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和気清麻呂旧跡

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年5月13日 (土)

和気清麿から転送)
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和気清麻呂(わけのきよまろ)は、和気氏の古代の忠臣。

目次

略歴

略年譜

  • 733年(天平5年):誕生。父は和気乎麻呂。
  • 749年(天平感宝1年/天平勝宝1年):孝謙天皇即位。
  • 758年(天平宝字2年):孝謙天皇、淳仁天皇に譲位。
  • 764年(天平宝字8年):称徳天皇、再び即位。
  • 765年(天平神護1年):恵美押勝の乱の功績で勲六等。ついで右兵衛少尉。この時点で従六位上。
  • 766年(天平神護2年):従五位下。近衛将監。
  • 769年(神護景雲3年)5月頃:大宰府から奏上。宇佐八幡宮で「道鏡を皇位に就けよ」との託宣。
  • 769年(神護景雲3年):和気清麻呂が宇佐八幡宮に参向。「無道の人を排除せよ。天日嗣は皇緒を以ってせよ」との託宣。
  • 769年(神護景雲3年):帰朝して奏上。「別部穢麻呂」と改名させられた。
  • 769年(神護景雲3年)9月25日:和気清麻呂を大隅に配流。和気広虫を備後国に配流。
  • 770年(宝亀1年)8月4日:称徳天皇崩御。
  • 770年(宝亀1年)9月6日:和気清麻呂と和気広虫を召還
  • 771年(宝亀2年)3月29日:和気清麻呂、本位に復す。
  • 780年(宝亀11年):八幡大菩薩の神願を果たすため寺院建立を奏上(神護寺略記)。
  • 781年(天応1年):従四位下。
  • 782年(延暦1年):河内国石河郡に神願寺建立を認められた(神護寺略記)。
  • 783年(延暦2年):摂津大夫。
  • 784年(延暦3年):長岡京造営の功績により従四位上
  • 790年(延暦9年):正四位下。
  • 796年(延暦15年):平安京造営の功績により従三位
  • 799年(延暦18年)1月20日:姉の和気広虫死去。日本後紀では20日、和気清麻呂伝では798年(延暦17年)1月19日。
  • 799年(延暦18年)2月21日:死去。贈正三位。

崇敬史

  • 1851年(嘉永4年)3月15日:正一位護王大明神

奉斎神社など


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