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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。東京都の放送局や伊賀でも同様なのか。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

北野天満宮

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2017年2月2日 (木)

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北野天満宮
きたの てんまんぐう
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概要 天満宮の総本社の一つ。
奉斎 菅原道真朝臣
(土岐昌訓論文)
所在地 京都府京都市上京区馬喰町
所在地(旧国郡) 山城国葛野郡
所属(現在) 神社本庁
格式など 二十二社朱印地拝領神社官幣中社別表神社
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目次

概要

北野天満宮は、京都府京都市上京区にある、天満信仰の総本社。北野天満宮関連旧跡も参照。

歴史

境内

組織

宮司

名前 生没年 在職年 略歴 典拠
粟田口定孝 1837-1918 1872-1873? 奈良華族の神職。葉室顕考の六男。興福寺養賢院住職。1872年(明治5年)、北野神社宮司兼八坂神社宮司に就任。翌年貴船神社権宮司、1876年(明治9年)貴船神社宮司。1901年(明治34年)住吉大社宮司。1903年(明治36年)まで務める。権少教正。男爵。 神道人名辞典、国学関連人物データベース
田中尚房 1839-1891 1876-1891 有職故実に通じた国学者。名古屋藩医。明倫堂国学助教。1876年(明治9年)1月就任。死去まで務める。国立国会図書館や京都府総合資料館に旧蔵書がある。権少教正。 大沼宜規「国立国会図書館所蔵 田中尚房旧蔵書・大沢清臣旧蔵書について」
吉見資胤 1848-1910 1891-1910 岐阜県出身。坪内家。士族。1868年(明治1年)、北野神社旧社家徳勝院吉見資鎮の養子となり、社務に就く。討幕軍に従軍。太政官職員。1877年(明治10年)、北野神社禰宜。1891年(明治24年)宮司就任。死去まで在任。『北野誌』を編纂。 神道人名辞典
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山田新一郎 1864-1946 1917-1934 内務官僚。福岡県出身。各県の参事官を歴任。1906年(明治39年)鳥取県知事。1908年(明治41年)台湾総督府総務局長。1912年(大正1年)皇典講究所幹事長。1917年(大正6年)北野神社宮司。1922年(大正11年)から翌々年まで伏見稲荷大社宮司兼任。1934年(昭和9年)賀茂別雷神社宮司に転任。 神道人名辞典
松平静 1876-1971 1934-1946 国文学者。歌人。越前常宮神社社家の宮本家出身。福井藩家老の松平主馬の養子となる。国学院卒。学校教諭を経て、1915年(大正4年)7月31日、南宮大社宮司就任。1922年(大正11年)7月4日、静岡浅間神社宮司。1934年(昭和9年)4月11日北野神社宮司就任(『神道人名辞典』では1936年(昭和11年)就任とある)。同21日、全国神職会評議員。1938年(昭和13年)3月25日全国神職会京都支部長。1946年(昭和21年)2月2日官制廃止で退任。同年6月30日、賀茂別雷神社宮司に転任。1948年(昭和23年)6月28日退任。著書『枕草紙詳解』『菅公頌徳録』。 柿谷雄三「松平静翁の枕冊子研究について 略年譜」
香西大見 1898-1979 1946-1979 国学院大卒。1923年(大正12年)内務省神社局に勤務。1934年(昭和9年)伊豆山神社宮司。1938年(昭和13年)豊国神社宮司。1941年(昭和16年)地方祭務官大阪府勤務。1943年(昭和18年)吉田神社宮司。1946年(昭和21年)北野天満宮宮司。在職で死去。京都府神社庁庁長。神社本庁長老。著書『わが旅路の道草』。 神道人名辞典
片桐勤 1913- 1979- 国学院大卒。1940年(昭和15年)北野神社主典。1971年(昭和46年)北野天満宮権宮司。1979年(昭和54年)宮司。1986年(昭和61年)京都府神社庁副庁長。著書『むめの雫』 神道人名辞典
浅井与四郎 1922- 1991-1998 国学院大卒。1943年(昭和18年)伏見稲荷大社雇。1945年(昭和20年)、北野天満宮主典。1980年(昭和55年)権宮司。1991年(平成3年)宮司就任。1998年(平成10年)6月退任。著書『北野の史実』。 『情報誌京都』18号、神道人名辞典(浅井與一郎とあるが誤りと思われる)
梶季嗣 ?-?
橘重十九 ?-

権宮司

  • 阪本健一
  • 大爺恒夫
  • 片桐勤
  • 浅井与四郎

画像

参考文献

  • 土岐昌訓 平成7「旧官国幣社と延喜式内社」『神社史の研究』

脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%8C%97%E9%87%8E%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE」より作成

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