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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

北海道・伊達神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年7月29日 (月)

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伊達神社(だて・じんじゃ)は北海道伊達市末永町にある鹿島信仰の神社。祭神は武甕槌命経津主命・幸御魂命・伊達邦成命・田村顕允命。郷社。伊達家霊社であり、領主奉斎神社ともいえる。旧称は鹿島国足神社。(参考:同名神社伊達神社

歴史

1869年(明治2年)、亘理伊達家の伊達邦成(1841-1904)が明治政府から北海道有珠郡の開拓を命じられた。1873年(明治6年)開拓地の鎮守として幌美内に亘理の鹿島天足和気神社の分霊を祀った。1876年(明治9年)、大規模な遷座大祭を執行。祭主を伊達邦成、副祭主を家老田村顕允(1832-1913)が務めた。鹿島国足神社と称し、郷社となった。1908年(明治41年)、市街地となった鹿島町に遷座。1935年(昭和10年)9月、伊達邦成と田村顕允を合祀した。1973年(昭和48年)、現在地に遷座。翌年、伊達神社と改称した。(日本歴史地名大系)

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