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大入杵命墓
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2021年3月6日 (土)
石川県鹿島郡中能登町小田中にある大入杵命(おおいりきのみこと)の陵墓。大入杵命は崇神天皇皇子で能登臣の祖神とされ、能登部神社祭神であり気多大社の初代「祭主」ともされる。古墳名は小田中親王塚古墳(小田中新王塚古墳)。円墳または帆立貝式古墳とされる。亀塚古墳(大入杵命墓陪塚い号)と共に小田中古墳群と呼ばれる。
歴史
古くから存在を知られており、『平家物語』には源義仲が「小田中新王の塚」の前に陣を置いたことが記されている(大入杵命墓のことではないとする説もある)。江戸時代通じて親王塚より新王塚の表記のほうが一般的だった。墳丘の上には能登臣御祖神社(親王社)があった。1875年(明治8年)12月27日、大入杵命墓として治定された。1876年(明治9年)2月、教部省は石川県に調査を命じ、石川県は森田平次に調査させた。その時の絵図が石川県立図書館に残る。整備直前の様子を描く絵図には墳丘の上に能登臣御祖神社の社殿があり、参道には鳥居が描かれている。神社は撤去されて傍らに遷座した(のち白久志山御祖神社に合祀)。露出していた石槨が埋め戻され、工作物や参道の石段は撤去されたが陵墓の拝所は同じ面に設けられた。1990年(平成2年)に宮内庁が整備工事を実施した。
資料
- 「能登国鹿島郡小田中村御墓ノ図」:石川県立図書館
- 「能登小田中親王塚分間図」:石川県立図書館
- 森田平次『能登志徴』
- 1990「小田中新王塚古墳(大入杵命墓)・亀塚古墳調査見学記」『石川考古』201
- 2014「大入杵命墓の墳丘外形調査および出土品調査報告」『書陵部紀要』66[1]