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信濃・浄興寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2021年12月30日 (木)
浄興寺は信濃国水内郡長沼城下(長野県長野市津野周辺)にあった浄土真宗寺院。親鸞ゆかりの稲田の草庵(茨城県笠間市)の後身で、中世の信濃国北部の真宗の拠点だった。長沼浄興寺。明確な跡地は不明だが1908『上水内郡誌』[1]に「一説に現今の津野区正覚寺境内なりと云ふ説あれども確然たらず」とあり、長野市津野の真宗大谷派正覚寺の地にあったという説もある。新潟県上越市高田に移転して現存する(高田浄興寺)。
1267年(文永4年)、寺領のあった信濃国水内郡長沼(長野県長野市長沼)に移転。 1561年(永禄4年)川中島合戦の兵火で焼失。この時、13世周円が焼死した。水内郡小市村(長野県長野市安茂里小市)に逃れて中坊と称した(高田市史)。 領主となった上杉謙信の寄進で信濃別府(長野県東御市滋野別府)で再建。1567年(永禄10年)(天正年間とも)、上杉景勝に招かれ、越後国の春日山城下町(新潟県上越市中屋敷春日山)に移転。のち高田の現在地に移った。