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天満信仰

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年2月18日 (日)

北野天満大自在天神から転送)
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天満信仰

目次

概要

天満天神(てんまんてんじん)は、神格化された菅原道真御霊信仰の代表とされる。学芸の神。後世、現人神と呼ばれた(『大鏡』)。本地仏は十一面観音菩薩天満大自在天神大威徳天神日本太政威徳天火雷天神天満宮天神。忌日祭を梅花祭という。

由緒

歴史

信仰

天満信仰のパンテオン

菅原道真

画像

画像のモチーフとしては、束帯天神綱敷天神影向天神渡唐天神がある。束帯天神像は、文字通り束帯を着用した姿を描いた像である。座像が多いが、立っているものも少なくない。北野天満宮の御神体とされる画像「根本御影」も束帯像という。束帯像などの通常の天神像は畳の上に座っているが、綱をトグロ状に巻いた上に座っているものを綱敷天神と呼ぶ。これは道真が左遷される途中、船の上(あるいは休泊地)にて敷物がなかったため、代わりに船の綱を巻いて敷物代わりにしたという説話に基づくもの。左遷の屈辱からか怒りに満ちた表情をしているのが特徴である。いくつかある綱敷天神社の由来はこれによる。また雲の上に乗った束帯天神像があり、これを影向天神という。これは鎌倉の荏柄天神社の縁起に基づく画像であり、関東に数例みられるという。渡唐天神は中国風の装束を着た天神像である(後述の項目を参照)。

彫像

画像に比べて彫像は少ない。御自作天満宮長岡天満宮堺菅原神社などは道真自作の天神像をご神体としているとされる。江戸時代には土人形として伏見人形の一つとして天神人形が作られ、人気を呼び、全国に生産されるようになって普及した。道真の子孫を称する前田家が治めた加賀などでは天神人形を飾る風習がある。

渡唐天神

渡唐天神(ととう てんじん)とは禅宗における天満信仰の一種で、道真が宋に渡り、参禅し会得した伝説に基づく信仰である。中国風の装束を着て袈裟袋を下げ梅の枝を持つ道真を描く。これは室町時代に始まったと言われている。

伝説によると、1241年(仁治2年)、東福寺開山の円爾弁円が宋より帰国して太宰府崇福寺(現在は博多に移転)に住していたとき、夢に道真が出現し、禅を学びたいと言った。そこで弁円は自分の師である径山万寿寺の無準師範を推薦したところ、道真は宋に渡り、師範に禅を学び会得し、法衣を得た。そして帰国して再び弁円の前に現れて報告したという。のち、弁円の弟子の鉄牛円心の前に現れて、宋にて授けられた法衣を納めるように託宣した。そのため、鉄牛円心は伝衣塔を建てて法衣を納め、一寺を建てた。これが太宰府天満宮そばの太宰府・光明寺であるという。この話の初出は1394年(応永1年)の『両聖記』という。

禅宗の間で渡唐天神が信仰された要因としては、教養を重んじる五山派の禅僧が、和漢の学問に通じる道真を崇敬したことや、貴族武家の信仰を集め、各地に広がっている天満信仰を利用して禅宗を広めようとしたことが考えられる。 渡唐天神像は、ほとんどは画像であるが、まれに彫像もある。腰から下げている袈裟袋は無準師範から授けられた法衣が入れられているという。現存最古の例は1417年(応永24年)の惟肖得巖賛の渡唐天神像だという[1]

光明寺の無準堂には渡唐天神座像が祀られている。また北野天満宮連歌所には渡唐天神が祀られていたが、現在、末社一之保神社に合祀され奇御魂神社となっている。

観音菩薩

天満宮の本地仏は十一面観音とされる(『神道集』など)。 村山修一によると、本地仏が観音菩薩とされたのは、道真自身が観音信仰を持っていたことによるという。『菅家後集』に収める漢詩に「病が衰老を追い、ただ観音を念ずるのみ」と詠じている。道真の観音信仰は、母親の信仰を受け継いだものとされる。吉祥院で営まれた法華会願文の中で「幼少のとき母が自分の病気平癒のために観音像造立を発願した結果霊験があったとして、願を果たすように遺言された」と述べており、母の遺言によって観音信仰を受け継いだものと分かる。また北野天満宮創建に関わった最鎮が観音信仰の信者だったとも指摘されている。

道真作とされる十一面観音像が各地にあり、北野天満宮の神宮寺だった東向観音寺などに祀られている。また北野別当だった曼殊院には本地仏の像が現在もあるという(「京都寺社案内」)。長谷寺と道真をつなげる説話も生まれている。

火雷天神

延長8年(930)の清涼殿落雷事件以来、道真は雷神、火雷天神として信仰されるようになった。天満宮以前から北野では火雷天神が信仰されていたとも言われる。その姿は『北野天神縁起』によると「赤身の裸身に褌をはき、領巾をまとい、背には連太鼓を負う」という。また『古今著聞集』では上半身は雷公に似ており、下半身は鮭のようだと記されている。しかしながら、天満信仰の進展とともに、雷を落としたりするのは道真自身の霊ではなく、眷属の仕業とされるようになった。道真自身はそのような業には直接関わらないものだとすることで高位の神に引き上げられたと考えられている。(『菅原道真事典』参照)

太政威徳天

『道賢上人冥途記』に登場する菅原道真が転生した神格。忉(とう)利天からこのように呼ばれているという。吉野金峰山で修行していた道賢は金峰山浄土に至り、そこに太政威徳天が金剛力士や雷神、鬼王、夜叉神など16万8千もの眷属を引き連れて出現。居城に連れて行き、道真の生まれ変わりであることを告げた。太政威徳天は道賢に語る。自分は一切の疾病と災難を司る神であり、生前の怨みにより日本を滅ぼそうとしたが、日本には普賢菩薩、龍猛菩薩がおり、密教が流布し、菩薩が神として現れているため巨害をなさないのだと。しかし、眷属が各地で災害を起こし、その1柱「火雷天毒気王」が清涼殿に雷を落としたという。日本の神祇もそれを止めることができず、蔵王菩薩と石清水八幡宮と満徳天(宇多天皇の転生)がそれ以上の厄災を防いでいるという。『日蔵夢記』では満徳天が道賢に嵯峨大沢池に寺院を建立し、満徳天と日本太政天の像を祀り、「日本太政威徳天寺」と号するように命じている。 威徳天という名称は忉利天三十三天の中に威徳輪天、威徳顔天、威徳炎輪光天という神が見えることからこれらに匹敵する神として位置づけられたものと思われる。あるいは大威徳明王との関連も考えられる。大威徳明王は牛に乗った姿で表される。太政威徳天の説話にちなんだ威徳天満宮が吉野金峰山にある。 (『菅原道真事典』参照)

大自在天

大自在天はインドのシヴァ神で、三千世界の主。牛に乗った姿で描かれる。

菅原道真は「天満大自在天神」と呼ばれた。

道真の親族

  • 天穂日命菅原氏土師氏)の祖先神。北野天満宮の御后三柱や防府天満宮に祀られている。太宰府天満宮では天穂日命社に祀られている。
  • 野見宿祢:菅原氏の祖先神。土師氏の祖。防府天満宮や上宮天満宮に祀られている。北野天満宮の野見宿祢神社、太宰府天満宮の野見宿祢社に祀られている。


  • 菅原清公:道真の祖父。北野天満宮の御后三柱に祀られている。京都府京都市南区に墓所がある。
  • 菅原是善:道真の父。北野天満宮の御后三柱、太宰府天満宮の老松社(?)、北菅大臣神社菅原院天満宮相殿に祀られている。京都府京都市南区の香泉寺に墓所がある。
  • 伴氏:道真の母。大伴氏の出身。北野天満宮の伴氏社、太宰府天満宮の老松社(?)に祀られている。
  • 島田宣来子:道真の正室。吉祥女とも呼ばれる。北野天満宮相殿や太宰府天満宮楓社に祀られている。
  • 靏寿尼(鶴寿尼):道真の伯母。太宰府天満宮の靏寿尼社に祀られている。道明寺天満宮の由緒に出てくる覚寿尼と同一か。覚寿尼は道明寺天満宮に祀られている。


  • 菅原高視:道真の長男。中将殿とも呼ばれる。潮江天満宮を創建。北野天満宮相殿や太宰府天満宮御子社、潮江天満宮に祀られている。潮江天満宮の近くに菅原高視墓がある。
  • 菅原景行:道真の息子。太宰府天満宮御子社に祀られている。
  • 菅原兼茂:道真の息子。太宰府天満宮御子社に祀られている。
  • 菅原淳茂:道真の息子。太宰府天満宮御子社に祀られている。曽根天満宮に菅原公達として祀られている。
  • 菅原衍子:道真の娘。宇多天皇女御。北野天満宮の安麻神社の祭神という説もある。


  • 女子:道真の娘。斎世親王の室。北野天満宮の安麻神社に祀られている。
  • 斎世親王(真寂法親王):道真の娘婿。寧子の夫。宇多天皇皇子。道真が斎世親王を皇位につけようとしていると讒言された。北野天満宮の地主神社の相殿に祀られている。
  • 源英明:道真の外孫。斎世親王と寧子の子。北野天満宮の地主神社の相殿に祀られている。


  • 菅原輔正:道真の4世孫。参議を務めたため、北野宰相殿と呼ばれる。北野天満宮の宰相殿社や太宰府天満宮の宰相和泉社に祀られている。
  • 菅原定義:道真の6世孫。和泉守を務めた。公卿各家の祖。霊光殿天満宮を創建。北野天満宮の和泉殿社、太宰府天満宮の宰相和泉社、霊光殿天満宮の老松神社に祀られている。
  • 菅原在良:道真の7世孫。定義の子。唐橋家の祖。死後に従三位を贈られたため、北野三位殿と呼ばれる。歌人、詩人。北野天満宮の三位殿社に祀られている。
  • 菅原信清:松森天満宮の第2代神主。菅原信清命社祭神。

家臣など

  • 度会春彦(松木春彦):伊勢神宮神職で、道真の太宰府左遷に随行し、最期をみとったとされ、白太夫と呼ばれる。北野天満宮の白太夫社、太宰府天満宮の太夫社をはじめ、全国の天満宮の境内社に祀られることが多い。白太夫信仰を参照。
  • 島田忠臣:島田忠臣は道真の妻の宣来子の父である。北野天満宮などの老松社に祀られる(太宰府天満宮の老松社は違う?福部社に祀る?)。田達音は島田忠臣の唐名で、田口達音はその誤伝ともいう。
  • 味酒安行:味酒安行(うまさけやすゆき)は道真の門弟で、安楽寺(太宰府天満宮)の創設者とされる。太宰府天満宮境外に安行神社がある。
  • 尊意:尊意は天台宗の僧侶。天台座主。亀戸天神社の社伝によると、道真の教学上の師匠だったという。尊意が道真の怨霊を鎮めたとも伝わり、比叡山の登天天満宮や水火天満宮などゆかりの天満宮がある。北野天満宮に伝わっていた仏舎利(現在は常照皇寺にある)は尊意が道真に与えたものとされる。そのほか、伝説的な伝記が多い人物。太宰府天満宮境内の尊意社や亀戸天神社境内の御嶽神社に祀られている。卯の日の卯の刻に亡くなったため、卯の日が縁日とされるという。
  • 十川能福は道真の牛車の牛の世話係だったとされる。北野天満宮などの福部社に祀られている(太宰府天満宮の福部社は違うらしい。)。
  • 若松章基は北野天満宮の若松社に祀られている。
  • 富部左衛門は防府天満宮の若松社に祀られている。
  • 浄妙尼は大宰府にて道真の生活の世話をした老婆という。太宰府天満宮の浄妙尼社に祀られている。
  • 寛算(寛筭・桓算)は安楽寺(太宰府天満宮)の僧侶という。怨霊として祟りをなして恐れられた。歯痛の神となる。北野天満宮の寛算社に祀られている。
  • 大門内供奉:太宰府近郊の武蔵寺の僧侶という。道真が雷神となったとき、すぐに眷属になったという。北野天満宮の大門社に祀られている。

その他の神々

  • 神牛:神牛は、道真の遺骸を乗せた車を引いたことから、眷属とされる。また道真は丑年生まれである。丑の日に元服した道真は牛が角を痛めて死ぬ夢を見たことから、自分で牛の絵を描いて酒を供えて祭ったという逸話がある。北山でキノコ狩りの宴のときに子牛が道真に近寄り敬うような素振りをしたから館に連れて帰り、またその子牛が左遷の道筋で藤原時平の刺客に襲われたときに助けたという話もある。太宰府天満宮が建てられた延喜5年(905)も丑年である。大自在天や、太政威徳天の元になったと思われる大威徳明王が牛と関係あることも関連していると思われる。さらに中国から伝来した殺牛祭祀との関連も指摘されているが、村山修一は北野天満宮は殺生を受け付けない神だからとこれを否定している(『天神御霊信仰』104頁)。北野天満宮の牛社などに祀られている。
  • 飛梅:飛梅(とびうめ)は京都の道真邸から道真のいる大宰府まで一夜で飛んできたとされる。『北野天神縁起絵巻』などに描かれる。『源平盛衰記』に源順が詠んだ「梅は飛び桜は枯れぬ菅原や深くぞたのむ神の誓いを」という歌があり、これが事実とすると10世紀には飛梅伝説が定着していたと考えられている(『天神御霊信仰』)。梅の木に神秘性を求めるのは中国的な発想に基づくものであり、文人たちの趣味が反映されているとも考えられている。飛梅の霊は飛梅天満宮(新日吉神宮境内社)や亀戸天神社の紅梅殿など、いくつかの天満宮で祀られている。
  • 一夜千松:一夜千松の霊は、北野の地に天神の託宣によって一夜で生えた松の神霊。北野天満宮の一夜松社に祀られている。

以上のほか、北野天満宮の境内社には、御霊信仰において神となった人物が祀られている。

儀礼

鷽替え神事

鷽替え神事は、簡素な木彫りの鷽(うそ)の人形を持って集まった大勢でお互いに交換するという行事である。全国の天満宮で行われている。俗説では凶事を嘘にして、吉事と交換するだとか、話した嘘を真実に交換するとか言われている。あるいは鷽という字が學という字に似ているからそれにあやかるともいう。その起源は明らかでないが、菅原道真が蜂の大群に襲われたときに鷽が現れて蜂を食べて救ったとか、天満宮造営の際の木材が虫食いにあっているときに鷽が現れて虫を食って退治したとかいう説話が伝わっている。

連歌

連歌(れんが)とは和歌から派生した歌の一種で、五七五の句と七七の句を即興で数人で交互に数十句続けて詠んでいく芸能である。 和歌の神とされた菅原道真は連歌の神ともされた。連歌を行う際には菅原道真の軸が掛けられ、祭祀をしてから行われたという。神仏に奉納する目的の法楽連歌も好んで行われた。そのこともあって天神講として連歌の組合が結成され、連歌所が各地の神社、特に天満宮のなかに設置された。北野天満宮はもちろん、大阪天満宮、堺菅原神社、佐田天満宮などにあったという[2]。現在は連歌所はほとんど現存しておらず、天満宮ではないが杭全神社の連歌所が代表的である[3]。天満宮を祀っていた連歌所としては、厳島神社天神社や、奈良の染田天神講連歌堂(染田春日神社内)が有名である。

美術・工芸・文芸

縁起絵巻として『北野天神縁起絵巻』がある。人形浄瑠璃や歌舞伎の演目として『菅原伝授手習鑑』が知られる。

系譜


道真を祭神としない信仰系譜として五条天神信仰敷地天神信仰がある。

主要天満宮

官社・府県社


名称 所在地 コメント 社格など
官幣中社 北野天満宮 京都府京都市上京区馬喰町 天満宮の総本社。 二十二社朱印地拝領神社官幣中社別表神社
官幣中社 太宰府天満宮 福岡県太宰府市太宰府4-7-1 天満宮の総本社。菅原道真の墓所の上にあるという。 朱印地拝領神社官幣中社別表神社
府社 大阪天満宮 大阪府大阪市北区天神橋2-1-8 1872年(明治5年)11月、府社列格。 府社別表神社
県社 矢奈比売神社(見付天神社) 静岡県磐田市見付1114-2 1872年(明治5年)6月、県社列格。通称「見付天神」 式内社県社
県社 三芳野神社 埼玉県川越市郭町 1873年(明治6年)1月、県社列格。列格。「とうりゃんせ」の舞台。城鎮守。 県社
県社 潮江天満宮 高知県高知市天神町19-20 1873年(明治6年)3月、県社列格。親族創建。 県社別表神社
県社 防府天満宮 山口県防府市松崎町14-1 1873年(明治6年)4月、県社列格。左遷旧跡。 県社別表神社
府社 亀戸天神社 東京都江東区亀戸3-6-1 1873年(明治6年)6月、府社列格。太宰府神職が創建。近世。 准勅祭社府社
県社 英賀神社 兵庫県姫路市飾磨区英賀宮町2-70 1874年(明治7年)2月、県社列格。現在は「英賀津彦神」が主祭神? 国史見在社県社
県社 滝宮天満宮 香川県綾歌郡綾川町滝宮1321-2 1876年(明治9年)2月、県社列格。旧跡。讃岐国司官舎跡とされる。 県社
県社 於保多神社 富山県富山市於保多町1-32 1876年(明治9年)4月、県社列格。前田家創建。 県社
県社 天満神社 山形県新庄市堀端6-86 1879年(明治12年)8月、県社列格。城鎮守。「新庄まつり」が行われている。 県社
県社 東雲神社 愛媛県松山市丸之内73-1 1880年(明治13年)2月、県社列格。菅原氏後裔の松山藩主・久松松平家が祭祀。 県社
県社 菅原神社(上野天神宮三重県伊賀市上野東町2929 1880年(明治13年)7月、県社列格。城鎮守。 県社
県社 椿原天満宮 石川県金沢市天神町1-1-13 1881年(明治14年)9月、県社列格。城鎮守。金沢五社の筆頭。 県社
県社 曽根天満宮 兵庫県高砂市曽根町2286 1882年(明治15年)8月、県社列格。左遷旧跡。 県社
県社 松森天満宮 長崎県長崎市上西山町 1883年(明治16年)、県社列格。 県社
県社 江沼神社 石川県加賀市大聖寺八間道55 1883年(明治16年)6月、県社列格。菅原氏後裔の前田家が創建。 県社
府社 谷保天満宮 東京都国立市谷保5209 1885年(明治18年)11月、県社列格(のち府社)。親族創建。 府社
府社 湯島天満宮 東京都文京区湯島3-30-1 1885年(明治18年)9月、府社列格。 府社別表神社
県社 河上神社天満宮 兵庫県洲本市五色町鮎原南谷562 1894年(明治27年)6月、県社列格。左遷旧跡。 式内社県社
県社 久留米天満神社 福岡県久留米市北野町中3267 1895年(明治28年)12月、県社列格。左遷旧跡。 県社
県社 水田天満宮 福岡県筑後市大字水田56 1895年(明治28年)12月、県社列格。菅原為長が創建。太宰府荘園。 県社
県社 伊予・綱敷天満神社 愛媛県今治市桜井6-2-1 1898年(明治31年)9月、県社列格。左遷旧跡。 県社
県社 志雄菅原神社 石川県羽咋郡宝達志水町菅原 1901年(明治34年)3月、県社列格。荘園。前田利家もまつる 県社
府社 菅大臣神社 京都府京都市下京区仏光寺通新町西入菅大臣町 1901年(明治34年)3月、県社列格。邸宅跡。生誕地とも。飛梅伝説地。 府社
県社 物部天神社 埼玉県所沢市北野703 1901年(明治34年)3月、県社列格。武蔵国造物部氏。 式内社県社
府社 生身天満宮 京都府南丹市園部町美園町1号67 1919年(大正8年)12月、府社列格。旧跡。菅原道真生祠とされ、「日本最古の天満宮」を称す。 府社
県社 綱敷天満宮 福岡県築上郡築上町大字高塚794-2 1921年(大正10年)10月、県社列格。左遷旧跡。 県社
府社 長岡天満宮 京都府長岡京市天神2-15-13 1923年(大正12年)7月、府社列格。左遷旧跡。 府社
県社 加納天満宮 岐阜県岐阜市加納天神町4-1 1924年(大正13年)9月、県社列格。城鎮守。 県社
県社 菅田天神社 山梨県甲州市塩山上於曽1054 1928年(昭和3年)10月、県社列格。武田氏守護神。 県社
県社 三田天満神社 兵庫県三田市天神3-34-5 1928年(昭和3年)11月、県社列格。 県社
県社 桐生天満宮 群馬県桐生市天神町1-3-4 1928年(昭和3年)4月、県社列格。磯部明神。 県社
県社 深志神社 長野県松本市深志3-7-43 1928年(昭和3年)6月、県社列格。 県社別表神社
県社 前橋東照宮 群馬県前橋市大手町3-13-19 1929年(昭和4年)4月、県社列格。酒井氏が祭祀 県社
県社 鶴岡天満宮 山形県鶴岡市神明町3-40 1932年(昭和7年)8月、県社列格。城鎮守。 県社
県社 小松天満宮 石川県小松市天神町1 1935年(昭和10年)10月、県社列格。加賀藩前田利常が祖神をまつる 県社
県社 朝日森天満宮 栃木県佐野市天神町807 1939年(昭和14年)3月、県社列格。城鎮守。 県社
県社 清里菅原神社 新潟県上越市清里区菅原108 1943年(昭和18年)8月、県社列格。式内社。 式内社県社
県社 沼田榛名神社 群馬県沼田市榛名町2851 1928年(昭和3年)10月、県社列格。主祭神の薄根大明神が天神とされる 県社
県社 高岡関野神社 富山県高岡市末広町9-56 1879年(明治12年)11月県社。のち菅原道真を合祀か。 県社
府社 上御霊神社 京都府京都市上京区上御霊前通烏丸東入上御霊竪町495 1881年(明治14年)6月、県社列格。 府社
府社 下御霊神社 京都府京都市上京区新烏丸通丸太町下る信富町 1881年(明治14年)6月、県社列格。 府社
  • 『神道史大辞典』府県社一覧に基づき、抽出したものである。府県社列格年は同資料に基づく。
  • このほか、『神道史大辞典』府県社一覧によると以下の府県社に菅原道真が祀られているが、いずれも主要な祭神ではないと思われるので省略する。韮山皇大神社・伊勢崎神社・泉井上神社・諾神社・鳥取長田神社・鎮国守国神社・札幌三吉神社・与賀神社・生品神社・護国八幡宮・新潟白山神社・安江八幡宮・阿陀岡神社・宇流富志弥神社・真野宮・妙義神社・岩隈八幡宮・寒田神社・根津神社・坂城神社・春日山神社・御津賀茂神社
  • 高岡関野神社は『神道史大辞典』府県社一覧には載っていないが追加したものである。

その他

寺院鎮守の天満宮

組織

菅原六家

  • 高辻家
  • 五条家 相撲を司る
  • 唐橋家
  • 東坊城家
  • 清岡家
  • 桑原家

年表

  • 903年2月25日:菅原道真、大宰府で死去。
  • 904年:藤原氏が「雷公」を「北野」に祀った(醍醐天皇御記逸文)。具体的なことは不明だが北野天満宮の起源との関わりが指摘される。
  • 905年8月19日:味酒安行が墓所に神殿を造営。太宰府天満宮の起源。(菅家御伝記)
  • 909年:藤原時平、39歳で病死
  • 915年頃:味酒安行が安楽寺を創建。あわせて天満宮社殿を造営か。
  • 923年3月21日:皇太子保明親王が21歳で急死。同年4月20日、道真を右大臣に復して正二位を追贈し左遷の宣命を焼却する。日本紀略など。
  • 930年6月26日:清涼殿に落雷。
  • 942年7月13日:多治比文子に菅原道真の託宣。北野天満宮の起源。
  • 947年:神良種の子の太郎丸に託宣。北野右近馬場に建てよ。
  • 947年6月9日:北野天満宮創建。
  • 947年:菅原氏の平忠、初代安楽寺別当となる。
  • この頃:道賢が地獄を巡り帰還する。
  • 959年2月25日:藤原師輔、北野天満宮を造営。
  • 959年:安楽寺別当は菅原氏長者による任命から、太政官による任命となり、国家的な地位を得る。
  • 981年:菅原輔正が太宰大弐として赴任し、大宰府政庁と安楽寺・天満宮との関係が密接となる。
  • 986年:慶滋保胤の『賽菅丞相廟願文』に「文道之祖詩境之主」とある。
  • 987年:託宣で摂政藤原兼家が北野廟に参詣。
  • 988年8月5日:北野祭が始まる。「天満天神」の号が使われる。
  • 991年6月24日:祈雨奉幣19社に加わる。のちの二十二社
  • 992年:安楽寺天満宮、贈位と一切経書写要求の託宣を注進。
  • 993年6月26日:菅原道真に正一位左大臣を追贈。
  • 993年閏10月20日:太政大臣を追贈。
  • 995年:菅原氏の是算、北野天満宮初代別当となる。曼殊院門跡の成立。
  • 1004年8月:藤原道長、北野祭に神馬奉納。以後恒例。
  • 1004年10月21日:一条天皇、北野天満宮に行幸。
  • 1194年:現存最古の『北野天神縁起詞書』書写。建久本と呼ばれる。「文道の大祖、風月の本主」とされ既に詩文の神として信仰されていた。
  • 1204年:天神講の始まりという。
  • 1219年頃:現存最古の『北野天神縁起絵巻』(承久本、根本縁起)成立(ただし未完成)。
  • 1241年:円爾弁円に参禅を請う天神の夢告があり、自分の師匠を推薦すると天神は渡宋(渡唐)し、径山万寿寺無準師範に参禅して印可を受け、衣を授かり帰国したという。渡唐天神説話。
  • 1391年:足利義満、北野天満宮で連歌一万句興行を開く。
  • 1394年:『両聖記』に渡唐天神説話の初出。
  • 1461年:この年、北野祭なし。以後廃絶か。
  • 1602年:700年祭。
  • 1603年:豊臣秀頼、北野天満宮で万燈祭。
  • 1607年:豊臣秀頼、片桐且元を奉行として現在の北野天満宮社殿を造営。
  • 江戸時代:菅原氏を称する藩主家が天満宮を盛んに崇敬する。前田家久松松平家など。
  • 1702年:800年祭。
  • 1702年:前田綱紀、北野天満宮に太刀を奉納。以後、前田家は50年ごとに太刀を奉納する。
  • 寺子屋などで天神が祀られる。
  • 北野社僧出身の天台宗僧の宗淵、『北野文叢』などを編纂。
  • 1868年:神仏分離令。
  • 明治初年:松浦武四郎が天満宮聖跡二十五霊社を自ら選び、神鏡を奉納した。

参考文献

脚注

  1. 岡山県立美術館蔵。
  2. このほか住吉大社、開口神社などに連歌所があったという。天満宮が祀られていたかは未確認。
  3. やはり天満宮が祀られていたかは未確認。
http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%A4%A9%E6%BA%80%E4%BF%A1%E4%BB%B0」より作成

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