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一代一度仁王会関連旧跡

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年11月20日 (水)

大仁王会から転送)
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一代一度仁王会天皇即位にともない、宮中と諸国の計100所で一斉に営まれた『仁王般若経』の講讃法会。勅会。当初は即位儀礼とは結び付いておらず、奈良時代の聖武天皇孝謙天皇の頃から臨時で行われた。清和天皇の時から一代一度の儀礼として定着したという。後一条天皇の時を最後に宮中のみの行事となった。後深草天皇の1252年(建長4年)6月が最後となり廃絶。大仁王会践祚仁王会一代一講仁王会ともいう。

目次

歴史

仁王会には3種あり、即位に伴う法会、春秋に営む恒例法会、臨時に営む法会がある。 もともとは臨時に営んでいたのが、一方では春秋の年中行事となり、他方では即位儀礼となった。春秋二季の仁王会も「臨時仁王会」と呼ばれることもあった。もちろん両者が成立した後も臨時の執行もあった。

そもそもこの法会は鳩摩羅什訳『仁王般若経』護国品にある「国家が乱れた時、100の仏尊を勧請し、僧侶100人を招き、100の高座を設置して、100の燈明と100の香と100の花を供えて、この経典を講讃すれば、鬼神が国土を守護する」という記述に基づく。中国では陳国の皇帝が行ったのに始まる。559年、武帝が「仁王大斎」を行い、585年には後主が智顗を招いて大極殿で「仁王般若百座」を設けた。唐代にもたびたび営まれ、太宗の貞観年間に恒例となった。則天武后も仁王経と大雲経に基づく法会を行った。高麗でも営まれた。 なお五大力菩薩を本尊とする密教の仁王会とは無関係でないが、別のものと考えるべきだろう。

日本では斉明天皇が初めて行った。期間をあけて聖武天皇が729年(天平1年)に行った。『初例抄』ではこれを「一代一度仁王会」の始まりとするが、まだ「一代一度」の儀礼としては定まっておらず、 不定期に行われていた。奈良時代には仁王会司(仁王会所)という役所が置かれていた。

一代一度の儀礼として定着した時期については諸説紛糾する。

806年、崩御直前の桓武天皇が仁王会を十五大寺と諸国国分寺で毎年行うように定めた。 春秋仁王会は南北朝時代以前までは行っていた。 春は2月または3月、秋は7月または8月に行った。

臨時の仁王会にも2種あり、大極殿で行うものと、寺社に執行させるものとがあった。 また講讃をせず、転読のみの法会を「臨時御読経」といった。

祭場

延喜式によると、宮中の諸殿省寮に100の高座を設け、朝夕2回行う。 あるいは近京諸寺と畿内国分寺、あるいは全国の国分寺で行うとする。斎日は遠近共に同日に行うか、符が届き装束終わるまでを期限とした(?)という。当日あるいは3日間は殺生禁断とした。

宮中および諸国の各殿堂での設営は大極殿を除いて全て同じ。 本尊は釈迦・菩薩・羅漢を描いた絵像1幅を用いる。 ただし大極殿に限り、高御座を仏台とし、周囲に五大力菩薩絵像5幅をかける。聖僧榻、香案、花案、布施案などを並べる。仁王経1部2巻と香花燈明などを置く。

嘉応の例では宮中の祭場は次の通り

平安宮平安京の全体で法会を執行した様子が分かるが、さすがに神祇官は含まれていない。聖神寺が入る理由は不明。

式衆・諸役

延喜式では七高僧として講師、読師、呪願、三礼、唄、散華、維那と、一沙弥(定座)を挙げる。 しかし、永昌記では中殿、南殿、院宮などでは6人、大極殿以下その他は3人とある。


  • 堂童子4人:六位以下
  • 仏供養前2人:大極殿・紫宸殿・後宮院では五位の王。その他では六位の王。諸司では主典)
  • 講師前・読師前・衆僧前:各4人:大極殿・紫宸殿・後宮院・東宮では五位2人(大極殿講師前は五位の王2人)と六位以下2人。その他は五位2人、六位以下2人?

実際には増減があり、後世には王の出仕があったかは不明。

運営

延喜式によると行事司を設置して中納言1人、参議1人、少弁以上1人、五位2人、六位以下(定員不定)を置く。 しかし延喜式前後の実際の記録ではいずれも大納言も入っており、計9人で組織されている。 納言と参議を検校と呼び、その首席を上卿と呼ぶ。

配下に装束司と供養司を置く。四位以下6人、六位以下6人、京官や在京国司を充てる。 延喜式では供養司に出納大炊を充てるとするが、他の記録にはなし。

実施記録

  • 斉明天皇:660年5月:日本書紀。
  • 天武天皇:676年:金光明経と仁王般若経を同時に講讃させた。
  • 持統天皇:693年:諸国で行い、恒例とさせる。
  • 聖武天皇:729年(天平1年)6月1日:即位5年後か。宮中と諸国で営んだ。初例とも。天平19年5月15日にも。753年には東大寺に百高座を設けて行う。
  • 孝謙天皇:750年(天平勝宝2年)5月8日:即位翌年。初例とも。宮中と諸国で営んだ。753年3月29日、757年7月24日にも。続日本紀。
  • 淳仁天皇:760年2月29日:続日本紀。
  • 称徳天皇:770年1月15日:宮中で行う。続日本紀。
  • 光仁天皇:772年6月15日:即位2年後。宮中と諸国で営んだ。続日本紀。
  • 桓武天皇:794年9月29日:平安京に移る。宮中と諸国で営む。3日間、殺生禁断。806年、恒例の仁王会を定める。
  • 平城天皇:なし
  • 嵯峨天皇:811年10月20日:日本紀略。
  • 淳和天皇:825年閏7月19日:宮中、左右京、五畿七道で営む。日本紀略。呪願文は空海が作った。
  • 仁明天皇:834年6月15日:承和など4回行う。宮中と諸国は同日にならず。日本紀略。
  • 文徳天皇:852年4月14日:仁寿、天安など3回行う。ほぼ宮中と諸国を同日。一度だけ宮中のみ。日本紀略。文徳実録。
  • 清和天皇:860年(貞観2年)4月29日:即位2年後か。平安京内に31所、都外に69所の座を設けて行われた。以後、「一代一度」の制が明確になる。
  • 陽成天皇:878年4月29日:京32所、諸国68所。聖神寺が登場するが以後は嘉応まで記述されず。日本紀略。
  • 光孝天皇:885年4月26日:紫宸殿、諸殿、諸司、十二門、羅城門、東西寺など32所。五畿七道の諸国で同日同時に朝夕二度行った。三代実録。この時のものと思われる呪願文が『菅家文草』に残る。
  • 宇多天皇:889年4月29日:日本紀略。893年閏5月18日にも。菅家文草に呪願文。
  • 醍醐天皇:898年3月22日:日本紀略。
  • 朱雀天皇:933年4月27日:日本紀略。
  • 村上天皇:947年(天暦1年)3月8日:即位翌年か。『日本紀略』。4月25日?
  • 冷泉天皇:968/3/15:日本紀略
  • 円融天皇:971/5/15:
  • 花山天皇:986年(寛和2年)5月18日:大極殿、紫宸殿清涼殿など京都中に32所の高座を設け、畿内諸国の諸寺で行った。『本朝世紀』。
  • 一条天皇:987/9/22。日本紀略。扶桑略記。1004年にも臨時仁王会。日本紀略。
  • 三条天皇:1012/8/19。日本紀略。1014年3月24日にも。中右記。
  • 後一条天皇:1017年10月8日:当日に先立ち9月1日に大仁王会執行の太政官符が諸国に出されている。以後、諸国で行われた形跡なし。日本紀略。中右記に記述。
  • 後朱雀天皇
  • 後冷泉天皇
  • 後三条天皇
  • 白河天皇:延久:後世の兵範記によると、以前は31堂を超えなかったが、延久の大仁王会以後は往々にして32堂で行ったという。
  • 堀河天皇
  • 鳥羽天皇
  • 崇徳天皇:大治:永昌記に記述。
  • 近衛天皇
  • 後白河天皇
  • 二条天皇
  • 六条天皇:仁安:兵範記によると37堂を想定したが、治部省と民部省、豊楽殿と武徳殿を省いて33堂とした。
  • 高倉天皇:嘉応:豊楽殿と武徳殿を省いたのは不吉例とし、36堂で行った。中殿、南殿、大極殿、豊楽殿、武徳殿、朱雀門、羅城門、院、新院、皇嘉門院、上西門院、八条院、高松院、九条院、建春門院、大皇太后宮、皇后宮、中宮、太政官、外記庁、中務省、式部省、兵部省、大蔵省、宮内省、左京職、右京職、六衛府(左近衛府、右近衛府、左衛門府、右衛門府、左兵衛府、右兵衛府)、東寺、西寺、聖神寺。
  • 安徳天皇
  • 後鳥羽天皇:文治
  • 土御門天皇
  • 順徳天皇
  • 仲恭天皇
  • 後堀河天皇:嘉禄:『嘉禄度大仁王会記』が残る。
  • 四条天皇
  • 後嵯峨天皇
  • 後深草天皇:1252年(建長4年)6月19日:即位6年後。百錬抄。以後、断絶。

資料

古典籍

  • 『延喜式』の「図書寮」「玄蕃寮」に詳しい記述がある。
  • 『北山抄』巻5
  • 『経光卿大仁王会参仕記』

文献

  • 小野玄妙1915「仁王会の話(上)」仏書研究5
  • 大谷光尊1909『仏会紀要』「大仁王会」[1]
  • 大原眞弓「平安時代前期の即位儀礼の変化 一代一度と称される制度の始まり」[2]
  • 「護国の仏教」[3]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E4%B8%80%E4%BB%A3%E4%B8%80%E5%BA%A6%E4%BB%81%E7%8E%8B%E4%BC%9A%E9%96%A2%E9%80%A3%E6%97%A7%E8%B7%A1」より作成

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