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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。東京都の放送局や伊賀でも同様なのか。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

台北市忠烈祠

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2013年1月25日 (金)

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台北市忠烈祠
たいほくし ちゅうれつし
概要 台北市の忠烈祠。台北市軍人公墓の中に位置する。
所在地 台北市南港区研究院路3段130号
種別 地方忠烈祠
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台北市の忠烈祠。入祀烈士は277員である(2010年現在。資料B)。民国58年(1969年)、蒋経国の指示で台北市軍人公墓内に南港軍人公墓祭殿として創建(資料A)(資料Cには同年台北市忠烈祠が成立し、のちに台北市軍人公墓と一体となったとある。)(資料Bには民国78年(1989年)の創建とある。改築の年か、軍人公墓と一体となった年か。)。民国92年(2003年)に清仏戦争の烈士を入祀した。

台北市の郊外の山中に位置する。台北市軍人公墓と一体となっているのは当祠の特色で、同一軸線上の下段に忠烈祠があり、中段に台北市軍人公墓の忠霊堂、そして上段に台北市軍人公墓記念碑がある。また敷地内には土地神を祀ったと思われる福徳宮や一江山紀念碑がある。地方の忠烈祠としては超大型で、正殿のほか脇殿、前殿があり回廊でつながっている。正面には広大な参道がある。地方政府管理の忠烈祠のなかで敷地面積も建坪面積も最大で他の忠烈祠より飛び抜けている(資料B)。春祭は3月29日の革命先烈紀念日に行われ、秋祭は9月3日の軍人節(日中戦争日本降伏日)に行われている(資料C)。

知名度は高いとはいえず(そもそも忠烈祠自体が一般社会の認知度が低いかもしれないが。)、国民革命忠烈祠と混同されることもあるようである(例えば、資料Dでは国民革命忠烈祠のことを台北市忠烈祠と呼んでいる。)。

(資料A:国防部後備司令部ウェブサイト『祠祀葬〓』「台北市忠烈祠」[1]、資料B:内政部資料2011年1月「忠烈祠祀概況」、資料C:蔡錦堂2008「褒揚及忠烈祠祀栄典制度之研究」、資料D:蔡栄任2001『一種傅科権力技術的歴史性建構?従台湾日治時期神社到戦後忠烈祠』)

http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%8F%B0%E5%8C%97%E5%B8%82%E5%BF%A0%E7%83%88%E7%A5%A0」より作成

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