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和泉・松尾寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年6月7日 (水)

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松尾寺金堂は四天王寺阿弥陀堂を移築したもの

松尾寺(まつおでら)は、葛城山系の、大阪府和泉市松尾寺町にある天台宗寺院。本尊は如意輪観音関東祈祷所天台宗延暦寺派。松尾観音。山号は阿弥陀山。(参考:同名寺院松尾寺

目次

歴史

他にみられない穀聚三天尊という独自の神を祀る松尾寺三天堂

古代

672年(弘文1年/天武1年)、役小角が創建。穀聚三天尊を感得した。さらに如意輪観音を刻んで祀った。泰澄が中興して三所権現を祀った。白鳳時代の瓦が出土している。 『日本往生極楽記』『今昔物語集』では尋祐という僧が住んで、往生の時に全身が輝いたという説話を載せる。修験道の霊場として発展したとみられる。

鎌倉時代・南北朝時代

鎌倉時代には幕府や朝廷の祈願所となる。南北朝時代には南朝に付き、後醍醐天皇の祈願所となっている。 1392年(明徳3年)、足利義満の祈願所となり、以後は歴代将軍の祈願所となる。 室町時代には延暦寺東塔院西谷千手堂の末寺となった。 一方で和泉国惣講師職という職を穴師堂とたびたび争った。

現存最古の役小角画像。鎌倉時代作がある。

戦国時代

1513年(永正10年)の観心寺合戦では畠山尚順に味方した。 1581年(天正9年)、織田信長高野山攻めに際して松尾寺も攻撃した。 長瑜という寺僧が堺念仏寺に逃げている。 1602年(慶長7年)豊臣秀頼四天王寺阿弥陀堂を移築して金堂とし復興した。

(日本歴史地名大系、国史大辞典)

伽藍

  • 金堂:
  • 山門:左右に持国天増長天、楼上に文殊菩薩を祀る。1705年(宝永2年)造営。
  • 念仏堂:本尊は空海阿弥陀如来不動明王
  • 寿老人堂:
  • 不動堂:
  • 地蔵堂:
  • 首堂:こうべどう。源義経が一ノ谷の戦いの戦死者の首級を船で送り弔った。
  • 春日神社:
  • 三天堂:祭神は穀聚三天尊・松尾明神・三所権現など。
  • 宝物殿:
  • 本坊:
  • 長瑜碑:

子院

1702年(元禄15年)頃には次の子院があった。

  • 万蔵院:
  • 南昌院:
  • 明王院:現存。
  • 宝光院:
  • 宝乗院:
  • 福成院:
  • 福生院:
  • 杉本院:
  • 蓮華院:
  • 金剛院:
  • 成就院:
  • 中院:
  • 宝積院:
  • 多聞院:
  • 願王院:
  • 住心院:
  • 円覚院:
  • 宝瓶院:現存。

画像

資料

古典籍

  • 「泉州松尾寺記」:1731年(享保16年)。『大日本仏教全書』[1]

文献

  • 魚澄惣五郎1931「和泉松尾寺文書に就いて」『古社寺の研究』[2]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%92%8C%E6%B3%89%E3%83%BB%E6%9D%BE%E5%B0%BE%E5%AF%BA」より作成

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