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元慶寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年12月17日 (日)
元慶寺(がんけいじ)は、京都府京都市山科区にある、薬師信仰の天台宗寺院。官寺二十五大寺の一つで、定額寺でもある。元号寺。陽成天皇御願寺。花山天皇が出家した旧跡で、西国三十三所観音霊場番外。花山寺(かざんじ)。山号は華頂山。
歴史
- 869年(貞観11年):伽藍を建立(元亨釈書)。三代実録(877年(元慶1年)12月9日条)によると、868年(貞観10年)の陽成天皇の誕生時、遍昭が発願し、藤原高子が創建。
- 877年(元慶1年)12月9日:遍昭の請願で、詔によって元慶寺を定額寺となす。年分度僧3人を置く。(三代実録)
- 878年(元慶2年)2月7日:別当・三綱を置く(三代実録)。
- 879年(元慶3年):山城国公田5町を施入。
- 884年(元慶8年)9月:伝法阿闍梨を置き、惟首と安然を任じる。
- 884年(元慶8年):雲林院を元慶寺の別院とする。
- 885年(仁和1年):遍昭、元慶寺座主となる。
- 885年(仁和1年):元慶寺の階業僧1人を毎年、欠員のある諸国講読師に任命する特例を開く。
- 885年(仁和1年):近江国高島郡の荒廃田153町3段を施入
- 887年(仁和3年):最円を伝法阿闍梨に補す。
- 887年(仁和3年):維摩会聴衆に毎年、元慶寺僧侶1人を当てることとする。
- 890年(寛平2年)1月19日:遍昭死去。
- 892年(寛平4年)7月:「花山元慶寺式」制定(類聚三代格)。
- 924年(延長2年):『延喜式』主税寮上に山城国官稲1000束を元慶寺料と定める。
- 949年(天暦3年)9月:焼失(扶桑略記)
- 957年(天徳1年)3月8日:伽藍焼失(九暦)
- 1013年(長和2年)12月22日:藤原道長、元慶寺と慈徳寺(元慶寺に隣接)の寺地を定めた(御堂関白記)。
- 1113年(永久1年)1月20日:元慶寺と慈徳寺の別当を定める(殿暦)
- 986年(寛和2年)6月22日:花山天皇、藤原兼家らの謀略で元慶寺で出家。(扶桑略記)
- 1467年(応仁1年)頃:応仁の乱で焼失。
- 1658年(万治1年):愚堂東寔、慈徳寺の跡地に華山寺を創建。
- 安永年間(1772-1781):妙法院宮堯恭法親王の発願で妙厳が復興
- 1789年(寛政1年)12月23日:「元慶寺再興碑」建立
組織
住職
座主あるいは別当。
- 遍昭(816-890)<>:桓武天皇の孫。
- 安然(841-?)<>:
- 源賢(977-1020)<>:源満仲の子。1012年(長和1年)元慶寺別当。
- 院源(?-1028)<>:法性寺、崇福寺、元慶寺を兼務。
- 長宴(1016-1081)<>:1067年(治暦3年)、元慶寺別当。
- 妙厳
- 亮雄