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因幡・大雲院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年8月5日 (土)
大雲院は鳥取県鳥取市立川町にある池田家・徳川家ゆかりの天台宗寺院。本尊は千手観音だったが、現在は阿弥陀如来。鳥取東照宮の別当で、元は東照宮の入口付近にあった。鳥取藩内で最上位の寺格「四カ寺」(天台大雲院、黄檗興禅寺、臨済龍峰寺、浄土慶安寺)の筆頭で、因幡国と伯耆国の天台宗触頭だった。慶安寺と共に徳川歴代将軍の位牌所だった。輪王寺宮の院家。天台宗延暦寺派。淳光院、唯識院、光雲院とも。東隆寺と号す。山号は乾向山。 (参考:同名寺院大雲寺)
歴史
1650年(慶安3年)8月、鳥取東照宮の創建に合わせてその別当寺として創建され、淳光院と称した。 開山は池田輝澄の子の実成院公侃。寺領200石(東照宮神領500石のうち)。 1674年(延宝2年)、観海が住職となり、1707年(宝永4年)、観海が輪王寺宮から慈雲院の院室号を与えられるとその名を寺名とするようになり、以後、住職就任のたびに唯識院、光雲院と改称された。 1815年(文化12年)に常院室となり、池田輝澄(公侃の父)の法号の大雲院に固定化した。
歴代藩主はたびたび参詣。50年ごとに徳川家康の回忌法要を行った。
本尊の千手観音を祀る護摩堂、大師堂(元三大師)、歴代将軍の御霊屋、本坊(仏間)などがあった。 1720年(享保5年)の石黒火事、1735年(享保20年)の長田火事で焼失。 1741年(寛保1年)、本坊を再建。 1750年(寛延3年)、大師堂再建。護摩堂は石黒火事以降は再建されず、大師堂に合祀された。
子院として成就院(蓮正院)・吉祥院(平福院)・大乗院・得玄院(徳賢院)があった。 末寺には三仏寺や隠居所の摩尼寺(安楽律院流)などがあった。 1869年(明治2年)、東照宮別当を解かれ、末寺の観音院に移転。 1870年(明治3年)、現在地にあった末寺霊光院に移転合併した。
現在の本堂は1721年(享保6年)の再建の旧霊光院本堂。 米村家霊堂が後部に接続する。 大師堂は幕末に再建された旧大雲院御霊屋を移築したものの可能性があると指摘されている。 大師堂は良源を祀る他、御霊屋を併設する。
大雲院跡には1897年(明治30年)から1972年(昭和47年)まで鳥取県護国神社があった。
(『日本歴史地名大系』、「旧大雲院本坊指図の考証と復元」[1]、「鳥取藩における歴代将軍年忌法事と大雲院」)
組織
歴代住職
- 1公侃()<>:大山寺学頭5世。池田輝澄の六男。徳川家康の孫。実成院と号す。
- 2栄春()<>:
- 3広海()<>:
- 4観海()<>:
- 5観洞()<>:慈雲院と号す。
- 6湛洞()<>:唯識院と号す。
- 7湛淳()<>:慈雲院と号す。
- 8徳譲()<>:光雲院(唯識院)と号す。
- 9良航()<>:唯識院と号す。