東から越後に赴いていた。 天皇は、佐渡から勅使を越後に遣わしたびたび出離生死の要路のことを聴いたという。親鸞は正全房を使わして法門を説いた。ついに順徳天皇は寺院建立の発願し、親鸞はこれに応じて創建。天皇は喜んで「殊勝誓願興行寺」と名付け、勅願所とし、ときどき行幸したという。1225年(嘉禄1年)のことという。

また善空房信念については次のようにある。順徳天皇第3皇子彦成王は、1225年(嘉禄1年)比叡山で出家し成尊と称した。のち、関東に赴き親鸞の弟子となり、善空房信念と名乗った。1242年(仁治3年)、順徳天皇が崩御したのを契機に、親鸞の命により、佐渡に行き、勝興寺を継承した。信念は1286年(弘安9年)に死去したという。

創建当時は、雑太郡竹田村の夏渡(現・佐渡市竹田合沢)にあったが、のち信念の墓とともに、羽茂郡砂金山笹川に移転したという。

戦乱で荒廃し、1471年(文明3年)、あるいは1517年(永正14年)に越中に寺号を移したという(伏木勝興寺)。


信念の墓(法名院塚)は残り、1894年(明治27年)に伏木勝興寺に寄附されたが、1898年(明治31年)に「御陵墓伝説地」として政府に買い取られ、現在、「西三川陵墓参考地」となっている。


信念の守り本尊を祭った阿弥陀堂が現存するともいうが、笹川地区にある阿弥陀堂がそれであろうか。

島内の小木照覚寺(正覚寺)にも、勝興寺の後身という縁起が伝わる(「正覚寺縁起」)

参考文献

  • 高木秋生「戦国大名が注目した一向宗の拠点勝興寺」
  • 中村義隆「西三川砂金山、笹川十八枚村を訪ねて」[1]
  • 『越佐史料』

脚注

  1. 高木秋生による。
http://shinden.boo.jp/wiki/%E4%BD%90%E6%B8%A1%E3%83%BB%E5%8B%9D%E8%88%88%E5%AF%BA」より作成

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