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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。東京都の放送局や伊賀でも同様なのか。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

嘉義市忠烈祠

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2013年1月25日 (金)

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嘉義市忠烈祠
かぎし ちゅうれつし
Kagi churetsushi 001.jpg
概要 嘉義市の忠烈祠。国幣小社嘉義神社跡地に位置する。社殿が近代的なタワーとなっている。
所在地 嘉義市公園街46号 嘉義公園
種別 地方忠烈祠
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嘉義市の忠烈祠。入祀烈士は94員である(2010年現在。資料B)。戦後の民国35年(1946年)、植民地時代の国幣小社嘉義神社の跡地に社殿を流用して創建された(資料B)。神社建築が継続して使われていたが、民国83年(1994年)4月24日、火災により焼失(資料C)。民国87年(1998年)10月2日、新社殿が造営されたが射日塔という巨大な塔となった(資料A)。

嘉義市市街地の東部の嘉義公園に位置する。地方政府管理の忠烈祠のなかでは中型のものであるが、建築様式がもっとも特異なものである。射日塔は阿里山の神木をイメージしたもので、原住民の射日神話に由来するものであるという。忠烈祠は1階にあり、屋上にはレストランがある。一方で参道は神社時代の面影を残している。春祭は3月29日の革命先烈紀念日に行われ、秋祭は9月3日の軍人節(日中戦争日本降伏日)に行われている(資料C)。

(資料A:ウェブサイト国防部後備司令部『祠祀葬〓』[1](2011/05/02閲覧)、資料B:内政部資料2011年1月「忠烈祠祀概況」、資料C:蔡錦堂2008「褒揚及忠烈祠祀栄典制度之研究」)


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